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文化財保護審議会 平成30年度第2回開催結果

更新日:2021年12月23日 印刷ページ表示

1 日時

平成31年2月1日(金曜日)13時30分~15時40分

2 会場

群馬県庁第一特別会議室

3 出席者

 戸所隆会長、村田敬一副会長、飯島康夫委員、金澤好一委員、榊原悟委員、染川香澄委員、野田香里委員、右島和夫委員、宮崎俊弥委員

4 事務局出席者

笠原寛教育長、古澤勝幸文化財保護課長、青木道則次長
文化財活用係:齋藤英敏係長、井野千春指導主事、橋本淳指導主事、小林正主幹、長谷川博幸指導主事、小堀高広指導主事、今城未知文化財保護主事
埋蔵文化財係:桜井美枝補佐(係長)

5 開会

 13時30分

6 挨拶

  • 群馬県教育委員会教育長 主催者挨拶(笠原寛教育長)
  • 群馬県文化財保護審議会 会長挨拶(戸所隆会長)
  • 群馬県文化財保護審議会 副会長挨拶(村田敬一副会長)

7  議事録署名人選出

 議長が今回の議事録署名人に飯島・染川委員を指名。

8 傍聴人の報告

 事務局が、1名であることを報告。

9 傍聴制限確認

 事務局から、部会報告と審議事項については非公開、その他については公開とする提案がなされ、委員に承認された。

10 内容

報告事項

  1. 平成30年度文化財保護課主要事業
    1. 文化財活用係の事業について
    2. 埋蔵文化財係の事業について
  2. 群馬県指定文化財の保存事業について
  3. 群馬県指定文化財の現状変更等について
  4. 国県指定等文化財数について

質疑

(議長)質問・意見があればお願いする。

(審議委員)これからの課題はSNS等の活用だと思う。例えば、広報普及活動の「国分寺歴史講演会」や「上野国分寺まつり」において、ハッシュタグが活用されるなどすると、より望ましいと思う。群馬県はスマホアプリを先進的に活用していると見受けられるが、課題はどうやって広めるかということである。スマホアプリを入れる際には、プッシュ型配信ができること、即座に知りたいというニーズに応えられること、レヴューを書けること、という3つのポイントがあり、これらに対応できるようにすると参加者が増えるということになる。
歴史の道活用促進事業の取り組みで、31年度にパンフレットを刊行し、32年度にスマホアプリを作成するとあるが、スマホアプリを作成する前からSNSを活用することで、SNSに慣れ親しんだ人たちに、スマホアプリをダウンロードしてもらうという流れを作っていくほうがよいと思う。スマホアプリの活用は、地図情報を出す場合には、行った人たちのレヴュー、ちょっとした言葉や写真をスマホアプリに載せられることにより、スマホアプリの活用が爆発的に広まると思う。

(議長)今の意見に対して事務局は何かあるか。

(事務局)課で運営しているぐんま古墳探訪にレヴューのコーナーはないが、プッシュ通信配信を行っている。文化振興課と連携しながら、イベント等の最新の情報の発信を心がけている。歴史の道のアプリを作る際には、今の意見を参考にしながら、より利用者が多くなるような工夫をしていきたい。
(議長)他にないか。この歴史の道のパンフレットは無料で配布するのか。

(事務局)今は有償頒布を考えている。

(議長)有償頒布の方が大切にしてくれるのかもしれない。お金を出すと保存して、その時だけではなく、また活用していくという行動は、学生達の動きを見ていてもそうであった。自分を考えてもそんな感じだ。
他にあるか。では報告はこれで終わりにする。それではこれで非公開になるので、報道機関は退出をお願いする。

【審議事項】

  1. 群馬県指定重要文化財の指定について
    1. 石山観音の大鰐口
  2. 専門部会等報告

【質疑】

(議長)それでは教育委員会から諮問のあった指定文化財候補の審議に入る。まずは事務局から説明をお願いする。

(事務局)(諮問読み上げ)
(依頼読み上げ)
(回答読み上げ)
(指定理由書読み上げ)

この鰐口は、天明7(1787)年に佐位郡(現在の伊勢崎市の一部)を中心とする県内各地の190名余の寄進者によって石山観音に奉納された。下野国佐野(現在の栃木県佐野市)の天明の鋳物師新井源七によって製作された両目間寸法193センチメートルの鰐口で、現在は境内の鰐口堂に吊るされている。石山観音は馬の信仰で知られ、近隣在郷の人々は馬を連れて参拝し、鰐口を叩いて馬の無病息災を願った。
作者は、下野佐野(栃木県佐野市)の天明の鋳物師新井源七である。下野佐野の鋳物師は、室町時代から江戸時代にかけて関東地方で活躍した。佐野で茶釜や日常生活用具、農機具、仏具などさまざまの製品を生産する一方で、各地に出向いて生産する出吹(でぶき)も行った。石山観音の大鰐口は出吹で製作された可能性があり、製作技法については鋳造する際の中型に挽き中子(ひきなかご)と呼ばれる鋳型を用いていたと考えられるが、記録等は残されていない。新井源七は、本作以外にも享保8(1723)年銘梵鐘(足利市観音寺)や寛政4(1792)年銘鳥居(足利市八幡宮、市指定)などにその名が見られる。新井源七銘の作品は享保から文化年間まで約80年間続いていることから、その間に何代か続いたと考えられる。
江戸時代から明治時代には、関東地方中心に大型鰐口の鋳造が見られ、石山観音の大鰐口は、近代以前に鋳造された鰐口としては国内最大級である。これに次ぐものが、江戸の鋳物師西村和泉守が寛政7(1795)年に製作した埼玉県本庄市成身院百体観音堂(じょうしんいんひゃくたいかんのんどう)の鰐口で、両目間寸法で176.5センチメートル(市指定での両目間寸法は180センチメートルである。桃山時代に遡るものでは、和歌山県那智勝浦町の那智山青岸渡寺(なちざんせいがんとじ)の豊臣秀吉奉納の鰐口(県指定)が知られており、両目間寸法140センチメートルある。
こちらが石山観音の位置図である。前橋市と伊勢崎市の境に近く、伊勢崎市になる。小高い山の山頂に石山観音があり、その中にある。境内には山門、鰐口が吊されている鰐口堂、右奥に鐘楼がある。奥が観音堂である。鐘楼の鐘は戦中の供出により現在はない。鰐口の拓本を見てほしい。色は写真の方で見てもらいたい。
説明に戻る。両目間寸法は、目と呼ばれて出っ張っているところの間で193センチメートル、面径はこの中の丸くなっている所の径で167センチメートル鰐口を横から見るとふっくらとした形になっている。横から見ると目が楕円形ということである。背面は紐帯と呼ばれる線で4つに区画されており、撞座には2つで一組の花弁が配され、蓮肉の所には蓮子がある。撞座の上に正背面ともに胎蔵界大日如来を表す種子、梵字がある。表の方にだけ奉納石山観世音の文字がある。鰐口の上部には半円形の吊鐶があり、鋳型の合わせ目の跡が残っている。内部には鋳掛けという補修の跡が観察できる。文字は、その大体が目の下側、口唇と呼ばれる一番外、外区にある。正面、背面どちらも文字が書かれているが、この鰐口を造った鋳物師新井源七、職人八十右エ門の名が背面にある。資料にある写真は、伊勢崎市の教育委員会から提供されたもので、文字の所に粉を入れて見やすくしたものであるが、寄進した額、住んでいる場所、名前が書かれている。人数は190人くらいとなっている。鰐口のある下触村を中心に寄進者がいるのだが、寄進されている場所に色を塗ると、伊勢崎市・太田市・前橋市・桐生市から寄進があったということが分かる。石山観音の周囲だけではなく、ある程度広い範囲から信仰の対象になっていたことが分かる資料である。
天明の鋳物師は、梵鐘を、必要としているところへ出かけていって造るという作業を行っていた。佐野の図録によると、石山観音の鰐口が造られた時期が、天明の鋳物師が関東を中心に最も出吹を行っていた時代になる。新井源七は大型の作品を得意としていて、足利市の鳥居等も造っている。
関東地方に大きな鰐口を造るという流れがあり、石山観音の鰐口はそれを代表するものだと、指定理由の一つとして申し上げたが、今回指定資料を作成するに当たり全国照会を行った。照会の対象は国・県・市町村指定になっている全国の鰐口であり、100センチメートル超えるものを桃山時代まで遡って大きい順に並べると、和歌山県、群馬県、千葉県、埼玉県、山形県の順となり、関東地方に大型の鰐口が集中していることがわかる。資料に示した大型の鰐口は、埼玉県本庄市の成身院百体観音堂、桃山時代に遡る和歌山県の那智山青岸渡寺のものであるが、こういった中でも石山観音の大鰐口は一番大きいということになる。事務局からの説明は以上である。

(議長)専門部会から何かあるか。

(審議委員)造形的なことについては事務局から説明したとおりであるが、この鰐口については、金属工芸の専門家である部会専門委員や東京芸術大学の先生から、非常に貴重なものだと伺っている。専門部会で議論になったが、拓本を絶対とるべきだということになり、大変に苦労をしてとったと思うのだが、実際こうして見ると、まざまざと大きさが分かる。原寸大で教えてくれるという点で、大変貴重な資料になったと思う。博物館が一番いいと思うが、この拓本をしかるべき所に保存することを忘れないでほしい。関係者の苦労を察するとともに、とっておいて良かったなと思う。
また、県の東南部の地域の歴史を考える上で最も基本的な歴史資料になり得るものである。多くの人たちの名前があって石山観音の信仰の広がりというものも教えてくれるということで、単に造形的に面白いというだけではなく、あらゆることを考えていく上での今後の基本資料となる。そういう意味でも県の文化財に指定するのにふさわしいものである。

(議長)この拓本は今日の記者発表の時に持って行くのか。

(事務局)持って行く予定である。

(議長)これは、アピール度があると思うので、せっかく造ってもらったので、持っていった方がいいと思う。委員から指定文化財候補ということで、何か質問、意見があったらお願いする。

(審議委員)現在も活用されている訳だが、長い間表面だけを撞いていることにより、裏面(撞座)との差が出てきているのか。また、指定文化財になっている梵鐘などについて、撞座への配慮みたいなものを考える必要があるのか。その辺はいかがか。否定的な意味ではなく。

(議長)いかがか。広い意味で保存活用になるのだが。

(事務局)正背面どちらも撞いていた時期があるのかということであるが、表面はピカピカしているが、背面には撞いていたような跡は見られない。紐を付け替えたり、正背面を裏返したりはかなりの労力だと思う。観察する限りでは背面を撞いたという形跡は見られないと思う。

(審議委員)撞いている側と撞いていない側で、長い間で差が出てきているのか。

(事務局)表面の摩耗などか。そこまでの差は見られない。

(審議委員)長い期間では考えた方がいいかもしれない。見てのように裸であるので、心配だと思う。ただ、現在も活用されているので、下ろしてどうにかするというわけにはいかない。

(事務局)現在も使われており、指定候補として考えるときに文化庁や他の都道府県に防犯などをどうしているのか聞いたのだが、文化庁では基本的に現役で使っているものは、よほど脆弱でない限りは下ろさない。他県からは何件か、指定後に防犯上の理由から片付けたと聞いたが、盗難の心配はしていかなければならないと思うので、所有者と相談をしながら考えていきたい。

(審議委員)もちろん盗難対策など必要だと思うが、現状では考えられない。

(議長)重さはどのくらいか。

(審議委員)量っていないので分からない。

(事務局)同じくらいの大きさである埼玉の成身院百体観音堂の鰐口が750キログラムである。厚みというか、しっかりした造りでそれくらいの重さなので、それより薄めの印象を受ける石山観音の鰐口は750キログラムより軽くなるのかなと思う。

(議長)500~600キログラムくらいあるのか。

(事務局)あると思う。

(議長)そのくらいだと、機械を使って持って行かれる可能性がある。文化財に指定したことによって防犯上の責任が県に出てくるとかはないか。あくまでも所有者の責任か。

(事務局)特に責任が生じることはないのだが、補助対象にはなるので、例えば防犯カメラとか、それに伴うモニターとか、監視中といった看板とかは対象になると思う。盗難に対してこちらに責任が出るということはない。

(審議委員)現状では、設置するならモニターカメラとかであろう。

(事務局)そう思う。

(審議委員)盗難で一番怖いのは潰されてしまうことである。

(審議委員)ものすごくよいものであり、指定については大賛成だ。2つお伺いする。ここに出ている成身院百体観音堂は現存するさざえ堂の一つであるが、これは、寛政年間にできた建物を明治時代に建て替えたものである。鰐口の最古のものは平安時代のものであるが、現存するものとしては鎌倉時代のものがある。鰐口ができた時期が、札所巡りとか観音巡りの時期に合っていると思う。大型の鰐口が出てきた意味を宗教史の中に位置づけておくと、価値づけということができるかなと思うのだが、その点についてはどのように考察しているか。

(事務局)大型鰐口と観音信仰との関連については、今回の調査の途中で、佐野の郷土資料館で面談した佐野の鋳物師を研究している方が同じようなことを言っていた。今回はそこまでは調べられなかった。これからの課題だと考えている。

(審議委員)写真を見ている感じでは誰でもたたけるものなのか。

(事務局)誰でもたたける。今でも毎日たたきに来る方がいる。

(審議委員)どんな音がするのか。

(事務局)梵鐘と違って木でたたいているわけではないので、それほど響くことはないのだが、耳ざわりのよい音である。

(審議委員)構造的にはどこの寺にもある、本堂に下がっている鰐口だから、それの化け物と思ってもらえれば。

(審議委員)音の質とかは一緒だけれど、大きいものと考えてよいか。

(審議委員)大きくはない、たたき方で変わってくる。

(審議委員)これだけ大型の鰐口が造られる信仰の背景はどのようなものか、関連の歴史資料はこの地域にはないのか。どうして造られたのか。それから、天明の飢饉の時代にもかかわらずこれだけの寄進を受けてこれを建てたという信仰の強さを示す関連の史料があればと思う。石山観音、馬の信仰、その研究史のようなものはあるのか。石山観音の信仰が非常に大事かなと思って、これだけの物を生み出した。
また、寄進者の名前が出ており、かなり遠方の人たちも寄進している。名字は皆持っていたようだが、階層はどのようなものか。伊勢崎市も調べたみたいだが、どういう解釈を持っているか。

(審議委員)指定理由書には馬の信仰と書いてあるが、馬人講と商人講が組まれている。商人講は商人が入っているので、もしかすると寺側からそのような組織化をやっていた可能性もある。その辺は大変興味深いと思っており、信仰的な面が調べられると面白い。多分、馬だけではないと思う。

(審議委員)そういうのは研究された人はいないのか。

(審議委員)190名の名前について伊勢崎市は活字化しているのだが、具体的にどういう人なのかというところは、今後の問題になるかと思う。実際に銘文を見ていくと、馬人講、商人講と講を作って寄進しており、それ以外はこの地域の人が3名ほどで撞き初めということなので、地域に直結している。一般的な言い方しかできないが、具体的に名前が出てくる人物の詳細は、今後の検討を待つとしか言えない。

(審議委員)成身院がなぜ造られたのか。それは、天明の浅間焼けで利根川に人や動物が流れてくる様を児玉の小平というところの住職が忍びないことだ、皆で弔おうとしたことがいきさつである。当時の建物年代と鰐口の年代が一致しているから、必ず何か大きなきっかけがあり、その背景が分かってくると非常にいい。
 国指定になったさざえ堂もそうなのだが、信仰背景をはっきり研究している方がいない。大きな意味での宗教史となると一般論だけで、群馬県について細かく研究した人はいない。これについて肉付けすることが鰐口の価値、評価につながると思うので、今後続けていただければと思う。

(議長)成果だけでなく、今議論したような研究課題もある意味公表することにより、歴史分野で一生懸命テーマを探している若い学生達の研究の広がりも出てくる可能性があると思う。

(審議委員)原料の銅は足尾産か。どんなことが分かっているのか。

(事務局)それも分かっていないが、鋳造するための型を造る砂などは、現地の詳しい人を雇うなどして調達していたようである。材料に関しては把握していない。

(事務局)実はこの万徳寺という寺院はもうない。そのため、寺に伝わる寺伝などの一次資料は無い。明治時代に編纂された赤堀村郷土史や寺院明細帳をたぐってみたが、鰐口に関することは全く分からなかった。この鰐口は現在伊勢崎市の指定になっているが、市指定になるときにも伊勢崎市で白い粉を入れて銘を本刻したりしたが、これが造られた経緯というのは分からなかった。天明の飢饉から民衆を救うとか、それが治まって国家が落ち着くように、という祈願だけだと少し弱いと思った。たとえば、この観音堂や万徳寺の開基何百年といったことに関係するのではないかと思って調べてはみたが、直接結びつく文献を見つけることができなかった。

(審議委員)銘文にも特にそれを思わせるものは無いのか。

(事務局)ない。

(審議委員)なぜ文化財を指定するのかということを考えると、目的は二つあると考えている。一つは文化財を保存するための予算や支援体制を作るということであり、もう一つは人々、特に地域の人たちに、素晴らしい文化財が自分たちの所にあるということを知ってもらうということである。二つめの中には三つ目的があって、一つ目はうちの地域には素晴らしいものがあるという誇りを感じてもらうこと、二つ目は自分自身の人生あるいは思い出と文化財がシンクロし合って愛郷心につながること、三つ目は文化財を大切にしようという気持ちの育成につながることと考えている。
この鰐口は、継承者がいないと途絶えてしまうというような、保存のために活用するという文化財ではい。保存の必要性がないと言っては極論だが、日々手入れをしなくてはならないものではないと思う。文化財保護の観点から言うと、関心を持ってもらうことが一番大切だと思うのだが、関心を持ってもらう方法として先ほど言ったことへの補足であるが、発信、SNSなどでわかりやすく多くの人に伝えるということが重要だと思う。例えば、フェイスブックでどのような発信の仕方をするか。一番大きな鰐口だということが一般市民の興味をそそることになるが、フェイスブックで、もしもこれより大きなものがあなたの所にあるのなら連絡くださいという問いかけや、これに隠されたストーリー、つまり190名の方がいろいろな所にいて、あなたの住んでいる町にも寄進した人がいたという背景を発信していく。そうしたことで、たった1回だけ指定されましたということを発表するのではなく、手を変え品を変え、フェイスブック、ツイッターというようなもので発信していく。その中で一番効果があるのがリツイートや「いいね」である。シェアを広げるためには、アクション、つまり、大きなものがあったら教えてください、あなたの先祖が寄進していたらその話を聞きたいので知らせてくださいというような、受け取った人が何かできる発信の仕方を考える段階に来ているのではないか。

(議長)今の意見に対して。

(事務局)課としてはまだフェイスブック等を運用していないので、SNSではなくホームページを活用した情報発信になる。こういったものこそが知る人ぞ知る文化財だと思うので、その存在をまず審議会に知ってもらう。地元の人々には、地元で造られ、地元で守り伝えられて信仰の対象になってきたものが、全県的・全国的な価値を有するものだということを知ってもらう。そのことが地域の皆さんや子供の誇りの醸成につながり、文化財への関心を高め、自分の地域を大事にしよう、見つめ直そう、そんな意識の契機になってもらえればと思っている。

(審議委員)これを見て大変すごいなと思った。そして、このような動産に関しては、大きさのほかに重さの表示ができればよいなと感じる。難しいかもしれないが、重さを量る方法があれば、他の委員が言ったように、物の説明をする上では大切だと思うので、お願いできればなと思った。説明では、これだけ大きなものを鋳物師がこっちに来て造ったということだが、この造り方は概ね簡単に説明できるのか。

(議長)今のことに関係して、ある地域にある技術的な伝播があったかどうかということで、当時の技術の関係圏や人の流れなど分かる部分が多くある。文献資料とは違い、地理学では、物から推察して当時の状況を復元していくということがあるが、そういうことで広報されると、別の切り口から鰐口の研究が進んで、地域の歴史に違うものが出てくる可能性がある。佐野の技術がどうなっているのかということも含めて、これだけの物を造る当時の技術が、地域にどのような影響をもたらしていくかというのがあるかもしれない。

(審議委員)簡単に造り方を説明してもらえればありがたい。

(事務局)型の台座に砂と粘土を入れて、型枠をコンパスのようにぐるりと回して型を造る。そして、外側2つと中側2つの4つをセットにし、小型の鰐口の場合は立てて上から銅を流し込む。あそこまで大きいサイズになってしまうと立てたのか横にしたのか、別々に造ってつけたのか、そういった所までは分からないが、型を4つ造ってというところまでは一緒だと思う。

(審議委員)無住のお寺ということなので、月に1回程度、安全や現状を点検確認できる仕組みがあるといいかなと思う。

(議長)市町村が文化財パトロールをして、1ヶ月毎とか、半年毎に県に報告をあげるというシステムはできているのか。

(事務局)文化財パトロール員が全県で31名ほどいる。そのパトロール員が見ることになると思うが、それは1ヶ月に1回見るかどうかである。所有者が前橋に居住しており、鰐口の近くに事務所のようなものを建てて墓地の管理もしているので、所有者がずっと行かないということはなく、週に何回かは行くのではないかと思う。そういう面では少しは安心かなという気持ちはある。
伊勢崎市が文化財パトロールを実施しているかどうかは把握していないが、文化財保護法の改正によって市町村でも、そういった体制を整備することが制度化されている。また、2,3年前には暮坂峠の若山牧水像が台座から切られて盗まれるという御時世である。指定をきっかけに鰐口がそういう被害に遭わないよう、所有者と地元市と私たちの間で考えて、ペーパー1枚でも成文化しておくのは必要だと感じている。

(審議委員)多分、県内の鐘楼には、佐野天明よりも群馬の吹屋の鋳物師が関わっている。今、鋳物の造り方の話が出たけれども、群馬県でも少し前の時期になるが、吹屋の方がすごく有名である。群馬県全体としては吹屋が圧倒的に多いのだということもあり、鰐口という一つの文化財の中で佐野が話題に出ているが、群馬県の全体像を究明する、また皆さんに活用していただくということも課題になっていくのかなと感じた。

(事務局)追加の説明をさせていただく。先ほどの説明でも「近代以前」という限定を付けている。というのは、現在確認できているもので昭和57年のもので2.03メートルというものがある。新田義貞の弟の脇屋義助ゆかりのお寺だと言われている太田市の正法寺に、江戸時代に150センチメートルくらいの鰐口があった。鰐口堂が造られ、そこに掛けられていたものだが、残念ながら昭和19年に軍に供出をされてしまった。昭和50年代に入って檀家、寺や地元の方々が何とかして大きな鰐口を再現したいということになり、元のものより大きなものをということで造られた。歴史的なものではないし、機械を使って整形等もしているので、技法その他文化財として扱うのはまだまだ当分先のことだと思う。そのため「近代以前」という限定した言い方をしている。なお、先ほどの重さの話だが、こちらは山門に掛けられているが、解説版には530キログラムとある。おそらく機械で成形しているので、極限まで薄くできているのではないだろうか。材質についても金属を混ぜる割合によって重さも変わると思うので知っておいていただきたい。

(審議委員)資料として重さが書いてあるということか。

(事務局)そうだ。太田市の物は説明板にある。

(議長)そろそろ時間が近づいてきたので、他に何かあるか。
寄進者の分布図は非常に面白く、貴重な図であるが、凡例がなかった。凡例と入れ、もう少しきれいにすると理解しやすい。これは要望である。
いろいろ意見をもらったが、石山観音の大鰐口の指定について適当であると答申してよろしいか。(委員の了承)
では全会一致で石山観音の大鰐口について指定することが適当であると答申する。最後に教育委員会への答申案を事務局から配布する。

(事務局)(答申案読み上げ)

(議長)この文言でよろしいか。細かな文言については、私に一任をお願いしたいが、いかがか。(委員の了承)
では2月の教育委員会会議に答申する。

11 閉会

 15時40分 文化財保護審議会の閉会となる。