ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織からさがす > 地域創生部 > 文化財保護課 > 文化財保護審議会 平成25年度第1回開催結果

本文

文化財保護審議会 平成25年度第1回開催結果

更新日:2013年8月5日 印刷ページ表示

1 開催日時

 平成25年8月5日(月曜日) 午後1時30分~午後3時35分

2 場所

 群馬県立近代美術館 講堂

3 出席者

 大平良治会長、戸所隆副会長、篠木れい子委員、染川香澄委員、野田香里委員、松本健一委員

4 専門部会出席者

 美術工芸専門部会:榊原悟部会長

 無形・民俗文化財専門部会:飯島康夫部会長、志田俊子委員

5 事務局出席者

 柿沼則久文化財保護課長、洞口正史埋蔵文化財主監、須藤正巳次長、

 文化財活用係:南雲芳昭補佐(係長)、高島英之主幹、齊藤英敏指導主事、坪内陽祐指導主事、橋本淳指導主事、田島輝之指導主事

 埋蔵文化財係:桜井美枝係長

6 文化財保護審議会の開会

 午後1時30分

7 会長あいさつ

 群馬県文化財保護審議会大平会長より、あいさつ。

8 議事録署名人選出

 議長が、今回の議事録署名人に染川委員を指名。

9 傍聴制限確認

 文化財保護課埋蔵文化財主監により、審議事項については非公開、その他の報告事項については公開の提案がなされ、委員により承認された。

10 審議事項

(1)「柳橋水車図屏風」の指定について

(事務局)指定文化財候補について説明

(委員 指定に関し異議なし)

(議長)審議していただいた結果、「柳橋水車図屏風」は諮問どおり指定文化財とすることで答申する。

(2)「脇差(銘)喜翁藤原直胤」の指定解除について

(事務局)指定文化財解除候補について説明

(審議委員)解除について問題は無いと思うが、今まで藤原(ふじわら)と読んでいたのか、あるいは銘自体は藤原の藤(トウ)と読むのか。江戸時代はほとんど中国の文化を理想にしていたので、日本人はだいたい姓は2字で、中国人は全部1字である。例えば、王とか金とか蒋とかである。例えば荻生徂徠は物部氏だが、「物(ぶつ)徂徠」というふうにわざわざ「物部」と書かないで、「物(ぶつ)徂徠」と書く。その場合は、言い方とすれば、「藤原(ふじわらの)直胤」ではなくて、「藤(トウ)直胤」という言い方になるという気がするのだが。

(事務局)下の写真に、目釘穴の左に「藤」の1文字が見える。漢字が3文字あり、目釘穴にいちばん近い文字が「藤」の字だが、刀剣審査委員の先生に聞くと、「藤」という字で「原」も中に含んだ、特殊な刻し方をした作者で、読むときは、「藤原(ふじわらの)」ということでよいそうである。ただ、インターネット等で調べると、委員の言う「藤(ふじ、トウ)」で読んでいる例もあった。

(専門部会長)こういう場合の銘文の表記の仕方は、厳密に実際に刻してあるように書くべきではないかと考える。となれば当然、そのまま(3文字)のほうが良いように思われる。銘に「喜翁藤(トウ)直胤」と実際銘文があるわけなので、これを尊重すべきであろうと。解釈としては、今説明があったとおりでよいのではないか。それのほうが、実物に即した表記の仕方で、適当ではないかと思う。

(審議委員)部会長より必要な調査を実施ということだが、必要な調査というはどのような調査か。

(専門部会長)美術品の場合には、こういう事態は暗い過去があり、おそらくはご遺族が処分した、ということだと思う。美術品は地下に潜ったらわからない。

(事務局)平成23年度に、群馬県では刀剣の重文指定を6件解除した。その後、毎年調査をすることとなり、市町村の担当者に調査を依頼したところ、最近また行方不明が出てきたということである。長男の方が継いでいたのだが亡くなられ、現所有者はそのお姉さんということで、有無を聞いたところ、もう解らないということであった。

(専門部会長)ついでに申し上げると、先ほどの「柳橋水車図屏風」のもう半分がどこかにあると思う。あれだけの良い状態で残っているわけであるので、水がかかったか、火事にでもならない限り、あると思う。それがいずれ出てくるのが、日本の面白いところである。美術品の伝来そのものは、作品そのものよりも面白い部分もあり、出てくるのを期待したいと思う。

(事務局)先ほどの名称だが、昭和34年に指定したときの名称が、「藤原直胤(ふじわらのなおたね)」ということになっている。解除の時も、そのままということで御了承いただきたい。

(審議委員)こういう場合、相続されたら無いということで、その方はたいへん心苦しく思っているのではないか。これからの30年間を考えると、ほとんどの所有者が高齢化されて、どこかにおいてしまうとか、今後、こういう例が増えると思われる。個人が意識的に売るというのは、いけないことなのか。それとも個人の自由と説明をするのか。文化財の所有者が、どのような行動とればよいのか。

(議長)今後、高齢者が増えていくと思われるが、指定するときに所有者に、売買は自由なのか等、説明はするのか。

(事務局)売買は基本的には自由である。指定文化財については、新しい所有者が重要文化財の所有者変更届と、銃刀法の所有者変更届の両方が必要となってくる。

(議長)銃刀法は公安委員会・警察署が所管か。

(事務局)登録事務については、美術品ということで戦後から各県の教育委員会が、登録事務をしている。美術品としての審査は、年に6回群馬県では審査会を開催しており、いまだに1回に付き30~40件くらい、蔵等から発見される。

(審議委員)毎年、有るのか無いのかということを、審査していかないといけない。実際、意識のある家族であっても、解らないということが結構あると思う。突然刀が出てきたり、「銃刀法に引っかかる」ということがある。登録した時・指定された時の所有者は分かっているが、その所有者が亡くなることで、文化財が無くなっていくことは、結構あるのではないか。意識してもらうだけでも、随分違うのではないか。おそらく、相当な人が意識していないものがあるのではないか。大学でも、訳の分からないものが出てくることがある。大学ですらそうだから、その辺を考えると、教育委員会で指定したものと、所有者との間をつなぐような、うまく法律にしていくような形がないと、もたないのではないか。

(議長)委員がおっしゃったように、高齢化が進み、所有者が痴呆になってしまったとかの状況があると、後見人制度を利用するとか、必要になってくるのか。

(審議委員)私は萩のふるさと大使をやっているのだが、萩はまちじゅう博物館というふうに言っていて、江戸時代の木戸孝允等の屋敷が残っている。それを文化財指定するといじってはいけない。例えばクーラーを付けるのも、届けなければいけない。そのかわりそのままの形で見えるのならば、クーラー代は萩市で出しましょう、ということになる。そうするとできるだけいじらないし、管理費も少ないけれども出してくれる。刀剣の場合はわからないが、刀剣などでも手入れをしないと錆が付いてしまう。ただ文化財指定するだけでなく、保護してくれというのだったら、それとペアでお金の問題とか、補修とかされているのか。

(事務局)群馬県指定文化財になると修理等する場合には、全額の7割が補助になる。さらに地元の市町村と所有者で、残り3割を折半となる。今回の解除の所有者も、補助事業の対象になっている。前橋市が何回か現物を見せて下さい、というやりとりをやっていた。しかし、所有者側も亡くなる前で、対応できないから来ないでください、ということもあり、ここまで対応が延びたという現状がある。

(審議委員)重要文化財に指定する意義は、何だということだと思う。たいへん貴重なものが群馬県にあるということで、指定になると思う。その指定したものが、どこか古い家に置いてある。それが指定なのか。美術館だとかお寺ならわかりやすいが。

(議長)相続の場合も、届出が必要なのか。

(事務局)相続の場合も所有者変更は、必要となってくる。

(事務局)6件指定解除の件で記者会見した時、新聞記者から指定だけして、あとはお構いなしなのか。というようなことを、大分お叱りを受けた。また、指定後の管理について質問があったが、国指定でも県指定でも、文化財の指定後の管理は市町村となる。そして、市町村に毎年、文化財がどこにあるのかというのを、市町村に調査するようにとお願いしてある。今回の件については、生前の持ち主の長男の方が「あるある」といって、見せてくれない。市町村が「有るのなら確認させて下さい」と言ってみても、「有るけど、今は見せられない」というやりとりが何度もあった。

 私どもも、「あるのならしっかり管理してください」ですませていた部分もあるが、23年度の6件解除以来、「今後は、かなり強く現物を確認してください」というお願いを、市町村にしている。そうしたところ、また1件出てきたということである。その時に、重要文化財の重要性とか、管理について説明するようにしている。

(議長)この市町村が管理することは、昭和51年からそうなっているのか。

(事務局)文化財の管理は、基本的に市町村にやってもらう。かなり重要な物は国や県が直接というものもある。

(議長)2000年の分権一括法でそうなったのか。昭和51年から。

(事務局)分権一括法よりも前から、市町村がやることになっている。

(議長)委員からあったように、相続人がかなり高齢化してくる。認知症(認知症)の人も増えてくる。そのあたりの手当ても必要となってくるだろうか。

(事務局)個人によって持ちきれない場合には、所有権はそのままで、公立博物館への寄託をするとか、あるいは県にご相談くださいと、言っている。ちなみに、国の重要文化財・国宝については、国外への持ち出しは法律で禁止している。外交的な贈り物の場合は、例外規定もある。明治維新・戦争直後等は、知らないうちに国外へ渡ったものも多いようだ。

(議長)この件についてはよろしいか。

(委員 指定解除に関し異議なし)

(議長)群馬県についても最近、国立人口問題研究所の2040年の非常にショッキングな推計が出て、群馬県の人口が200万だが、162万くらいになるだろう、あと27年だが、19%減となる。なお、10から14歳は40%を超える減少率を示す。そのため相続した場合にも、難しくなると思われる。今出た意見を尊重していただき、今後の行政指導・文化財保護条例の実施等に活かしていいただきたいと思う。

  審議していただいた結果、全員一致ということで、「脇差(銘)喜翁藤原直胤」の指定解除を了解・了承する。

(3)「群馬の粉食文化・オキリコミ」の選択について

(事務局)選択文化財候補について説明

(議長)専門部会委員のほうから何かあったらお願いする。

(専門部会委員)今回作成するときに、色々と話させてもらい、私の方からは特にない。群馬に来た20代から生活を送ってきたが、こんな嬉しいことはない。

(審議委員)私は前橋生まれで、子供の時から太田に住んでいるのだが、オキリコミという名前も知らないし、食べたのが前回の審議会の後に、県庁の上の食堂で食べたのが初めてである。選択について批判をするわけではないが、これが県民全体の食文化の代表ということになると、どうも躊躇するところがある。焼きまんじゅうは、子供の時からお祭りの時や、お寺などでも売っていて、今でも食べているが、オキリコミはそういうふうに使った記憶がないと聞くことがある。例えば、そういう人を納得させる為には、地域が違うとかあるが、例えば群馬県人の文化人とか、あるいは詩人とかが自分の記憶の中でこうだったとか、自伝の中でこう書いているとか、そういうことが事実として出てくると群馬県以外の人にも納得させ易いし、もちろん県内の人にも「ここにきちんと載っていますよ」と言えると思う。

  それが写真だったり、作り方だけだったりすると、どうなのかなという懸念がある。

(専門部会委員)おっしゃるとおりで私も本県の出身ではなく、3月に学校を卒業して4月早々に群馬に入った。畜産試験場で、これが群馬の名物だと父が言ったのが焼きまんじゅうであった。それを見たときに、こんな代用食が群馬の名物、私これからどんな人生を送るのだろう、と思った。

 その後、教職につき、栄養研究部の顧問になったときに、学生に「先生、群馬の食の研究って何をしたらよいのでしょうか。」って聞かれたが、即答できなかった。まさか焼きまんじゅうとかオキリコミとか、それだけのエネルギーも、知識も、積極性もなかったので躊躇した。学校に勤める前に企業に勤め、農協の料理講習をしていた。その時は昭和30年代で本当に群馬の食は貧しかった。私は以前は高知におり、豊かな食生活を送り、その後、群馬に来たので、ものすごいカルチャーショックだった。常にそういう思いがあり、これは何とかしなければいけないと思った。それでもやはり研究対象といったら、オキリコミしかなかった。何も他に意識がいかなかったというか、研究対象として取り上げるべき食が無かった。

  その時、私が学生にかけた自棄の言葉が「皆そんなに研究したいなら、オキリコミでもすればいいじゃない」であった。自分も若かったし、学生との年齢も近かったから、捨て台詞を私は言った。

 自分ではドサマワリと位置付けているのだが、最初勤めた会社の仕事で農協を通って農家にいっていた。

  農家の料理講習に歩いた時に、「あのおば様たちが作っていたオキリコミを、お前が作れるのか」と自問した。そうしたら、とても私にできる技ではなかった。それを何気なく打って食べさせている、群馬の私たちより一世代前のご婦人たちの技術・思いというものをそこで感じ、これは何とか残していかなければいけないものだと思った。でも残す方法も無く、どうしたらよいのか、まったくわからなかった。

 その時にある学生が、「先生、オキリコミの研究はどうでしょうか」と聞いたので、「皆がやりたければ、やったらいいじゃない!」という、そんな程度の状況だった。しかし学生だけ放っておくわけにもいかず、私も担当ごとに調査するところを見て回った。

 初め勤めた食品会社が農協に商品を卸していた関係で、料理講習に参加したのだが、そこで群馬県では、みんな家庭の主婦がオキリコミを打てると知った。4年間やった後で考えてみると、あれだけの技術を残しておいて、このまま製品のうどんに頼っていくのでは、せっかく祖先が残してくれた産物と技術が、そこでカットされてしまう、と思ったのが学校に勤めてからである。現実には「ドサマワリ」に行った時の体験が、学校に移ってから思いに変わったという歴史がある。群馬で食の研究をするのなら、オキリコミをさしおいてその他にないと結論に達した。そこから研究が始った。

(審議委員)農協団体とか、栄養の学校の地域はどのようなところか。

(専門部会委員)調査をした地域は数が多くて、即答できない。

(専門部会長)専門部会委員の報告書だが、中部・西部・北部・東部で調査をしている。それぞれ5か所。例えば東部であれば、太田市・新田町・西邑楽などで、延べ966名に調査をして、その内容を調べている。確かに東部については、「オキリコミ」という名称ではない。「ニボウトウ」とか「煮込みうどん」系が多い。「オキリコミ」という名称ではなくて、所謂、下ゆでしないで、粉で作って煮込むものとして、あったということである。

(審議委員)私はそういうことはしなかったが、煮込みでうどんは作った。地図が載っていて、実際に名称が違うが、全県的に広がっているかわからないが、特にどのあたりを中心とした名称なのか。

(専門部会委員)全県下でそれぞれオキリコミを作っていた。作り方は水の量など細かいところは違うが、出来たものは、要するにうどんの太いようなものである。今年になってからも2回食べたが、あの技術を残さずして食の技術は残らない。私は県外の出身だが、群馬に来たときは、群馬の食を軽蔑していた。畜産試験場で最初に食べたのが、焼きまんじゅうだったので。「そんなものが食べ物」と言って、父親に怒られた。その同じ富士見村でオキリコミを見たときには、脱帽した。ものが言えなかった。「食は命の基本、体をつくり心をつなぐ」というのが私のメッセージである。

(審議委員)私は群馬県の出身で、30年は県内で過ごしたのだが、一言で言うと、群馬県は畑作社会、畑作文化。粉食というが、それが特色。文化というのは、こうも違うのかということを申し上げると、私自身が学生時代京都で暮らしたときにオキリコミが食べたいと思って作ったのだが、京都の粉は汁をはじいてしまう。群馬の地粉は、汁を吸ってしみこむ、粉が違うのである。讃岐うどんも違ったものである。ということで、(群馬から)粉を送ってもらった。そして、京都・滋賀で粉を挽いてもらおうと思ったら、所謂、粉を挽けない。つぶすだけなのである。出てきたのを見たら、めちゃくちゃでパンの材料にする以外にないような、ふすまとか含んだ物で、栄養は良いのかもしれないが。でも、もったいないので、パンを焼いたりして苦労して食べた。でもそういうことを考えた時に、粉の挽き方ひとつでも、やはり文化の違いはある、と感じた。

  私は「オキリコミ」というのは、確かに群馬のここで言われていることになる。ただ、これをどういうふうに伝えるか、もう少し工夫が必要という印象は感じた。

 粉食文化としての過去と現代について。かつて子供の頃地理を学んだ頃に、海の工場、山の工場っていわれた。だいたいこのあたりは、日清製粉とか日東製粉とか、高崎駅・前橋駅のまわりに製粉会社あり、たとえば現在の高崎のパスタとかに展開してくる粉の文化というのがある。

  福田赳夫さんが農林大臣の時に、自分は群馬町の出身で、オキリコミをみんなと一緒に食べた。そういう生活をしていた。中曽根さんは都市的。福田さんは百姓的、非常に親しみやすいというのが、私の周りの人たちにあった。そういう一つの文化はある。

  私は「粉食文化・オキリコミ」というのは、良いと思う、もう少し粉食文化として、その一つの代表例としてオキリコミというのがもっと強く出してくる。そのバックに群馬県は粉食文化でできあがってきているんだ、という事が必要になる。その裏にはもう一つは、感覚的に言うと東毛は少ない。農業、製糸業であり、中毛・西毛・北毛を中心に百姓の自家製で、時間がない時は非常に早い、塩を入れないので血圧にも良い、一つの鍋を囲んで食べられる。もっと広い意味での、群馬の粉食文化、単純な、山梨とは違うっていうことを出していけないか。

(専門部会委員)「切り込み」うどんに「お」をつけたもの。「お」というのは、日本語では敬語のはずで、切り込みうどんで良かったのではないか。

(議長)蚕もお蚕という。

(専門部会委員)色々なところに行ったので、比較的方言は話せる方なのだが、私が歩いたところでは、高知ではうどんに「お」をつけて、「おうどん」という。長野でも東北地方でも「おうどん」とか、「お」を付けたということは、他では私の行った範囲では聞いたことがない。

(審議委員)委員の質問に私が、答えたい。伊藤新吉さんである。明治39年元総社の生まれで、その方のエッセイの中では出てくる。食べ物の風景として、詩人の感性と疑似体験を背景にして、幼き日の風景はドドメとおっきりこみに象徴されている。伊藤先生の80代の友達に調査したときは、一年365日の300日ほとんど食べていたという証言も記されている。東はそれほどないが、山間部と西の方は残っている。先生方の年齢より若い、都市部のシングルの方は知らないと思う。お店で食べるということだと思う。

  もう一つ大事なことは、「オキリコミ」と「焼きまんじゅう」とカタカナとひらがなと漢字が混じっていることである。言葉の問題と深く文化は係わっている。皆、「まんじゅう」といったときには、皆さんご自分のおまんじゅうは一個しかないと思うだろうが、西の人は「団子」ですかといわれたりする。そのためカタカナ・ひらがな・漢字は意識して扱う。実際、物の説明の時は、マークをつけてあげないといけない。また、ひらがな・カタカナもどういう意味を持っているのかも、区別をしなくてはいけない。それをきちっとすることが、とても大切だと思う。

  それから「お」の問題だが、うどんはものの名前だから、「お」をつけると丁寧語や尊敬語になるが、「キリコミ」「焼き」というのは動詞の連用形で、「お」をつけて初めてものの名前になる。そのため、今の説明は、少し不適当かと思う。

  ただし、専門部会委員にエールを送るならば、生活の中の食文化という指定をすると、地域の情勢も分かるし、天候はどんなだとか、食文化を中心に経済的なこと、教育とか全部複合的に絡まり、背景まで含めて(情報を)取ってくると、ものすごく意味があると思う。それから、言葉では、当たり前と思う言葉でも、印象の違いがこの分野ではたくさんある。言葉を作って与えて、たくさんあるということで、名づけの心を大切にしなくてはいけない。心をつないでいく中枢になると思うので、せっかく保存の調査をするのだから、色々な専門分野の人たちと、プロジェクトを組んで意見を戦わせながらやっていただきたいと思う。

(審議委員)繭との関係で、今、世界遺産で富岡製糸場、結局群馬というのはお蚕、原料の蚕から繭、製糸、機織り。今でいう、六次産業。そういう、一方で非常に貧しかった。産業を支えたバックの中に粉文化というのがある。今の横浜を造ったのは群馬県人が中心にいる。

  製糸場、近代化という、そのバックに食文化があって。もう一つ、「すいとん」というのがあるが、今でも食べるのだが、お蚕と関連してくる。現在の富士重工にしてもその系統にあるわけで、現代の企業文化につながってくるというあたりも含めて、言い切れるかどうかはわからないが、広い視野から群馬の粉食文化を象徴するというのが必要なのでは。

(議長)委員から、群馬県で一般的なのかという問題提起があったが、私も挨拶で申しあげたが、プロテスタントのキリスト教がなぜ西上州を中心に入ったかということについて、隅谷三喜男先生が、著作集第8巻の中で、「群馬県は、福音の民にとって良き地であり、養蚕製糸は水田耕作と異なって農村共同体規制が弱く、商品経済とも結びついていて、家の独立性を強めた。」ということを言っておらる。隅谷先生は、安中を自分の研究の出発点にした人なのだが、畑作とキリスト教を結びつけて考えているような人であり、無理かもしれないが、麦作文化、畑作文化との関係を考えると、プロテスタント、キリスト教が受容されたのかなと。

  また、委員の専門かもしれないが、群馬の伝統芸能、農村歌舞伎・人形芝居、戦後44ヶ所ぐらいあるが、調べると山間部・麦作文化と非常に関係あるのではないか。独断・偏見かもしれないが、米本位制の江戸時代にあって、商品交換、商品の農作物に対する課税が、ある意味捕捉が不十分だった。だから、農村歌舞伎や人形芝居が、むしろ貧しいと言われた農村地帯・西上州に残っているのではないかという気がしている。広く言うと畑作・麦作文化とつながりがあるのではないか。

(審議委員)この候補の定義というものが、どのようなものかというのが、書かれているものでは、私には分かりにくいところがある。「群馬の粉食文化&オキリコミ」なのか、粉食文化がいろいろある中で、「オキリコミ」が一番有名なので、選択して他を切り捨てるのか。文化財に選択して文字化されたときに、これだけが県内の人たちにとっては、それで認識されると思うのだが。逆にそうやって定義されてしまうだけに、文化財に選定されてしまうと「粉食文化・オキリコミ」に他のものが含まれているのか、周辺ものを含めるのか、「オキリコミ」のみにするのか。それとも委員のおっしゃったようにカタカナなのかひらがななのか、名称にしたとたんに、全国区になるので、「オヤキ」がカタカナで、「すいとん」がひらがなで、「ヤキモチ」がカタカナで、では「オキリコミ」はカタカナで認定してしまって本当にいいのか、ということも知りたい。

(議長)定義というか、範囲というか。

(専門部会長)名称については、まずは群馬の粉食文化は幅広い畑作・麦作の文化があり、その中の一つとして見ている。もちろん、他にここにもあげている。群馬の粉食文化の、まず群馬の特色としての「オキリコミ」があるということである。「オキリコミ」をカタカナにしたのは、民俗学の方では一般の人々が使っているものを名称にした場合、慣習的にカタカナ表記にすることにならったものである。

(議長)群馬の粉食文化の代表例として「オキリコミ」ということである。

(審議委員より「そういうふうには取れない。」との発言あり。)

(議長)今の説明では群馬の粉食文化があって、その代表例の「オキリコミ」をここに表した。ということか。

(専門部会委員)例えば食文化の一例として、焼きまんじゅうもあるし、お焼きもある。

(審議委員)そういうことは、「お焼き」も、今後含まれるということか。

(専門部会委員)違う。ここでは、例ということを意味している。粉食文化の一部ということを御理解いただきたい。

(事務局)「群馬の粉食文化・オキリコミ」という表記だが、群馬の粉食文化として今後調査を進めていき、オキリコミの次に今ここで出てきたようなものを、群馬の粉食文化パート2、パート3、パート4として、どんどん同様の措置を講じていくような意味を込めて、このような表記をさせていただいた。

(議長)いかがか。

(審議委員)今の説明だとすれば、粉食文化の大きな枠組みがあって、その中の一例だとすればハイフンにしたらどうか。

(議長)今の説明で、委員は「群馬の粉食文化-オキリコミ」であると。

(審議委員)表記の問題も、全体の文章の問題にからんでくると思う。例えば粉食文化と言っているけれども、それは麺類に限っているのか、それとも館林の方で言うと麦落雁、麦だったら落雁、というふうに館林の方ではいうのではないか。麦落雁は世界に出しても通用する菓子で、そういう意味でいうと、オキリコミは世界に通用する文化と考えるか、そうではなくて我々の固有の地方の文化というのか、それによって流れも変わってくるのではないではないか。

  委員のおっしゃたように、群馬の日清製粉は、うどんの粉を使って産業が起こってきたと考えると、結果とすると今でも日清製粉、正田醤油もそういう流れで来ており、もう少し文面を考え直すということと、粉食文化で群馬県は成り立っているということを前面に出して、その象徴として「オキリコミ」があるちというのだと、非常にわかる。また粉食文化には「焼きまんじゅう」もある、何でもある、もしかしたら「落雁」もあるとやっていただくと。「五家宝」は埼玉で、お米なのである。粉食文化であるとふうに指定をするならば、表現と広がり、なおかつ「オキリコミ」を象徴として出す、今なぜ皆さんに認識してほしいのかという、検証的なこと必要なのではないか。

(議長)委員の、もう少し広くという点についてはいかがか。

(事務局)今の委員のご指摘があった件については、私どもが初めに説明しなければならないことであった。おっしゃっるとおり、菓子もそうであるし、群馬の食生活あるいは主食ではなくてもおやつ等、群馬県民の衣食住の典型例のようなものについて選択をしていくわけなのだが、その中で「オキリコミ」に限らず「焼きまんじゅう」等も可能性としては考えていた。その中の一つとして、まず先頭を切って、県民が一番よく知っている「オキリコミ」とすべきであったのかな、という気もする。

  ハイフンについてだが、言われてみればハイフンのほうが良かったような気もする。

(審議委員)一部修正と申し上げたが、本音は委員と同じである。もう一度、きちっと書き直して位置づけをしていただきたい。

(審議委員)私も基本的に、委員と同じである。文化財というのは過去のものであるかもしれないが、現在であり、未来につないでいくものである。今、群馬が粉食文化と考えているのは、群馬県の人はそう思っているかもしれないが、学生たちにしても、結構多くの人は、粉食文化はうどん県・香川県である。群馬は全く違う文化、何のブランド力もない。たとえばラーメンにしても、トップの日清製粉は大阪だが、ナンバー2のサンヨー食品は前橋である。色々なラーメンなり、餃子なり、群馬にはあるわけである。まさに、これから生きていく子供たちにしても、係わってくる。非常によいのだが、打ち出し方が、もう少し幅広くかつ深く行って欲しいと思う。

(議長)色々な意見をいただき、終了時間がだいぶせまってきているのだが。

(事務局)早めに説明するべきだったのだが、今回の「選択」という二文字の説明をさせていただきたい。指定ということではないのだが、文化財保護条例の37条と29条を取り上げた。指定等の基準第10「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財の選択基準」という文言があり、ここで「選択」という言葉が出てくる。その1の(1)に、今回該当する。無形の民俗文化財は日々の生活の中で過ごしていくものが多いわけである。祭礼や行事はまた別だが、その中で「指定」というしっかりしたものを、そのままの形で将来に向けて保護保存していく制度は、無形の民俗文化財にはなじまないということが一つ。「選択」は今まで下準備をして審議をしていただくのだが、ここで「選択」にして、これからより詳しく詳細に調査をして記録をしていくということである。調査の中で新しい事や、詳しい事実が出てくるかもしれない。そういった調査を、記録をしながら行っていくというのが、「指定」とはまた違った「選択」というものになる。ちなみに、今回推挙する「粉食文化・オキリコミ」が、「選択」として審議する初めての案件となる。

(議長)「選択」はこれから調査をしていく際の出発点になるということで、今日決めていただきたい、ということのようだが、委員から、粉食文化という広い視点から「オキリコミ」だけではなく、文面もそういうふうにしてもらいたい、ということも含めてこの「選択」の対象にする、ということを今日は決める。「選択」の対象として「群馬の粉食文化」ということで決めて、その中にオキリコミが代表例なのであるが、調査しながらやっていくということでいかがか。

(審議委員)これは仮のもので、表には出ていかないのか。

(議長)これから記者会見に持って行く。ここで諮問に対して答申するわけだが、その答申事項というのは「群馬の粉食文化・オキリコミ」でいくのか。

(事務局)今回は、粉食文化の中の「オキリコミ」ということで、選択してもらう。そのため将来的に、他の「焼きまんじゅう」とかの粉食文化が、今後、この中には入ってくる可能性は十分あり得るということである。それはまた調査によって、審議してもらうこととなる。

(審議委員)文化財ということであれば、まず初めに粉食文化というものがどういうものであり、群馬県に特徴があると。麦作が多いという特徴がここに書いてあるけれど、それ自体が文化財になっているといえるとよい。私たちは子供の頃、冬は麦踏みを必ずした。その麦踏みも、今はやっていないが、粉食文化を育てた文化財になってくる、というふうな広がりを持った上で規定して、これが群馬の文化の特徴であると規定した上で、いくつもの食べ物が出てきたりする、その中で「オキリコミ」をメインに指定して欲しいと言うことの、厳格な順番規定が必要ではないかという気がする。選択だから、「オキリコミ」でいいのではないかというのは、ちょっと安易に走っている、という気がしないではない。

(議長)そうすると今回は、答申の是非は、ハイフンにしたり、オキリコミというの引っ込めてやるかということか。

(審議委員)文面以前に、粉食文化が群馬県の特徴であるということを、もう少し強く出していく。具体例でいうと伊藤信吉さんの本に書かれているというように。そうすると、群馬県は粉食文化なのだなと。それの代表例が讃岐のうどんみたいにいかないで、「オキリコミ」とかいくつもの食品があげられるけれども、今回は「オキリコミ」というふうな、順序立てて納得できるような形を取った方がいいのではないかという気がする。

(議長)いかがか。

(事務局)大変貴重な意見である。各委員のご意見を参考にさせていただき、これこら調査していきたいと思う。あくまでも選択という制度は、最初からしっかりと決めてのスタートではなく、ある程度の価値付けをし、審議していただき、「選択」後には、今出た意見を参考にして、詳しい調査をしていくのが選択制度だと思っている。

(審議委員)今、二つに分かれているようである。今日これをどうしても通さなければならないのか、あるいは、「オキリコミ」や粉食文化を指定するのには基本的に異論はないと思う。しかし、社会に対して、今後の広がりに対して、その受け取り方も違うため、そこの出し方というのを少し考えてみてはどうか。まず最初に粉食文化の定義をきちんとし、共通の認識をした上で、その中でそれがしっかりしていれば選択というものも生きてくる。逆に先に選択してしまうと、最後に粉食文化って何ということになってしまう。今日認めないといろいろな点で不都合があるか。そうでなければ、慌てなくてもいいと思う。

(専門部会委員)ここへテーマを出した者として、一言申し上げたい。人間の生活の基本は衣食住であり、衣と住は形がきちっとしているので何をするのにも評価判断ができやすい。でも食の場合は各委員のご意見どおりで千差万別である。A家のオキリコミはB家のオキリコミと中身も違うし作る人も違うし、味付けや作り方も違う、基本的に言って全部一律にしていいのかという問題まで突っ込んでいくことになる。決めるときにはいろいろ約束事が大切なので、十分審議していただき各委員の意見交換をしていただく。私の願いは、生きている間に命の基本、食を是非文化財にしていただきたい。「食は命の基本、体をつくり、心をつなぐ」そういうものであると申し上げたい。

(議長)それでは時間もあるので、群馬の粉食文化・オキリコミ審議事項について、このままで選択の対象として調査をしていくものと、もう一度広い文脈の中で粉食文化を位置付けて、もう一度この審議会を委員の意見を反映させた形で提出してもらう。この二つになるのではないかと思うが、いかがか。

(事務局)粉食文化の内容を固めることも大切だが、何かを一つ取り上げて、その中で粉食文化というのを広く研究することもあるのではないか。「選択」というのはある特定のものを対象にして深く掘り下げて、その研究に基づいて、文字や映像で記録する。研究対象として、狙いを定めるのが「選択」である。私どもとしては一旦、「群馬の粉食文化・オキリコミ」を選択させていただき、その中で農学・地理学・食糧学・家政学など各分野を動員して、粉食文化という研究を深めたいと思っている。

(議長)事務局からは、今日のところは、できればこの粉食文化で指定してもらい、今後調査をしていきたいということなのだが。どうか。

(審議委員)延びてもいいのでは。

(審議委員)質問だが、文化財に指定されるのは、住民にとって大きな喜びであり、富士山の例でも分かるように、そのことでお店が文化財なのよって出したり、一般の方とつながっていくことだと考える。「オキリコミ」でない地域の方から、なぜ「オキリコミ」なのか、と聞かれたときに、きちんと答えられるよう認識が、今日得られたのか。次に他の粉食文化が、同じような粉食文化が続いた時に、県民の方がどう思うのか。次に選択されるのが何年後になるのか、次は何が選択されるのだろう、ということがわからない。そういうことが、県民の皆さんや近隣の皆さんにきちんと返事ができるような、事務局や専門部会の方々が固まっているような状況かどうかを知りたい。

(議長)時間がなくなってしまったが、他に何かあるか。

(事務局)ただ今の名称に関することだが、「オキリコミ」であり、数字的には「オキリコミ」という名称の使用率が一番高い。私は大泉町・東部なので、オキリコミはなじみがないのだが、伊勢崎から西の人はなじみがある。

(議長)審議会としてどうするかということで、委員から2月にもう少し文脈を広げて、明記の仕方等も変えて、もう一回ご審議いただくという案があったが、2月になった場合何か支障があるか。

(事務局)実は審議会の内容については、今日記者会見をしようと思っているのだが、県の記者クラブの方から、翌日の記事になるのには1週間前までに資料を出してくれと依頼されている。広い観点でもう一回検討するということであれば、その点は直ちに修正を入れなければならないが、当然審議結果が異なれば、それに従って修正することとなる。それ以外では、大きな影響はない。

(議長)お聞きの通り、基本的には各委員賛成であり、この群馬の粉食文化を文化財の選択の対象にするということで異論はないといことである。その説明の仕方、提示の仕方を少し工夫をして欲しい。そのため今回は一応保留という言い方がいいのではないか。今の意見を反映させた上で次に正式に決定すると、こういう意見が審議会の大勢だと思うのだが、いかがか。

(専門部会長)今の委員の質問の中にあったのだが、ほかがいつ選択になるかということなのだが、群馬の粉食文化の中で特に広く知られていて、かつ研究の比較的されているのが「オキリコミ」だということで、まずこれを最初に選択する。それ以外についてはこれから調査する。それに比べると、「オキリコミ」というのはある程度研究成果が出ている。是非選択して「オキリコミ」から記録保存をしていきたい。確かに内容の文章が「群馬の粉食文化」となってしまったのは、おっしゃったとおりかもしれないが。

(議長)2つの選択があるのだが、原案どおり「群馬の粉食文化・オキリコミ」。「・」にするか「-(ハイフン)」にするかは別として、今回この案で決定するか、または、この次はもう少し説明の内容を変えたりしながらもう一度出して、ということだが。

(審議委員)このテーマは、無形の文化財の第1号ということで、ものすごい広がりを持って、専門部会委員のおっしゃったところの食が、これ程大事なことだとわかってきて、ものすごい価値の高いものだと全員が思っていて、だからなおさら専門部会委員が生きてる間という思いを抱いておいでで、専門部会委員のお名前が出てくるのならば、知らない人がこれを読んだときに、「ああそうなの」ってことが確認もでき、将来「ここからスタートするのね」って、非常に楽しみになってくると思う。たくさんの研究をなさっていて、専門部会委員の心、背景があって今この問題が集約されて集大成できる方向に、みんなで力を合わせてやっていく方向に、いってほしい。

  選択といえどもスタートするには、まず一つやってみて、まず一つ確かものをやってみて、後で加えていけばということではなくて。やはり、全体像が想定されていて、筋の見通しが立っている形で、記者会見に臨んでほしいというのが切なる願いで、ここで結構ですでは、もう仕方ありませんねってことにはならない。

(議長)委員のお考えは、私の提案した後者ということになるわけだが、もう少し広く、強く出してもらうために、今回は一応保留ということでよいか。記者会見に臨む私の方から、よく説明をするということでよいか。

  くれぐれも誤解のないように、当審議会の大方の意見としては大賛成ではあり、全員一致である。出し方をもう少し、強く広くしてほしいということで、今回は一時保留ということで了解をしていただきたい。

(選択に関しては継続審議となる)

11 文化財保護審議会の閉会

 午後3時35分