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【6月17日】名勝等の指定等について(文化財保護課)

 国の文化審議会(会長 馬渕 明子(まぶち あきこ))は、平成29年6月16日(金)に開催された同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、特別史跡の新指定1件、史跡名勝天然記念物の新指定18件、追加指定等31件、登録記念物の新登録5件、重要文化的景観の新選定7件について、文部科学大臣に答申しました。
 この史跡名勝天然記念物の新指定18件及び追加指定等の31件の中には、本県所在の下記の名勝1件(新規)及び史跡1件(追加指定)が含まれています。 この結果、近日中に行われる官報告示を経て、国内の史跡名勝天然記念物は3,228件、登録記念物は104件、重要文化的景観は58件となる予定です。なお、本県所在の名勝件数は、1件増の7件となり、史跡件数は、49件のまま変更はありません(既に指定されている史跡の面積追加指定)。

1 答申が行われる予定の本県所在の史跡名勝天然記念物

名勝の新指定 

 湯畑(ゆばたけ) (吾妻郡草津町)

史跡の追加指定

 岩宿遺跡(いわじゅくいせき) (みどり市)

2 【名勝の新指定】湯畑(吾妻郡草津町)の概要

  1. 指定名称 湯畑(ゆばたけ)
  2. 所在地 吾妻郡草津町大字草津字西町403番1外 4筆等
  3. 指定面積 1,112.44平方メートル
  4. 所有関係 県有地・町有地
  5. 概要

 湯畑は草津温泉の中心部に位置する源泉地である。温泉水は、草津白根火山東側斜面に降った雨水が火山性ガスと接触して形成され、毎分4,040リットル自然湧出する。源泉は温度52.7度、pH2.1の強酸性であり、旅館や共同湯等町内80か所以上に引かれている。強酸性泉の環境下、イデユコゴメなどの藻類やネズミワムシ類など温泉微生物の生育環境が維持されていることが確認されている。
 源頼朝などの開湯伝説が伝わるが、室町時代中頃までの草津の様子は明確ではない。しかし、15世紀後半には温泉地として知られていたことが、僧・尭恵や詩僧・万里集九などの文献等から窺える。戦国時代以降、武田氏・真田氏の支配を経て、湯治場としての地位が確立され、晩年の前田利家が大規模な湯治を行ったことが記録にある。江戸時代の絵図では、中央部分の上側に薬師堂、下側に湯畑が描かれており、薬師如来信仰の影響を受けた湯治場であることがわかる。明治以降も湯治場として栄え、昭和7年開園の栗生楽泉園にも湯畑源泉が配湯されている。現在、年間300万人の観光客が訪れる温泉観光地になったものの、年間数千人が長期間の湯治を行っている。
 湯畑は源泉のほか、昭和50年の改修以前の地盤を保持している透湯層露出部分や湯瀧、滝壺から構成されており、内部には湯樋や、将軍への献上湯を示す町指定重要文化財「御汲み上げの湯枠」とその碑、江戸後期の「湯瀧の燈籠」がある。源泉から湧き出た湯は、7本の湯樋を通って流れ滝となる。この湯樋は温泉水を冷まして配湯することや湯の花を採取することを目的とする。明治20年代に初めて設置されたもので、釘などの腐食する建材は使用せず、樹齢150年以上のアカマツ材を用いて作られ、数十年ごとの不定期に付け替えが行われている。また、湯樋を通らない湯は凝灰角礫岩の表層を経て、滝となって、滝壺へ流れ落ちる。近世期の湯治法では、この湯畑内「瀧の湯」の打たせ湯が最上とされたという。
 湯畑は源泉保護と安全確保のため周囲を石柵で囲っているが、柵自体はかなり以前からあったことが近世の絵図から分かっている。現在の石柵は岡本太郎が代表を務めていた現代芸術研究所の設計により、昭和50年に設置されたものである。一部、昭和9年に寄付により木柵から石柵に代えられた際の石柵が残っている。
 高度成長期以前の草津は湯治場として抜群の知名度があり、湯治客や来訪した文人墨客の旅情を誘うとともに、その高温の強酸性泉が湯もみや時間湯など独特の湯治文化を形成した。特に、湯畑の、町の中心部に位置する強酸性大源泉の風致景観は、草津を象徴する他に例のないものであり、その観賞上の価値は高く、名勝としての価値を有すると判断された。

写真(提供:草津町教育委員会)

湯畑全景(俯瞰)(北から)写真
湯畑全景(俯瞰)(北から)
湯畑の夜景(俯瞰)(北から)写真
湯畑の夜景(俯瞰)(北から)
湯畑源泉写真
湯畑源泉
明治末の湯畑写真
明治末の湯畑

2 【史跡の追加指定】岩宿遺跡(みどり市)の概要

  1. 指定名称 岩宿遺跡(いわじゅくいせき)
  2. 指定履歴 昭和54年8月17日 文部省告示第142号
  3. 所在地
     追加指定の代表地番 みどり市笠懸町阿左美3621番 外2筆
     既指定地の代表地番 みどり市笠懸町阿左美1781番3 外82筆
  4. 指定面積
     追加指定面積 2,038.71平方メートル
     既指定面積 187,187.26平方メートル
     合計 189,225.97平方メートル
  5. 所有関係  
     追加指定地:民有地         
     既指定地 :市有地、民有地 外
  6. 概要

 史跡岩宿遺跡は、みどり市南部の笠懸町に所在する旧石器時代の遺跡である。大間々扇状地の扇央部に位置する、稲荷山・琴平山という2つの独立丘陵上にあり、両丘陵の鞍部に石器群の広がりが確認できる。
 昭和21年に相澤忠洋が、崩れ落ちた関東ローム層中から黒曜石の石器を発見した事により、遺跡が発見された。その後、昭和24・25年に明治大学が発掘調査を行い、関東ローム層中から土器を伴わない石器群が出土することを確認した。これにより縄文時代よりもさらに古い石器時代文化が存在していたことが日本で初めて明らかとなった。
 岩宿遺跡は、日本における人類の歴史が旧石器時代にまで遡ることが証明された最初の遺跡であり、日本の歴史の黎明期を考える上で学術的価値が極めて高いと評価できることから、昭和35年に群馬県指定史跡となり、昭和54年には国指定史跡となった。
 今回の追加指定は、史跡岩宿遺跡に隣接する工場跡地の所有者が、その土地の取扱いをみどり市教育委員会に協議したことに始まる。平成27年度にみどり市教育委員会が、この土地を「岩宿遺跡F地点」として範囲内容確認調査を行ったところ旧石器時代の遺物が出土し、遺跡が広がることが確認された。石器は、2つのトレンチから全部で5点出土しており、岩宿1(※1はローマ数字)石器文化(35,000年前)相当層から1点の片刃礫器(かたばれっき)と4点の剥片が見つかった。
 今回の追加指定で、岩宿遺跡の保存される範囲が広がることを契機として、みどり市が保存及び活用に関する計画を定め、史跡の保全と修景を進めることによって、さらに価値が高まることが期待される。

写真(提供:みどり市教育委員会)

史跡岩宿遺跡とその追加指定範囲(白丸部分)(左が北)写真
史跡岩宿遺跡とその追加指定範囲(白丸部分)(左が北)
史跡岩宿遺跡追加指定範囲(白丸部分)(俯瞰)(東から)写真
史跡岩宿遺跡追加指定範囲(白丸部分)(俯瞰)(東から)
史跡岩宿遺跡追加指定範囲(手前の平坦地)(南西から)写真
史跡岩宿遺跡追加指定範囲(手前の平坦地)(南西から)
トレンチから出土した石器(北から)写真
トレンチから出土した石器(北から)
トレンチから出土した石器(北西から)写真
トレンチから出土した石器(北西から)
トレンチから出土した片刃礫器(北西から)写真
トレンチから出土した片刃礫器(北西から)
出土した石器(上の2点が剥片、下が片刃礫器)写真
出土した石器(上の2点が剥片、下が片刃礫器)
出土した石器(剥片)写真
出土した石器(剥片)

このページについてのお問い合わせ

教育委員会事務局文化財保護課
〒371-8570 前橋市大手町1-1-1
電話 027-226-4684
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