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【3月9日】登録有形文化財(建造物)の登録について(文化財保護課)

 国の文化審議会(会長 馬渕明子(まぶちあきこ)は、平成30年3月9日(金)に開催された同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、新たに196件の建造物を登録するよう文部科学大臣に答申しました。
この196件の中には、本県所在の下記の建造物3件(3箇所)が含まれています。
この結果、近日中に行われる官報告示を経て、全国の登録有形文化財(建造物)は、11,886件、本県の登録有形文化財(建造物)は338件(129箇所)となる予定です。

1 答申が行われた本県所在の登録有形文化財(建造物) 3件(3箇所)

(1)新島学園短期大学研究棟(旧高崎市立女子高等学校円形校舎) 1棟
(高崎市昭和町84-1他)
(2)旧赤城山鋼索鉄道赤城山頂駅駅舎及びプラットホーム 1棟
(桐生市黒保根町下田沢字赤面国有林413イ林小班)
(3)旧狩宿茶屋本陣 1棟
(吾妻郡長野原町大字応桑字新田28-1)

2 新島学園短期大学研究棟(にいじまがくえんたんきだいがくけんきゅうとう)(旧高崎市立女子高等学校円形校舎)(きゅうたかさきしりつじょしこうとうがっこうえんけいこうしゃ)の概要

(1)名称

新島学園短期大学研究棟(旧高崎市立女子高等学校円形校舎)

番号

名称

員数

構造、形式及び大きさ

建築年代

登録基準

新島学園短期大学研究棟(旧高崎市立女子高等学校円形校舎)

1棟

鉄筋コンクリート造3階建塔屋付。中央部に螺旋階段をもつホールをとり、外周に教室5室などを配す。
建築面積:491平方メートル

昭和31年(1956)10月15日竣工

(1)

(2)所有者及び所在地

所有者:学校法人 新島学園(安中市安中3702)
所在地:高崎市昭和町84-1他(新島学園短期大学電話:027-326-1155(代表))

(3)特徴等

 新島学園短期大学研究棟は、高崎市立女子高等学校時代に建てられた円形校舎である。昭和56年同校の移転に伴い、学校法人新島学園が敷地及び校舎を引き継ぎ、2年後の昭和58年4月に新島学園女子短期大学を開学した。
竣工は昭和31年、鉄筋コンクリート造3階建。中心部に螺旋階段をもつホールをとり、外周に教室5室を配する。設計は円形建築で知られる坂本鹿名夫(さかもとかなお)。円形校舎は戦後の教室不足とベビーブームを背景とし、建設費の節約とそれまでの一文字型の4間5間の画一化された教室とは異なるプロトタイプとして構想されたものである。
 坂本鹿名夫は、昭和30年代を中心に全国に円形校舎を100棟以上建てたが、建て増しが容易ではないこと、扇形のため教室での机の大量配置が難しいこと、生徒の生活空間が狭いこと、などの理由から新築されなくなる。
 当建物は本県に現存する唯一の円形校舎であり、高崎市立女子高等学校時代と変わらず新島学園短期大学のシンボルとして親しまれている。

(4)写真(提供:高崎市教育委員会)

新島学園短期大学研究棟全景の写真
全景(南西から)
新島学園短期大学研究棟螺旋階段の写真
螺旋階段(2階)
新島学園短期大学研究棟位置図
位置図
新島学園短期大学研究棟配置図
配置図

3 旧赤城山鋼索鉄道赤城山頂駅駅舎及びプラットホーム(きゅうあかぎさんこうさくてつどうあかぎさんちょうえきえきしゃおよびぷらっとほーむ)の概要

(1)名称

旧赤城山鋼索鉄道赤城山頂駅駅舎及びプラットホーム
番号 名称 員数 構造、形式及び大きさ 建築年代 登録基準
旧赤城山鋼索鉄道赤城山頂駅駅舎及びプラットホーム 1棟 駅舎:鉄筋コンクリート造2階建地下1階、金属板葺
建築面積:201平方メートル
プラットホーム:鉄筋コンクリート造
昭和31年 (3)

(2)所有者及び所在地

所有者:有限会社 大沼山荘(前橋市富士見町赤城山大洞3)
所在地:桐生市黒保根町下田沢字赤面国有林413イ林小班

(3)特徴等

 赤城山頂にある東武鉄道路線網を構成したケーブルカーの終着駅。山頂側を正面に駅舎を建て背面に階段状プラットホームをつくる。厳しい立地条件のもとで空間と機能を巧妙にまとめた戦後の観光施設である。
 東武鉄道は赤城山観光の利便性と魅力を高めるために、前橋-赤城山頂-桐生間の赤城山回遊ルートの開発を図った。まず路線バスで、前橋駅・中央前橋駅-赤城山頂間、及び桐生駅-利平茶屋間の運行を開始した。さらに赤城山東側をケーブルカーでつなぐことにして、赤城登山鉄道を設立し、昭和32年(1957)に利平茶屋駅と赤城山頂駅を結ぶ、赤城山鋼索鉄道を開通させた。また、浅草-赤城駅に急行を走らせ、浅草と赤城山頂間を4時間半で結び、日帰りで赤城山観光が可能となり観光客も増大した。
 しかし、前橋-赤城山頂間の道路の改良が進むと、前橋からの往復利用が主流となり、鋼索鉄道は昭和43年(1968)に廃止され、ケーブルカーは開業からわずか10年4ヶ月という短さで幕を閉じることとなった。廃線後、線路や鉄橋などは撤去された。
 赤城山頂駅は、昭和58年(1983)塩原義昭氏(現所有者代表の父)が借り受け「展望レストラン」と名付け、食事や土産店として開店した。また、昭和60年(1985)赤城山頂駅を買い取り、平成6年(1994)に駅舎の正面(西側)と北面を増築し「赤城山頂駅記念館 サントリービア・バーベキューホール」と改称し、食事・休憩の他、赤城山鋼索鉄道の建設写真や、往事の写真、回遊の切符などの資料も展示した。建物は、平成14年に個人所有から、法人の有限会社大沼山荘に移り、現在に至る。
 駅舎部分は鉄筋コンクリート造2階、地下1階である。待合いと事務所部分の間仕切りと天井を撤去し、屋根の下地が現しになり、ラチス梁が見える。天井高も約6メートルあり、天窓が設けられ明るい大空間の食事場所となっている。展示スペースは旧事務室の壁と旧宿直室で、間仕切りと仕上げが撤去され、赤城山鋼索鉄道関係の解説や資料が展示されている。地下は動力室であったが現在は倉庫となっている。
 プラットホームは鉄筋コンクリート造。地形に合わせているため全面階段で踊り場が無く、勾配が5/10で急勾配である。

(4)写真(提供:桐生市教育委員会)

駅舎内部の写真
駅舎内部
駅舎全景の写真
全景
駅舎位置図
位置図
駅舎配置図
配置図

4 旧狩宿茶屋本陣(きゅうかりやどちゃやほんじん)の概要

(1)名称

旧狩宿茶屋本陣
番号 名称 員数 構造、形式及び大きさ 建築年代 登録基準
旧狩宿茶屋本陣 1棟 木造2階建、金属板葺、
建築面積:172平方メートル
江戸後期 (1)

(2)所有者及び所在地

所有者:長野原町
所在地:吾妻郡長野原町大字応桑字新田28-1

(3)特徴等

 旧狩宿茶屋本陣は、群馬県吾妻郡長野原町大字応桑字新田28−1に所在する。道を挟んで西側の応桑小学校には、寛文4年(1664)に開設され明治維新まで続いていた狩宿関所跡があり、石碑が建てられている。当地は信州街道・沓掛通(くつかけみち)・草津街道の交点に当たり、交通の要地であるために関所が設けられていた。かつて、この関所を東に出ると脇往還(わきおうかん)ながら狩宿宿(狩宿新田)が形成されていた。万騎峠(まんきとうげ)・六里ヶ原(ろくりがはら)等の難所を越えて到達する休息場所・宿場としての役割があり、茶屋本陣を始め旅籠・茶屋・馬宿・雑貨屋等が整い繁盛していた。
 現在の建物は、1階で間口約9.5間・奥行約7間(2階で約7.5間)の鉤の手になった平面形をしているが、面積を減じて改修されたものである。東妻面(つまめん)に大黒柱が外部に露見しており、昭和48年(1973)に大黒柱より東側の土間部分を解体した痕跡である。建築当初は、1階で間口約15間・奥行約7間(2階で約7.5間)の大規模な木造建築であった。『長野原町誌』によると明治18(1885)年9月、北白川宮能久(よしひさ)親王が吾妻牧場視察時に、この建物に宿泊している。この時、宮家からの指示で便所と湯殿を新設し、畳・障子も新調した。北白川宮は上段の間に宿泊した。その後、明治22(1889)年・23(1890)年にも宿泊している。
 本建物は上段の間を持ち、中の間・表の間の3室続きの間があり、本陣・脇本陣に準じる間取りや構えを持つ。上段の間は、床の間・脇床(わきどこ)・平書院(ひらしょいん)を備え、柱材にすべてエンジュが使用されていることから「槐(えんじゅ)の間」とも呼ばれていた。上段の間と中の間には段差があり、20センチメートルほど上段の間が高くなっている。また境には筬欄間(おさらんま)があり、格式を醸し出している。続きの間は上段の間から遠くなる程、技法や材料などの格式に差をつけている。上段の間の天井は高く、表の間では根太天井(ねだてんじょう)で高さも低い。表の間には腰高の床があり地袋の襖には、型押しされた金唐革紙(きんからかわし)が張られていた。この襖は北白川宮能久(よしひさ)親王が宿泊した時に新調したものと考えられる。現在の土間も宮家宿泊時の改造と考えられ、座敷境の襖の腰板には鷽(うぐいす)と牡丹の絵などの花鳥画が描かれている。また、本陣建築の特徴として、休憩・宿泊の用途に使われる客座敷部分と日常の生活空間が、中廊下で明確に分離されているのも特徴である。
 本建物は県内でも屈指の大規模町屋で、地方色豊かな「出桁造(だしげたづく)り」と「板葺き石置屋根」の外観を残している。出桁造りで軒を深く造っており、本陣建築に必要な荷卸の場でもあり、この地方の町屋建築の特徴でもある。また養蚕農家の形とも合致しており、明治後半以降は養蚕も行われた。脇往還・茶屋本陣の数少ない遺構で、歴史的かつ建築学的に貴重である。

【参考資料】
・『狩宿茶屋本陣調査報告書』(長野原町教育委員会 平成27年)

(4)写真(提供:長野原町教育委員会)

旧狩宿茶屋本陣の写真
建物全景(北から)
旧狩宿茶屋本陣の写真
北外観(出桁造り)
旧狩宿茶屋本陣の写真
上段の間(槐の間)
旧狩宿茶屋本陣位置図
位置図
旧狩宿茶屋本陣配置図
配置図

5 登録有形文化財(建造物)登録基準

(平成8年8月30日文部省告示第152号、改正 平成17年3月28日文部科学省告示第44号)
 建築物、土木構造物及びその他の工作物(重要文化財及び文化財保護法第182条第2項に規定する指定を地方公共団体が行っているものを除く。)のうち、原則として建設後50年を経過し、かつ、次の各号の一に該当するもの。
(1) 国土の歴史的景観に寄与しているもの
(2) 造形の規範となっているもの
(3) 再現することが容易でないもの

このページについてのお問い合わせ

教育委員会事務局文化財保護課
〒371-8570 前橋市大手町1-1-1
電話 027-226-4684
FAX 027-243-7785
E-mail kibunkaho@pref.gunma.lg.jp
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