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蛇神湖の由来

更新日:2011年3月1日 印刷ページ表示

蛇神湖の由来

 平成8年3月に塩沢ダムが完成した際、その湛水湖は町民からの公募により「蛇神湖」と命名されました。
 なぜ「蛇神」なのか?それには、こんな昔話があります。


 その昔、赤久縄山一帯は、深い原生林で里人の入れるところではなかった。

 塩沢川の源流近くにある早滝は、昼なお暗く蔦葛がからまり、のたり合い、鬱蒼と茂る原生林に覆われ、その中に背筋が寒くなるような蒼くすんだ深い滝壺が水を湛え、溢れさせていた。

 あるとき、村人がこのまぼろしの滝といわれている早滝を一目見ようと、川を遡り、谷を渡り、早滝のある本流へと足を運んだ。奥に入るほど人を拒むように谷は狭まり、そして深まり、足場は滑ったが、岩肌を這い、木の根につかまりながら、ようやく早滝に辿り着くことができた。

 滝から散る水しぶきと滝壺から立ちのぼる霧は、肌をさすような冷たさだったが、滝を目の前にした村人は、林の中に横たわる朽ちた丸太に腰を下ろして、滝に目をうばわれていた。

 すると、腰をかけていた木がズルーッと動き出した。見るとそれは丸太ではなく大蛇であった。あまりの驚きに村人は逃げることさえも出来なかった。

 その大蛇こそ、赤久縄山を神域として棲み、榛名山の蛇神とも兄弟と言われている、蛇の大神であった。後に村人達は、大神「蛇の神」を、「山を守り」「村を守り」「水を守る」神として崇めるようになった。

 その神域の入り口がこの地であり、昔から蛇が多かったことから、ここに蛇の神を祀り、この地を誰が言うことなく「蛇神」と呼ぶようになった。

 以後、蛇神様は、赤久縄山へ入る村人の山仕事の安全を祈る山の神として、そして下流域の人々からは、水確保と水害がないようにと祈る水の神として信仰されてきた。


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