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【7月17日】登録有形文化財(建造物)の登録(文化財保護課)

更新日:2020年7月17日 印刷ページ表示

 国の文化審議会(会長 佐藤 信(さとう まこと))は、令和2年7月17日(金曜日)に開催された同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、新たに196件の建造物を登録するよう文部科学大臣に答申を行いました。

この196件の中には、本県所在の下記の建造物1件が含まれています。

この結果、後日の官報告示を経て、全国の登録有形文化財(建造物)は、12,881件、本県の登録有形文化財(建造物)は338件(131箇所)となります。

1 答申が行われた本県所在の登録有形文化財(建造物)

1件(1箇所)
旧太子駅ホッパー棟 1基(中之条町大字太子字花園240-3)

2 上記文化財の概要

  1. 旧太子駅ホッパー棟は、戦後日本の復興を支えた、重要な鉄鉱山である旧群馬鉄山(現チャツボミゴケ公園)に関する唯一の遺構です。
  2. 登録有形文化財(建造物)の登録基準である「建設後50年を経過」し、「再現することが容易でないもの」に該当するものとして価値が認められ、登録有形文化財(建造物)として答申されました。
  3. 中之条町は、観光資源として活用するために当時のホッパー棟やホーム、駅舎の復元などを行い、「旧太子駅」を平成30年4月から一般公開しています。

【関係機関 連絡先】

中之条町教育委員会 生涯学習課六合生涯学習係
0279-95-3013

(1)名称

旧太子駅ホッパー棟

(2)所有者及び所在地

所有者:中之条町(中之条町大字中之条町1091)
所在地:中之条町大字太子字花園240-3

(3)概要

旧太子駅ホッパー棟は、戦後日本の復興を支えた、重要な鉄鉱山である旧群馬鉄山に関する唯一の遺構で、その建造物としての価値が認められたことから登録有形文化財として答申されました。

  1. 旧太子駅ホッパー棟について
    • ホッパーとは、鉱石や砂利などを上部から投入して、下部から排出する構造物のことであり、旧太子駅ホッパー棟は群馬鉄山から運ばれてきた鉄鉱石を受け入れて貨車に積み込むための施設として、昭和19(1944)年に整備されました。
    • 採掘された鉄鉱石は索道(ゴンドラリフト)で旧太子駅に運ばれ、ホッパー棟2階部分にあった引込口から貨車に積み込まれ、運搬されました。
    • 群馬鉄山操業停止後の昭和42(1967)年に2、3階部分が取り壊され、1階部分も大半が土中に埋められました。
    • 観光等の振興のため、平成26(2014)年に中之条町による旧太子駅復元整備事業でホッパー棟が掘り出されると、その歴史的価値を再確認することが出来ました。
  2. 旧太子駅及び鉄道について
    • 旧太子駅は中之条町の北西部の六合地区にあり、白砂川の西側に位置しています。駅の北北西約8kmに旧群馬鉄山があり、旧太子駅はそこから鉄鉱石を搬出するための貨物駅として建設されました。
    • 長野原~太子間(太子線)が鉄鉱石運搬のための日本鋼管専用線として、渋川~長野原間(長野原線)が貨物線として、建設されました。旧太子駅や鉄道は昭和19年中に完成し、昭和20(1945)年1月には「長野原線」部分も含めて全線が開業し、日本鋼管川崎製鉄所に向けて鉄鉱石が初出荷されました。
    • 太子線は、昭和27(1952)年に国鉄に編入され、昭和29(1954)年には旅客営業を開始しました。しかし、群馬鉄山の操業停止によりその利用は低迷し、昭和45(1970)年に廃止され、駅舎などは撤去されました。
  3. 旧群馬鉄山について
    • 群馬鉄山は、昭和15(1940)年に鉄鉱床が発見され、昭和18(1943)年に日本鋼管株式会社により開発が始まりました。第二次大戦中の鉄資源不足により開発は急ピッチで進められ、昭和19年12月に操業が開始されました。
    • 終戦により操業が停止しましたが、昭和21(1946)年6月に再開され、戦後の復興需要により、群馬鉄山の生産は増え、昭和24(1949)年に月産2万トンを突破し、釜石鉱山(岩手県)に次ぐ国内第2位の鉄鉱山として発展しました。
    • その後、鉄鉱石の品質の問題と鉱床の衰退、輸入鉱石の存在などにより、群馬鉄山の生産は減退し、昭和40(1965)年に操業は停止されました。

(4)写真(提供:中之条町教育委員会)

写真1旧太子駅ホッパー棟外観の写真
写真1 旧太子駅ホッパー棟外観

写真2旧太子駅ホッパー棟内部の写真
写真2 旧太子駅ホッパー棟内部

写真3建設中のホッパー棟(昭和19年)の写真
写真3 建設中のホッパー棟(昭和19年)

写真4昭和20年代の太子駅とホッパー棟の写真
写真4 昭和20年代の太子駅とホッパー棟