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【名誉県民】福田 赳夫

更新日:2014年3月31日 印刷ページ表示

福田 赳夫(ふくだ たけお)
 明治38(1905)年1月14日~平成7(1995)年7月5日
 顕彰日/平成2(1990)年10月28日

事績

 群馬郡金古町大字足門(現高崎市)に父善治、母ツタの二男として生まれ、県立高崎中学校、第一高等学校、東京帝国大学法学部法律学科を経て、昭和4(1929)年4月大蔵省に入省、銀行局長、主計局長等の要職を歴任して昭和25(1950)年11月に退官する。
 昭和27(1952)年10月衆議院議員選挙において初当選し、国政への道を歩み、昭和33(1958)年6月には自由民主党政務調査会長に就任、翌年1月同幹事長を務めるなど、党の重鎮として活躍する。
 昭和34(1959)年6月岸内閣の農林大臣として初入閣、日ソ漁業交渉のため訪ソするなど精力的に活躍する。昭和40(1965)年6月には佐藤内閣の大蔵大臣に就任し、東京オリンピック後の不況期にあった我が国経済の建て直しに努める。
 さらに、昭和43(1968)年11月には再び大蔵大臣に就任、昭和45(1970)年1月引き続き大蔵大臣に留任して貿易の自由化、資本の自由化など我が国経済の国際化体制の推進を図る。
 昭和46(1971)年7月には外務大臣に就任し、天皇、皇后両陛下の訪欧に際し主席随員を務めるとともに、沖縄返還や国際交流基金の創設に尽力する。
 翌年12月田中内閣の行政管理庁長官に就任、引き続き昭和48(1973)年11月から4度目の大蔵大臣として、インフレ・石油ショックで混乱した我が国経済の回復に尽力する。
 また、昭和49(1974)年12月三木内閣の副総理兼経済企画庁長官に就任し、我が国経済を安定成長へ移行させ経済体質の改善を図る。
 昭和51(1976)年12月第67代内閣総理大臣に就任、「協調と連帯」を基本理念に国政の運営に当たるとともに、日米首脳会談、先進国首脳会議、中東・アセアン諸国歴訪等積極的に外交を展開するなど我が国の国際的地位を高め、昭和53(1978)年5月には長年の懸案であった成田空港を開港、同年10月日中平和友好条約締結を実現する。
 昭和53(1978)年12月内閣総理大臣を退任、その後も自由民主党最高顧問として国政の中枢において活躍するとともに、OBサミット、世界人口会議等において世界平和に貢献、現在も37年余りの長きにわたる議員経験をもとに、日本の繁栄と世界の平和のために尽力している。

(平成2年10月28日群馬県報登載)

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