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【シリーズ】文化財ライブラリィ その3

史跡 上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)

場所:高崎市東国分寺・引間町~前橋市元総社町
時代:奈良・平安時代

当時の上野国分寺跡のイメージ画像
当時の上野国分寺跡のイメージ図

 「上野国(こうずけのくに)」と呼ばれていた古代群馬の仏教の中心地で、群馬県のほぼ中央に位置しています。現在は、復元された塔の土台などがあるのみで、当時の姿は残っていません。

 「国分寺」と名の付くお寺は、全国各地にあります。聖武天皇(奈良の東大寺の大仏を造らせた人)が、仏教の力で国が安定することを願って、全国68ヶ国に一斉に建設を命じたためです。
 国分寺の建設に関しては、各国に任されていたので、同じ「国分寺」でも、建物の大きさや配置は様々です。

 上野国分寺跡も、地元の豪族の協力によって造られました。発掘調査や文献から、全国最大規模の七重塔が建てられていたことや、全国的に見ても早い時期に完成したことが明らかになっており、「古代ぐんま」がいかに強大な力を持っていたかをうかがわせます。

コラム:掘るたびに新しい姿?

上野国分寺跡の発掘状況の画像
上野国分寺跡の発掘状況

 上野国分寺跡では、現在でも発掘調査が進められています。昨年度の調査では、ご本尊が安置されていた重要な建物である「金堂」が、100年間信じられていた位置とは違う場所で新しく発見されるなど、めざましい成果が上がっています。

 新たに発見された金堂は、塔と東西に並ぶ位置にありました。多くの国分寺では、金堂が塔よりも奥まった位置にありますが、これは総国分寺である奈良の「東大寺」にならったためと考えられます。
 塔と金堂が並立する独特な建物配置は、上野国分寺跡が東大寺よりも前に造られたこと、それだけ早く着工できる資金や技術が「古代ぐんま」にあったことを示しています。

 このように、各地の国分寺を比較することで、当時の各国の状況を比較することができます。

 今年度は、寺院の中心となる建物に注目した調査が行われました。お坊さんが世知カツしていた「僧坊」の跡が、予想されていた位置に見つからず、どこにあったのか?が、次年度の課題となっています。

 上野国分寺跡の敷地内にあるガイダンス施設「上野国分寺館」では、現在の発掘の様子が分かるだけでなく、七重塔の模型を見たり、出土した瓦を手にとってみたりすることができます。

上野国分寺跡の詳細はこちらから

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