【2月1日】群馬県指定文化財の指定等の答申について(文化財保護課)
平成31年2月1日(金)に開催された群馬県文化財保護審議会において、下記のとおり群馬県指定文化財の指定について答申されました。
- 石山観音の大鰐口(いしやまかんのんのおおわにぐち) (1口) 県指定重要文化財(工芸品)指定
以上、1件
(参考)- 群馬県文化財保護条例第4条の規定により、教育委員会は県の区域内に存する有形文化財のうち県にとって重要なものを群馬県指定重要文化財に指定することができます。
- 指定に当たっては、第4条第3項の規定に基づき、群馬県文化財保護審議会に諮問しなければなりません。
- 答申がなされた場合、教育委員会会議に指定に係る議案を提出します。同会議において議案が審議・議決された後、県報で告示します。指定は、県報の告示があった日からその効力を生じます。
- 今回答申された文化財が指定された後の群馬県指定等文化財の件数は次のとおりです。
種別 | 重要 文化財 |
重要無形 文化財 |
重要有形民族 文化財 |
重要無形民俗 文化財 |
史跡 | 名勝 | 天然記念物 | 選定保存技術 | 選択無形民俗 文化財 |
計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
件数 | 215 | 0 | 7 | 20 | 87 | 2 | 98 | 1 | 1 | 431 |
石山観音の大鰐口の概要
名称及び員数
石山観音の大鰐口(いしやまかんのんのおおわにぐち) 1口
指定種別
重要文化財(工芸品)
所在場所
伊勢崎市下触町4
所有者
宗教法人万徳寺
概要
(1)由来及び沿革
天明7(1787)年に佐位郡(現在の伊勢崎市の一部)を中心とする各地の190名余の寄進者によって石山観音に奉納された、両目間寸法193センチメートルの鰐口である。下野国佐野(現在の栃木県佐野市)の天明鋳物師新井源七によって製作されたもので、現在は境内の鰐口堂に吊るされている。石山観音は馬の信仰で知られ、近隣在郷の人々は馬を連れて参拝し、鰐口を叩いて馬の無病息災を願った。
(2)内容
時代 江戸時代 天明7(1787)年
法量 両目間寸法193センチメートル、面径160センチメートル、肩厚36センチメートル、最大厚65センチメートル
材質 銅
鰐口は銅鋳造で盤面(ばんめん)はふっくらと手の甲のように盛り上がり(甲盛り)、正面・背面ともに中心から縁へむかって同心円状に紐帯(ちゅうたい)と言われる線で4つに区画されている。撞座(つきざ)(鰐口を叩く紐が当たる所)は2枚1組の花弁が8組、その間に筋入りの花弁を配して蓮の花が表現され、蓮肉(れんにく)(蓮の花の中央部分)に9果(粒)の蓮子(れんじ)(蓮の実)が表現されている。撞座の上方には、胎蔵界大日如来(たいぞうかいだいにちにょらい)を表す種子(しゅじ)(梵字)、正面の下方には「奉納石山観世音」の文字が肉厚に陽鋳されている。目と呼ばれる左右の突出部は横から見ると楕円形で、口唇の出は鰐口の大きさの割に小さい。耳(吊鐶(つりかん))は半円形である。鰐口の上部には鋳型の合わせ目が残る。内側には大きな鋳掛(いか)け(欠陥部分を補修した跡)がある。
銘文は住持(じゅうじ)、施主、寄進者など190名余りが線刻されている。正面には「天明七丁未歳十月大吉祥日」の日付、背面には「佐野天明新金屋町 大工 鋳師 新井源七作 職人 八十右エ門(やそうえもん)の作者銘がある。また正・背面の外区、口唇に記された寄進者には、その住所として、下触、赤堀など現在の伊勢崎市を中心に、前橋市・太田市・桐生市などの地名が見られ、当時の石山観音の信仰の一端を知ることができる。
作者は、下野佐野(栃木県佐野市)の天明の鋳物師新井源七である。下野佐野の天明の鋳物師は、関東で室町時代から江戸時代にかけて活躍した。佐野で茶釜や日常生活用具、農機具、仏具などさまざまの製品を生産する一方で、各地に出向いて生産する出吹(でぶき)も行った。石山観音の大鰐口の製作にあたっては、出吹で製作された可能性があり、製作技法については鋳造する際の中型に挽き中子(ひきなかご)(※1)と呼ばれる鋳型を用いていたと考えられるが、記録等は残されていない。新井源七は、本作以外にも享保8(1723)年銘梵鐘(足利市観音寺)や寛政4(1792)年銘鳥居(足利市八幡宮、市指定)などにその名が見られる。新井源七銘の作品は享保から文化年間まで約80年間続いていることから、その間に何代か続いたと考えられる。
石山観音の大鰐口は、近代以前に鋳造された鰐口としては国内最大級である。江戸時代から明治時代には、関東地方中心に大型鰐口の鋳造が見られ、石山観音の大鰐口はそれらを代表する。近代以前でこれに次ぐのが、埼玉県本庄市成身院百体観音堂(じょうしんいんひゃくたいかんのんどう)の江戸の鋳物師西村和泉守の寛政7(1795)年の鰐口で、両目間寸法で176.5センチメートル(市指定での両目間寸法は180センチメートル)である。桃山時代に遡るものでは、和歌山県那智勝浦町の那智山青岸渡寺(なちざんせいがんとじ)の豊臣秀吉奉納の鰐口(県指定)で両目間寸法140センチメートルが知られている。
※1:挽き板と言われる型を回転させて鋳型を作る技法。
参考文献
佐野市郷土資料館 1998『天明鋳物里帰り展』 佐野郷土資料館
高橋久敬 1997「石山観音の大鰐口」『群馬歴史散歩』
(3)種類と数量
鰐口 1口
(4)指定理由
石山観音の大鰐口は、近代以前に製作された鰐口としては国内最大級であり、江戸時代から明治時代を中心として関東地方に製作例が多い大型鰐口を代表するものである。このような大型鰐口の製作にあたっては高度な鋳造技術が用いられた。これらのことから、石山観音の大鰐口は美術工芸品として高い価値を有する。
[指定基準]
群馬県指定重要文化財の指定基準第1の2(1)(3)に該当する。
第1 群馬県指定重要文化財の指定基準
2 工芸品の部
(1) 各時代の遺品のうち製作が特に優秀なもの
(3) 形態、品質、技法又は用途等が特異で意義の深いもの
写真(提供:群馬県教育委員会)



