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歴史を語る「ぐんまの埴輪(はにわ)」1

 古墳時代に上毛野国(かみつけぬのくに)と呼ばれていた群馬県は、肥沃(ひよく)な土地と豊富な水資源、大陸からもたらされた最先端の文化・技術を持ち、東国(現在の東日本)をリードする東国文化の中心地でした。
 また東国最大の古墳大国であり、古墳から出土した埴輪の質・量は全国屈指です。埴輪の世界を楽しんでみませんか。

埴輪武装男子立像(国宝)の画像
東京国立博物館所蔵 Image:TNM Image Archives ※許可なく複製することを禁じます

埴輪武装男子立像(国宝)…6世紀に作られた、高さ130.5cmの埴輪。非常に精巧な埴輪で、甲冑(かっちゅう)を身に付け、右手に大刀(たち)、左手に弓を持っている。脚の部分に赤や白で塗られた跡があり、鮮やかな色彩で作られていたと考えられている。昭和49年に国宝に指定された。

東国で最大の「古墳大国」

 古墳時代は、近畿地方(畿内)が日本の政治・経済・文化の中心地で、ヤマト王権がその地方を治めていました。群馬(上毛野国)には、ヤマト王権とのつながりを示す大型の前方後円墳が数多く造られていることから、有力な豪族が県内各地にいたことが分かります。
 中でも墳丘長が約100メートル以上の前方後円墳の数は東日本屈指で「古墳大国」でした。

墳丘長約100メートル以上の前方後円墳の分布画像
墳丘長約100メートル以上の前方後円墳の分布(出典:若狭徹「もっと知りたい はにわの世界」(東京美術)初版、2009年発行、9ページ(一部加工))

全国屈指の質と量を誇る「埴輪大国」

 本県の古墳からは大量の埴輪が出土しており、その質が高いことから、本県は「埴輪大国」ともいえます。太田市で出土した「挂甲(けいこう)の武人」(埴輪武装男子立像)は、埴輪では唯一の国宝に指定されています。
 現在の藤岡市と太田市には埴輪作りの拠点があり、窯で焼くことで大量生産が可能となった埴輪が、県内の広い地域に供給されていたと考えられています。

古墳・埴輪とは?

 古墳は3~7世紀にかけて多く造られた、地域を治めた有力者などの墓です。埴輪は古墳に立て並べられていた土でできた焼き物で、死者の魂を守ったり鎮めたりするために作られたと考えられています。
 円筒形から家や人物、動物を表したものなどさまざまで、当時の衣服や髪型、武具、建築様式、文化などを知る貴重な歴史資料です。

 埴輪を楽しむための見方や古墳における埴輪の意味など、興味が尽きない埴輪の世界を紹介します。

群馬の人気ナンバーワン埴輪ついに決定

「群馬HANI-1グランプリ」のロゴ画像

 本県から出土した埴輪の中から最も人気のある埴輪を投票で選ぶイベントです。結果は「群馬古墳フェスタ」で発表します。詳しくは 特集”歴史を語る「ぐんまの埴輪(はにわ)」3”のページをご覧ください。

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