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吾妻周辺

中之条町

冨沢家住宅

冨沢家住宅の写真

 冨沢家のある中之条町は、信濃・越後への交通の要所であり、三国街道の脇道として重要視されていた。また、高冷地のため養蚕に適した地でもあった。この民家は、屋根正面が平カブト造という構造を持った大型養蚕農家である。国指定重要文化財に指定されている。

所在地 中之条町大字大道

吾妻町

鳥頭(とっとう)神社

鳥頭神社の写真

 かつて岩島麻の名で、良質の大麻の生産地として全国的に有名であった。今も麻栽培技術と精麻は、日本一といわれている。麻ひきは、神社の社務所で行われる。

所在地 吾妻町

麻の里会館

麻の里会館の写真

 群馬県選定保存技術第一号である岩島麻の資料展示を行っている。製作工程パネル・製造用具・大麻繊維などを見ることができる。
 また近くには、かつて麻の製造工程で使用した蔵のような建物であるネドも点在する。

所在地 吾妻町岩下

長野原町

養蚕神社

養蚕神社の写真

 米のとれない山間地では、養蚕は生計を得るための重要な産業であった。しかし、蚕や桑の生育は天候などの気象条件に左右されやすく、人々は神仏に繭の豊穣を祈願した。この養蚕神社に限らず県内のあらゆる神社では「養蚕御祈祷」「蚕守護」などの御札や繭の作柄安定を祈願する奉納神楽などが催された。この養蚕神社(荒神さんと呼ばれている)は5月15日に春祭りが催され、境内の神楽殿では村人により太々神楽が奉納される。長野原かるたに「養蚕の豊作祈って荒神さん」と詠まれ親しまれている。なお、今に残る養蚕の豊穣を祈願する伝統行事としては、利根郡川場村で行われる20代の男が女装して歩くことで有名な「春駒まつり」や前橋市上川淵の春日神社で行われる「蚕の舞」奉納が知られている。

所在地 長野原町与喜屋

嬬恋村

中居重兵衛(中居屋重兵衛)

中居重兵衛顕彰碑の写真

 中居重兵衛は本名黒岩撰之助といい、文政3年3月吾妻郡中居村に生まれた。若くして名主の代理を勤めたが、20才の時江戸で財をなそうと決心して郷里を出奔、多くの研讃を重ねて安政元年に日本橋に店舗を構え、見習い奉公をしながら学問に専念し、火薬製造・販売を手がけて財をなし、江戸で屈指の大商人に成長した。安政6年には江戸の店を整理し、横浜に店舗を建てたが、あまりに豪壮なため「銅御殿」と呼ばれたという。また、生糸輸出に関しては全輸出の半数を一手に扱ったという。当時描かれた二代広重の浮世絵には、中居屋の店だけに特に「中井」と書かれていることからも当時この店がいかに評判だったかが分かる。ここを本拠地として外国への生糸の売込を行い、莫大な富を築く。また、外国への生糸の最初の売り込みは、中居重兵衛がフランス20番館の手代中国人のハショウに売り渡したのがはじめであるという。中居重兵衛は生糸貿易の先駆者であったが、出店2年後の文久元年に消息を絶ち、どこで死んだか分からないという。享年42歳。著書もあり、嘉永7年に「子供教草」を著し、安政2年火薬の研究をまとめた「集要砲薬新書」を著した。また、オランダ語に通じ、蘭学関係の学者の著書に序文を書くなど、大変な文化人であった。横浜開港時、上州生糸の輸出に中居重兵衛が果たした役割は極めて大きい。

 中居重兵衛の業績を後世に伝えるため、昭和55年JR吾妻線万座鹿沢口駅前に有志により建立された顕彰碑。また、平成15年横浜市中区の旧中居屋店舗跡に嬬恋村と中居屋重兵衛顕彰会により記念碑が建立された。

中居屋重兵衛の墓の写真

昭和31年6月20日群馬県指定文化財に指定された中居屋重兵衛の墓。

中居屋重兵衛の生家の写真

今に残る中居屋重兵衛の生家、1868年建造。切り妻造りかわらぶき二階建て

 所在地 嬬恋村三原

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