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尾瀬ミニブック(学習教材)

更新日:2023年6月14日 印刷ページ表示

尾瀬ミニブック画像

 群馬県では尾瀬を舞台にした環境教育の推進や学習支援に取り組んでいます。平成12年度から「移動尾瀬自然教室」、平成20年度からは「尾瀬学校」(令和3年度に廃止)、令和3年度からは「尾瀬ネイチャーラーニング」を実施しています。「尾瀬ミニブック」、「尾瀬フィールドマップ」、「尾瀬を守るしくみ」はその学習教材として作成された小冊子とリーフレットです。「尾瀬ネイチャーラーニング」をはじめ、尾瀬に関する学習を行う学校等に無償で配布され活用されています。

 以下、「尾瀬ミニブック」の掲載内容を一部ご紹介いたします。全文はPDFをご覧ください。

尾瀬ミニブック(全文) (PDF:9.93MB)

尾瀬ミニブックの掲載内容

1 尾瀬ってどんなところ

 「尾瀬国立公園」…どこにあるか知っていますか?関東地方?東北地方?尾瀬国立公園は、群馬県、福島県、新潟県、栃木県の4県にまたがっています。
 日本列島の背骨のような山岳地に、本州でいちばん広い湿原(しつげん)「尾瀬ヶ原」や、川がせき止められてできた湖「尾瀬沼」があります。そのまわりを取り囲む「至仏山(しぶつさん)」、「燧ヶ岳(ひうちがたけ)」、「景鶴山(けいづるさん)」や「アヤメ平(だいら)」、さらに外側に位置する「会津駒ヶ岳(あいづこまがたけ)」、「田代山(たしろやま)」、「帝釈山(たいしゃくさん)」などから、尾瀬国立公園は成り立っています。この中でも特に尾瀬ヶ原と尾瀬沼を中心とした地域が、一般に「尾瀬」と呼ばれる地域です。
 尾瀬には、ほとんど人の手が加えられていない森林や、三条ノ滝や平滑ノ滝(ひらなめのたき)といった大きな滝、至仏山のように珍しい岩石でできた山や燧ヶ岳のように火山のあとが見られる山などもあります。また、これらのすばらしい景色だけでなく、貴重な植物や動物が生きています。尾瀬は日本に残された自然を代表する場所です。そこで、その自然をみんなで大切に守っていこうと、国立公園でもいちばん利用の規制のきびしい「特別保護地区」や、国の「特別天然記念物」に指定されているほか、「ラムサール条約湿地(じょうやくしっち)」にも登録されています。

尾瀬ミニブック1章(尾瀬ってどんなところ) (PDF:6.07MB)

2 尾瀬に生きる動物や植物

 尾瀬の植物や動物の観察をしていきましょう。尾瀬ではどのくらいの植物が見られるのでしょう。今まで尾瀬の中で確認されている植物の数は900種類をこえるといわれています。特に湿原では季節ごとに数多くの花が咲き、訪れる人の目を楽しませてくれます。
​ さて、尾瀬ヶ原をとりかこむ森林の植物を見てみましょう。大きな木の下には湿原とは違った植物が生育しています。森の中で光の届かないようなところに生えるギンリョウソウは、自分で栄養をつくらず菌類(きんるい)から栄養を分けてもらっています。
 また、森の中ではところどころに根もとから曲がって生えている木が見られます。これは、雪の重みで曲がってしまったもので、尾瀬の自然の厳しさを物語っているのです。

尾瀬ミニブック2章(尾瀬に生きる動物や植物) (PDF:2.02MB)

3 尾瀬と人との関わり

 尾瀬と人との関わりは昔からありました。初めは物々交換のための道や、狩猟(しゅりょう)や釣(つ)りの場として訪れる人もいました。特に群馬県の大清水から三平峠(さんぺいとうげ)をこえて尾瀬沼のほとりを通り、福島県の沼山峠に続く道は、昔から「会津(沼田)街道(あいづ(ぬまた)かいどう)」と呼ばれ、食料品や雑貨(ざっか)を運んでいた地元の人々にも親しまれる道でした。この道が通っている尾瀬沼南岸の三平下(さんぺいした)というところでは、江戸時代から明治時代にかけて使われていたお金(寛永通宝(かんえいつうほう))も掘り出されています。
​ 明治時代に入ってしばらくすると、尾瀬で最初の山小屋が建てられたり、尾瀬の自然を調査する人たちがやってきます。同じ頃、尾瀬の地形を利用して発電のためのダムや至仏山にトンネルを掘って尾瀬の水を利根川に流すといった計画が出ましたが、尾瀬の自然を愛する人々は、尾瀬のすばらしさを世の中に伝え、自然を守ろうとうったえるようになりました。
 昭和30年代になると、「夏の思い出」という歌で有名になった尾瀬にたくさんの人が訪れるようになります。多くの人が尾瀬を歩くことで、湿原は踏(ふ)みつけられたため、植物が育たなくなる現象が進んでいきました。そこで、自然を守るために木道を本格的に整備したり、本来尾瀬にあった自然を取りもどすための植生回復作業(しょくせいかいふくさぎょう)が始まり、その作業は今も続けられています。

尾瀬ミニブック3章(尾瀬と人との関わり) (PDF:1.44MB)

4 わたしたちの環境と尾瀬

 尾瀬の湿原や登山道には「木道(もくどう)」がつくられています。尾瀬国立公園にある木道をすべて足し合わせると、その距離は約65キロメートルにもなります。この木道は、湿原のとくにぬかるみがひどい場所に、丸太をおいて歩きやすくしたものが始まりで、その後、丸太を縦に割って平らにしたものや板を並べるようになったといわれています。
 本格的に木道がつくられるようになったのは昭和27年頃で、尾瀬にたくさんの人がやってくるようになった頃でした。その後、湿原の裸地化(らちか)が進んで湿原に植物が生えなくなると、湿原への踏み込みを防ぐために、木道が整備されるようになりました。木道の役割は「人のため」から「自然のため」へと変化していったのです。
​ 湿原につくられた木道は、7〜10年ほどでくさったりこわれたりしてしまいます。木道をとりかえる場合は、大きな機械が入れないので、ヘリコプターで材料を運び、工事は手作業で行います。尾瀬の代表的な風景の一部になっている木道ですが、じつは多くのお金と人の手がかかっているのです。

尾瀬ミニブック4章(わたしたちの環境と尾瀬) (PDF:2.8MB)

5 尾瀬を訪れる

 尾瀬は標高2,000メートル前後の山に囲まれた地域です。尾瀬ヶ原などの湿原は木道が整備されていて歩きやすいのですが、場所によっては急な坂道や歩きづらい岩場などもあります。自然を安心して楽しむためにも、しっかりとした準備を整えて出かけましょう。

尾瀬ミニブック5章(尾瀬を訪れる) (PDF:2.31MB)

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