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文化財保護審議会 平成26年度第2回開催結果

更新日:2015年2月2日 印刷ページ表示

1 日時

 平成27年2月2日(月曜日)13時15分~15時30分

2 会場

 県庁29階 第一特別会議室

3 出席者

 大平良治会長、戸所隆副会長、篠木れい子委員、染川香澄委員、野田香里委員

4 事務局出席者

 吉野勉教育長、洞口正史文化財保護課長、羽鳥尚之埋蔵文化財主監、須藤正巳次長

 文化財活用係:南雲芳昭補佐(係長)、高島英之主幹、飯森康広主幹、齋籐英敏指導主事、橋本順指導主事、田島輝之指導主事、武藤直美主任

 埋蔵文化財係:桜井美枝係長

5 文化財保護審議会の開会

 午後1時15分

6 主催者あいさつ

 群馬県教育委員会教育長からあいさつ。

7 会長あいさつ

 群馬県文化財保護審議会大平良治会長からあいさつ。

8 議事録書名人選出

 議長が今回の議事録書名人に野田委員を指名。

9 傍聴人の報告

 文化財保護課次長が傍聴人は0名であることを報告。

10 報告

  1. 審議委員のご逝去に伴う解嘱について
  2. 文化財活用係の事業について
  3. 埋蔵文化財係の事業について
  4. 県指定文化財の保存事業について
  5. 県指定文化財の現状変更等について
  6. 国県指定等文化財件数について
  7. 来年度事業計画
  8. 専門部会報告

(審議委員)今回の報告の中で、世の中全体の動きもそうだが、デジタルデータに変えていくという事業がある。デジタルデータというのは作った後、どのように活用するかというプランと、何か起こると一切が消滅してしまうということが実際にある。デジタルデータにしたときにどういう形で紛失あるいはシステムダウンに備えるのかということが、全国的にとても重要になってきていると思う。

 もう1点広報について、文化財保護ということで県内外に発信すると、調査、中間報告、最終報告という形で段階を踏んでというのが従来のやり方だったと思う。実際に群馬県の場合、市民の方が県の事業に参加して、非常に良い連携がとれていると思う。付け加えれば、調査の段階が一番魅力的な広報を発信できる大変大きなチャンスである。人というのは結果を伝えられるよりも過程を共有する方が一番ワクワクするので、調査の時点でセットで広報をすると良い。色々な形があると思う。思い切った柔軟な対処を考えていかれると、いい風が群馬に吹いてくるのではないかと思う。

(事務局)デジタルデータ化については、今後どのような形で公開するかというのはこれからの検討になる。保管方法等について十分に検討させていただきたい。調査段階の広報について、今回古墳総合調査では、県民調査員というボランティアの方を多くお願いして調査の協力をいただいている。県民調査員の中間報告会や年度末の成果報告会をやっているが、その際に県民調査員だけでなく一般の方に御参加いただけような形にして、今どのような調査が行われているのか、どのような成果が出ているのかお話しするような形にしたいと思う。

11 審議

 教育委員会から審議会あてに「五料の水神祭」の指定について諮問通知が出された。それに対し、審議会より無形・民俗文化財専門部会あてに調査依頼が行われ、無形・民俗文化財専門部会長より調査報告があった。

(事務局)群馬県教育委員会から群馬県文化財保護審議会あてに群馬県文化財指定について諮問があった。これに対し県文化財保護審議会より無形・民俗文化財専門部会に調査の依頼を行った。

(部会長)五料の水神祭については、平成14年に国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されている。まず、水神祭が行われる佐波郡玉村町は北は前橋市、東は伊勢崎市、西は高崎市及び藤岡市に、南は埼玉県に接している。玉村町の中でも五料地区は南東にあり、利根川と烏川の合流点に位置する。利根川を渡ると伊勢崎市に、烏川を渡ると埼玉県児玉郡上里町となる。

 五料地区は近世初頭に五料河岸が開設されて以来、水上交通の要所として栄えた地区である。対岸の柴宿との間には渡し船が往来しており、地区全体が何らかの形で舟運業や漁業に携わっていたため「船頭のむら」といわれきた。明治中頃まで舟運業が盛んに行われていたといわれる。河川工事に使う石材を妻沼方面へ運ぶ仕事に従事する船頭も多く、石を運ぶ舟は「石船(いしぶね)」とよばれ、水神祭で使う麦わら舟のモデルになったといわれる。

 水神祭は麦わらで製作した大きな舟を地区内で巡行させた後、河原から利根川に流し、水難除けや無病息災を祈願する行事である。起源は明らかでないが、明治時代には、五料の生業を担ってきた船頭たちによって、水難よけや無病息災を祈願する祭りとして行われていた。明治の記録は残っていたが、それ以前は記録がない状況である。五料の舟運業は、交通手段の変化、発達により衰退していったが、船頭の祭りとして始まったといわれている水神祭は、船頭不在の現在も、飯玉神社において五料地区全体の行事として受け継がれている。

 水神祭の主役である麦わら舟は「水神丸」と称し、竹、麦わら、木材、チガヤ等を材料として全長約7メートル、幅約1メートルほど大きさで製作される。麦わら舟の製作は現在は祭りの一週間前に行う。かつては祭り当日とか前日ということもあったが、いまはだいたい一週間前の日曜日に行われている。舟の製作は、五料の1~4号区から選出された総代2名・指揮官4名ずつの計24名(世話役)及び長年の経験者である指導者、後継者数名によって行われる。4年の任期を務めた指揮官の中から数名が後継者とされ、毎年舟の製作に携わることで、技術を習得、地区として継承していこうという体制を整えている。

 指定の理由については、1.精緻な付属品を含む大型の麦わら舟を製作し川に流すという極めて特徴的な行事であり、また川をめぐる民俗信仰を理解する上でも貴重である。2.利根川と烏川が合流し、交通の要所であった五料地区が、かつて「船頭のむら」として栄えた記憶を伝える行事である。3.舟の材料となる麦わらは地区内で生産しており、麦作に関わる民俗としても重要である。4.保存会及び麦わら舟作りの継承の体制が整い、後継者養成が順調であることに加え、麦わら舟制作過程を建築製図技術によって図面化する等、継承方法を強化する取り組みが顕著である。

 以上により、群馬県指定重要無形民俗文化財の指定基準1「風俗習慣」(1)「由来、内容等において群馬県民の基礎的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの」に該当し、群馬県指定重要無形民俗文化財として指定することが妥当であると、無形文化財・民俗文化財専門部会において判断した。

(審議委員)水神信仰の形、祭りのあり方が非常に特徴的ということであるが、ポピュラーなあり方はどのような物であるか。川沿いに結構あったと思うが。

(部会長)非常に難しいところもあるが、例えば富岡などでは大祓の行事と重なって村中を廻って人型などにつけて川に流す『まがごと流し』、水で穢れを流すという物があったのではないかと考えられる。五料の場合は祇園の影響があって災厄を水に流すことがある。また前橋では獅子頭を川に流すということから水に結びつく。そういった点からいうと船に災厄を乗せて流すというのも水神祭の一つのあり方だと思う。かなり祇園の影響を受けているのは確かで、期日にしてもかつては祇園と同じようにおそらく江戸時代では6月15日に行われていたと思われる。その後、明治になってから7月25日になったということでいくと、水神祭としては災厄を水で流す、あるいは祭神を迎えて流すという形の中で様々な影響を受けてこういう形になったと思う。

(審議委員)指定理由の所に麦わら舟の制作技術とか、村を回るとか、期日とか、作る日とか、服装もかつて裸だったのがはっぴを着るとか、変わってきている。時代とともに変化する物と、保存される物がある。今回の重要無形民俗文化財として指定したときの基本的に守らなければならない要件というか、祭りをやっていればいいのか、このあたりがどういうふうになるのか。何らかの指定をすることによって、保存していくとか継承していく、技術を何処の範囲でやっていくか、そのあたりはまずどうなっているのだろう。たがをはめるというか、その辺はいかがか。

(部会長)これは、非常に難しい問題で、無形民俗文化財というのは変化する事が前提である。これを完全な形で、今と同じといっても既に変化されているわけで、それを何処まで記録するのか、やはり指定する以上は、ここは重要というのはなくてはいけないのが非常に悩ましいところ。今考えるに、一つは麦わらで製作した舟を流す、そして地区を巡行した後に流す、というのは一番の基本である。そこは外せないところだし、他にも川に流す行事はあっても、精緻な麦わら舟を作るところが一番の肝心なところかなということだと思う。

(審議委員)指定理由で非常に感心するのは、1995年の国勢調査をしたとき、3300ある市町村の内で、玉村町が全国で4番目の人口流入の激しい町村だった。5年間で9800人新しい人口が入ってきた。新しく入ってきた人達と、旧の住民が上手くコミュニティーを作ってやっているということなのか、リヤカーに積んでとか、若い人が少なくなってしまったのだろうが、そこの所に非常に興味を持っているが、何か気がついたところはあるか。

(部会長)平成9年から後継者制度を作った。元々は地区の総代と指揮官という若手の実働部隊を選んでやっていたのが昭和10年代の記録に残っているが、それがやはり新住民が入ってくると、技術が伝承できていないということで指揮官の中から後継者を選ぶ―もっとよく知っている船頭をやった人達が今もいる―そういった人達を指導者といった形で長老も含めた幅広い形でやって行かざるを得なかった、それが上手く出来たということではないのかと思う。

(審議委員)群馬にはここだけという理解でよいか。

(部会長)川に流すというだけでは他にもあるが、これだけの麦わら舟を作って流す、実際の舟の形を作って流すという意味では、おそらくここだけだと思う。

(議長)無形民俗文化財に指定するということでよろしいか。

(審議委員) (了承)

(議長)それでは答申する。この後記者会見でも報告する。

12 文化財保護審議会の閉会

 午後3時40分