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「公衆衛生情報」2016年10月号 田中部長の記事全文

更新日:2021年3月18日 印刷ページ表示

故郷を離れて、群馬県で公衆衛生の道に進んで

群馬県藤岡保健福祉事務所、安中保健福祉事務所(兼務)部長 田中 純子

(経歴)
平成16年岐阜大学卒、初期臨床研修後、産婦人科で勤務。平成25年4月群馬県に入職。平成28年4月より現職。

(本文)
 私が公衆衛生の道に進もうと思ったのは、公衆衛生に異味があったというわけではありません。正直に言いますと、保健所で働くようになるまで、どんな業務をしているのかさえ、ほとんど知らないような状況でした。そんな私ですが、公衆衛生医師になった経緯と、転向後の思いを書かせていただきます。

公衆衛生医師になるまで

 学生時代の公衆衛生の授業は睡魔との戦いで、ほとんど記憶に残っていません。6年次に保健所に実習に行ったことは覚えていますが、このときには保健所で働くことなどまったく考えていませんでした。

 卒業後、ちょうど全科ローテート研修が義務化された年に、初期の臨床研修をスタートしました。各科の研修を終えて選択したのは産婦人科でした。診断から治療まで一つの科で完結できること、また婦人科と産科という幅広い領域で、内科的にも外科的にも診療ができることが魅力でした。愛媛の病院での初期研修を終え、生まれ育った東海地方の産婦人科の医局に進むことに決めました。

 医局に属し、産婦人科で勤務していたころは、診療経験を得るために必死でした。当直や待機はもちろん、仕事のことが常に頭にあるような状態が続き、産婦人科での診療を続けていく自信を失いかけたことがありました。私は分娩時の急変などの緊急時に、状況に応じた適切な判断を一人で行うことができなかったのです。また、「木を見て森を見ず」の状態で、患者さんの主症状だけにとらわれて、全体を見て総合的な診断、治療をすることができませんでした。自分の指示が後手に回ったと感じることもありました。

 それでも産婦人科での診療はとても興味深く、どんな形であれ産婦人科医として働きたいと思っていましたが、結婚と転居という環境の変化で、進路を考え直すことにしました。そんな中、たまたま公衆衛生で活躍する医師の存在を知り、予防という観点から産婦人科額域にもかかわれると思い、一からやり直したい気持ちが後押しをして公衆衛生医師として働きたい気持ちが固まったのです。

 転居先は群馬県という、それまでまったく足を踏み入れたことのない北関東の自治体でしたので、県のホームページから公衆衛生医師の募集欄を見てみました。その当時は、実際に募集しているのか、していないのかわからないような内容で不安を感じましたが、担当の方にメールを送ってみたところ、返信をいただきました。そのメールには、群馬県で実際に公衆衛生医師として勤務している先輩の医師のメッセージが添付されており、「群馬県で臨床医を続けていく選択肢もある」といった内容でした。迷いもまだあり、保健行政についてほとんど知歳がない状況でしたが、やはり公衆衛生医師として働きたいという気持ちを伝えると、先輩医師は公衆衛生医師になるにあたって心強い先導役になってくれました。

群馬県で公衆衛生医師に転向して

 群馬県というと、平成26年に世界遺産に登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」や、ゆるキャラグランブリで1位になった「ぐんまちゃん」が有名です。周囲を山々に囲まれた、自然豊かな県で、県内にはたくさんの温泉があります。県内最大の都市、高崎市は東京から新幹線で1時間足らずで、首都圏から北陸、信越地方に向かう際の交通の要所になっています。夏の暑さや有名な冬のからっ風にも慣れてしまうと、住みやすい土地柄だと感じています。

 転居してしばらくした、平成25年4月に群馬県に入職しました。毎日スーツを着て通勤することにも慣れず、また規則に従って事務処理を行うこともほとんどなかったため、行政という職場環境に慣れるまで時間がかかりました。

 初年度は群馬県太田市にある東部保健福祉事務所に勤務しました。大先輩である女性の保健所長の下、各係に属さない比較的自由な立場で仕事をさせてもらいました。HIV検査の相談や、結核の接触者・管理健診、医療監視などの日常業務を担当することで業務の知識を得ることができました。感染症や食中毒などの事例発生時には、報告や検討の会議に参加し、対応のしかたについて学ぶ機会がありました。その他、施設健診の胸部レントゲン写真の読影、研修会などでの健康請話など、幅広い業務に携わることができました。医師は大先輩の保健所長と私の2人配置だったため、常に報告や相談ができて、直接指導を受けることができたのは幸運でした。また、初年度は多くの研修や会議に参加し、知識が深められたので、仕事が楽しく感じられるようになりました。

育児との両立ができる環境

 公衆衛生医師として働き始めて1年ほどで、平成26年度途中から出産、育児のために産休、育休を取得し、約1年9か月の間お休みをいただきました。平成28年4月より1日2時間の育児部分休業をいただきつつ、職場復帰いたしました。産休、育休、時問短縮勤務など、妊娠や出産、その後の子育てに関して、他の職員の方と同等に制度が利用できる職場環境は、女性医師にとっては魅力だと思います。ありがたいことに、私は妊娠中も出産後も、気持ちよく仕事をさせていただいています。仕事と育児を両立している事務所内の他の職種の職員の方々は、お手本であると同時に、頼もしい相談相手です。女性医師の先輩からは、「出産や育児に関する制度を上手に利用して、自分の生活も大切にしながら働き続けるように」とアドバイスを受けました。

 公衆衛生医師として働いて、よかったと感じる点は、ほかにもあります。大先輩の女性医師は、「日常生活のすべてが公衆衛生につながる」とおっしゃっていました。保健所で勤務していると、さまざまな事件や相談に遭遇します。医師としての経験や感覚に加えて、日常生活体験も業務に役立つので、女性の視点が求められる分野だと感じています。保健所ではさまざまな方面にわたる知識が要求されるので、視野が広がりました。

 現在、群馬県では県内の各保健所に11名(保健事務所長1名、保健所長6名、その他4名)、その他、健康福祉部保健予防課長と主監として、公衆衛生医師が勤務しています。中核市以外の保健所に勤務している医師はいずれも2つの地域の事務所を兼務しています。30、40代の若手医師は私を含めて3名で、同年代の公衆衛生医師が少なく、気軽にささいな悩みの共有ができないのが残念な点です。その分、新米の私たちは、ベテランの先生方から多大なるご支援とご指導をいただいています。

最後に

 臨床医としては経験が少なかったと思いますが、群馬県で公衆衛生医師に転向してしばらくの間は、病院勤務への未練がありました。ただ、いまは、行政での仕事は、自分の性格に合っているように感じています。どちらかというと、消極的な理由で転向を決意した私ですが、今後も公衆衛生医師として、知識と経験を深めながら、楽しく仕事をしていきたいと思っています。とにかく長く働き続けることが第一の日標です。

 現在仕事と子育ての両立がうまくいっているとは言えない私でも、辛うじて毎日通勤していられるのは、周りの職員の方をはじめ、関係部署の方々の理解があってのことだと思っています。また、同じ医師の先輩方にはいつもご配慮をいただき、ありがたい状況にいると感じています。 今回はこのような貴重な機会を与えてくださった関係者の皆さまに感謝の意を申し上げます。

(出典)
期待の若手シリーズ 私にも言わせて!第52回
「月刊公衆衛生情報」2016年10月号、日本公衆衛生協会

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