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太田市、館林市周辺

太田市

伏島近蔵翁頌徳碑

伏島近蔵翁頌徳碑の写真

 伏島近蔵は天保8年(1837年)藪塚村に生まれた。29歳のときに横浜に移り住み商館であるアメリカ一番館の大番頭を勤めた。明治に入ると独立し、蚕種商人として貿易業を営んだ。明治11年には実業家5人とともに第七十四国立銀行(後の横浜銀行)を設立、初代頭取となり、その後取締役に就任した。そのころ、イタリア商人が蚕種を買いたたいていることに発奮し、明治13年蚕種を持ってイタリアへ渡り、ミラノで販売をはじめたところ、蚕種が孵化するなどして大失敗し、大きな負債をかかえ帰国した。それ以後、蚕種販売を一切しなかったという。明治34年8月7日没。伏島近蔵は、薮塚村に多額の寄付をしたり、岡上水路の再興や、村内に橋を架けたり、藪塚小学校敷地の寄付など郷土薮塚のために多大な貢献した。現在、薮塚本町では伏島近蔵の偉業をたたえ、教育・文化・産業の分野で著しい功績のあった人に伏島近蔵賞を贈呈し表彰することになっている。なお、この頌徳碑は翁の徳をたたえるため明治30年12月6日旧学校跡へ建立され、その後昭和35年12月6日現在地に移転された。また、昭和15年に横浜駿河橋に翁の記念碑を建立したという。

所在地 太田市大原町(旧薮塚本町大原)

館林市

旧上毛モスリン(株)事務所

旧上毛モスリン(株)事務所の写真

 モスリン(薄地平毛織物)製織が有望な織物であるとして、明治29年毛布織合資会社が設立され、明治35年には、上毛モスリン(株)となった。この建物は、明治41(1908)年から43年頃にかけて建てられた本館事務所で、尺貫法を用いた入母屋作りの和風建物である。現在、館林第二資料館として利用されている。

所在地 館林市城町

邑楽町

中野絣起源地の碑

中野絣起源地の碑の写真

 安政年間に飛白(かすり)を製織したのが中野絣の始まりとされている。明治の末には白絣が織られるようになった。木綿の白絣として有名だった大和絣に比し「西の大和絣・東の中野絣(館林絣)」ともいわれ、全国に名を馳せた。太平洋戦争中、綿の統制が極めて厳しくなったことから、中野絣は著しく衰退した。その後、中野絣を伝える唯一の伝承者関口きんさんが昭和52年に亡くなったのを最後に中野絣は完全に途絶えた。かつて邑楽町には機屋70軒、紺屋20軒、板屋10軒があったと言われている。

 現在、中野絣の伝統を残そうと保存会が発足し活動を行っている。また近くの邑楽町公民館には、中野絣に関する資料が展示されている。

所在地 邑楽町中野

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