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群馬の絹産業と「ぐんま絹遺産」

更新日:2020年6月19日 印刷ページ表示

絹産業について

 世界遺産の「富岡製糸場」は有名ですが、ここで行われる「製糸」は絹産業の一部に過ぎません。その前後には「養蚕」と「織物」があります。

  • 「養蚕」 - 桑を育て、蚕を飼い、繭を生産します。
     ↓
  • 「製糸」 - 繭から生糸をつくります。
     ↓
  • 「織物」 - 生糸を染め、織り、反物等に仕上げます。

群馬の絹産業について

 群馬県の絹産業の歴史は古く、8世紀中頃に新田郡から貢納された絹が正倉院に残されていることから、この頃すでに特産品として絹が生産されていたと考えられています。
 18世紀には、養蚕製糸の一大産地として知られ、1872年(明治5年)に官営の富岡製糸場が設立されました。
 開港以来、絹産業は日本の近代化を支える重要な産業でした。群馬県では、明治から昭和前半では約7割、戦後も約半数の農家が養蚕を行い、高まる繭の需要にこたえてきました。

 製糸業においては、富岡製糸場をモデルにした器械製糸が普及する一方、群馬県内では、江戸時代から根付いていた「座繰り」によって、養蚕農家自らが繭を生糸にし、共同組合を通じて出荷する形態も発達しました。そして、戦後になると自動操糸機の導入により、生糸の生産量をさらに増やしていきました。

 生糸は輸出のほか、桐生や伊勢崎など県内の織物産地で商品化され日本国内に流通しました。特に江戸時代から「西の西陣、東の桐生」と言われた桐生市は、高級織物産地として栄えました。

 このように、群馬県は、古くから絹関係の三業(養蚕・製糸・織物)が全てそろい、全国的な量と質を誇っていたことから、現在でも県内各所に三業に関連した様々な文化・文化財が残っています。群馬県は、日本の絹産業規模が縮小する中でもなお一連の産業が生きている貴重な地域であり、現在も養蚕農家数、繭生産量、生糸生産量ともに全国1位を誇っています。

「ぐんま絹遺産」について

 「ぐんま絹遺産」とは、県内に残る養蚕、製糸、織物、流通に関わる建造物や施設、民俗芸能等を対象に、県が登録した絹の遺産です。
 県では、これからも「ぐんま絹遺産」の登録をすすめ、これらをネットワーク化することで地域振興、観光、文化的事業などに役立たせていきたいと考えています。

 詳しくは、「ぐんま絹遺産」公式ホームページをご覧ください。

 下記の外部リンクをクリックしてご覧ください。

 「ぐんま絹遺産」公式ホームページ<外部リンク>