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県民の日の由来

更新日:2011年3月1日 印刷ページ表示

 来たる10月28日は群馬県民の日です。毎年、県民の日は公立学校等が休みになり、県内各地で記念事業や施設の無料・割引開放が実施されており、今年も多くの催しが予定されています。
 ところでこの群馬県民の日とは、そもそもどんな日なのでしょうか?

制定の趣旨及び経緯

 群馬県民の日は、昭和58年に「第38回国民体育大会(あかぎ国体)」「第19回全国身体障害者スポーツ大会(愛のあかぎ大会)」が開催され、県民意識が高まったことをきっかけに「郷土の歴史を知り、郷土についての理解と関心を深め、自治の意識を高めるとともに、より豊かな郷土を築きあげることを期する日」(群馬県民の日を定める条例第1条)として昭和60年に制定されました。
 制定に際しては、まず昭和59年10月に県各界の代表者を構成員とする制定懇談会が設置され、その中で期日・名称・制定形式等が検討されました。制定懇談会の報告を基に昭和60年3月「群馬県民の日を定める条例」が制定され、同4月施行されました。

10月28日に決定した理由

 制定懇談会において候補として挙がった期日は、下記の3案です。

  1. 初めて「群馬県」の名称が使用された(明治4年)10月28日
  2. その後の統廃合で群馬県がほぼ現在の形となった(明治9年)8月21日
  3. 県民総参加で大成功をおさめた「あかぎ国体」の秋季大会開会の日であった(昭和58年)10月15日

 この中で、歴史的に由緒があり、記念事業が実施しやすい等の理由で10月28日が選ばれました。

 なお、明治4年当時日本はまだ太陰暦を使用しており、旧暦明治4年10月28日は太陽暦では1871年12月10日に当たりますが、12月10日は時期的に年の暮れで社会全体が忙しく、山間部では雪も降り始めることから、県民の日には10月28日が適当と判断されました。