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ぐんまの偉人(いじん)

蝶(ちょう)ネクタイ姿のぐんまちゃんの画像

 群馬県で生まれた人の中には、教育や文学など、さまざまな分野で活躍(かつやく)した偉人がたくさんいるんだ。その中から何人か紹介(しょうかい)するよ。みんなは何人知ってるかな?

上泉伊勢守信綱(かみいずみいせのかみのぶつな)(1508?~1578?年) 上泉城主(かみいずみじょうしゅ)・兵法家(ひょうほうか)

上泉伊勢守信綱の銅像の写真

 前橋生まれ。剣術(けんじゅつ)の新陰流(しんかげりゅう)を創始(そうし)し、徳川将軍(とくがわしょうぐん)家の指南役となる柳生(やぎゅう)氏に授けました。力と速さで相手を倒(たお)す「殺人刀(せつにんとう)」に対し、信綱の唱えた「活人剣(かつにんけん)」は、敵(てき)を誘(さそ)い動かして勝ちを取るもので、その精神(せいしん)は、徳川300年の礎(いしずえ)を築(きず)きました。
 また、袋竹刀(ふくろしない)を発明し、それまでは木刀を使用していたため死傷(ししょう)することもあった稽古(けいこ)や試合が、危険(きけん)なく行えるようになったのも信綱の功績(こうせき)です。

関孝和(せきたかかず)(?~1708年) 和算家(数学者)

関孝和の銅像の写真

 藤岡(ふじおか)生まれ(江戸(えど)出生説もあり)。和算という日本で独自(どくじ)に発達した数学の考え方を用いて、円周率(えんしゅうりつ)や球の体積の計算方法を考え出しました。ニュートン、ライプニッツと並(なら)んで世界三大数学者の一人といわれ、関流和算の開祖(かいそ)として「算聖(さんせい)」とあがめられています。

新島襄(にいじまじょう)(1843~1890年) 宗教(しゅうきょう)家・教育者

新島襄の写真

 安中生まれ。キリスト教に心引かれ、21歳(さい)のころに勉強のためアメリカへ渡(わた)ります。1874(明治7)年に帰国し、ふるさと安中でキリスト教を広めました。1875(明治8)年には、キリスト教の精神(せいしん)に基(もと)づいた教育を行うため、京都に同志社英学校(どうししゃえいがっこう)(現在(げんざい)の同志社大学(どうししゃだいがく))を設立(せつりつ)しました。

内村鑑三(うちむらかんぞう)(1861~1930年) キリスト教思想家

内村鑑三の写真

 高崎藩士(たかさきはんし)の長男として江戸小石川に生まれ、少年時代を群馬で過(す)ごします。設立後間もない札幌農学校(さっぽろのうがっこう)(現在の北海道大学)に入学し、新しい教育を受けた鑑三は、キリスト教の教えを知り感動、キリスト教徒となりました。正しいと信じることをはっきりと主張(しゅちょう)する性格で、1903(明治36)年には、日露戦争(にちろせんそう)批判論(ひはんろん)を発表しています。

田山花袋(たやまかたい)(1871~1930年) 作家

田山花袋の写真

 館林生まれ。1877(明治10)年の西南戦争で父親を亡(な)くし、貧(まず)しい家庭に育ちましたが、熱心に勉強して上京し、作家としての才能(さいのう)を花開かせました。人間のありのままの姿(すがた)を描(えが)いた自然主義(しぜんしゅぎ)文学を確立(かくりつ)し、『蒲団(ふとん)(1907年)』『田舎教師(いなかきょうし)(1909年)』など数多くの作品を残しています。

萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)(1886~1942年) 詩人

萩原朔太郎の写真

 前橋生まれ。前橋中学校(現在の前橋高等学校)在学(ざいがく)中に、与謝野晶子(よさのあきこ)の作品に感動して短歌を作り始め、文学的才能を開かせていきます。1913(大正2)年に、北原白秋(きたはらはくしゅう)主宰(しゅさい)の雑誌(ざっし)『朱欒(ザンボア)』に詩が掲載(けいさい)されて詩人としてのスタートを切り、1917(大正6)年に発表した詩集『月に吠(ほ)える』によって、詩の世界で確固(かっこ)たる地位を確立(かくりつ)します。
 当時の主流であった文語体(通常(つうじょう)の話し言葉とは異(こと)なる、書き言葉のみで用いられる言葉づかい)を用いた詩とは異なる、口語体(話し言葉の文体)の詩を数多く発表した朔太郎は、「日本近代詩の父」と呼(よ)ばれています。

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