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上野三碑

更新日:2017年11月1日 印刷ページ表示

 上野三碑(こうずけさんぴ)とは、現在の高崎市に所在する7世紀から8世紀にかけての古代の石碑3基(多胡碑、山上碑(やまのうえひ)、金井沢碑)の総称で、それぞれ特別史跡に指定されています。三碑とも半径5キロメートル以内の非常に近接した位置に所在しています。
 それぞれ、碑の大きさや形状は異なりますが、金井沢碑に記された「下賛郷(しもさぬごう)」あるいは「三家(みやけ)」が、山上碑の冒頭のこの地域の有力氏族と見られる「佐野三家(さののみやけ)」とかかわるとみられるなど、関連する点も少なくありません。
 また、朝鮮半島の石碑文化の影響を反映する石碑、文字の使用、碑文からうかがえる仏教信仰等、早くから先進文化が定着・蓄積していた上野国の文化度の高さを象徴する文化遺産です。
 平成27年9月24日、世界の記憶の国内候補として決定され、平成29年10月24日からユネスコ国際諮問委員会が開かれ、登録が決定しました。

多胡碑(たごひ)1954年(昭和29年)国指定特別史跡

1 所在

 高崎市吉井町

2 性格

 古代の建郡の記念碑。日本三古碑のひとつ。

 (参考)日本三古碑

  1. 多胡碑
  2. 那須国造碑(栃木県大田原市)
  3. 多賀城碑(宮城県多賀城市)

3 年代

 8世紀前期

4 形状・規模・材質

  1. 上から笠石・碑身・台石からなります。
  2. 台石からの高さは1.26メートル、巾と厚さは約0.6メートル四方です。
  3. 碑文は全80字、6行にわたって楷書体で丸底彫りされています。
  4. 石材は、牛伏砂岩と称される花崗岩質砂岩です。本碑が所在する県南西部一帯にかけて産出し、硬質で耐久性に富み、摩耗が少なく加工が容易で、周辺の古墳の石室の材料としても使用されています。

5 内容・特色

 711年(和銅4年)3月9日に上野国片岡郡・緑野郡・甘楽郡(碑の原文は「甘良郡」)の中から300戸を割いて新たに多胡郡が建てられたということと、そしてこれを決定した当時の中央政府中枢部首脳3名の名が記されています。

特別史跡多胡碑の写真
特別史跡多胡碑(高崎市教育委員会文化財保護課提供)

山上碑(やまのうえひ)1954年(昭和29年)「山上碑及び古墳」として国指定特別史跡

1 所在

 高崎市山名町

2 性格

 亡母を記念して建立した石碑

3 年代

 7世紀後半

4 形状・規模・材質

  1. 碑身は、輝石安山岩の細長い自然石です。
  2. 高さ約1.1メートル、幅約0.47メートル、厚さは約0.52メートルです。
  3. 碑文は4行にわたり53字が丸彫りされています。

5 内容・特色

 681年(辛巳歳(かのとみのとし)・天武天皇10年)に、佐野三家(さののみやけ)の子孫である黒売刀自(くろめとじ)のために、その子である放光寺の僧である長利が建立した碑であることが記されています。碑文中の「放光寺」とは、この寺名が記された文字瓦が発見されたことにより、前橋市総社町に所在する史跡の山王廃寺(さんのうはいじ)と考えられています。

山上碑の写真
山上碑(特別史跡山上碑及び古墳)(高崎市教育委員会文化財保護課提供)

山上古墳の写真
山上古墳(特別史跡山上碑及び古墳)(高崎市教育委員会文化財保護課提供)

金井沢碑(かないざわひ)1954年(昭和29年)国指定特別史跡

1 所在

 高崎市山名町

2 性格

 祖先等の供養のため、親族を中心に信仰集団を結ぶことを宣言した石碑です。

3 年代

 8世紀前期

4 形状・規模・材質

  1. 碑身・台石ともに輝石安山岩からなります。
  2. 形状は、高さ約1.1メートル、巾約0.7メートル、厚さ約0.65メートルの角が丸みを帯びた岩塊です。
  3. 一面を縦約0.65メートル、横約0.64メートルにわたって扁平に面取り調整を施した上で、9行112文字が刻書されています。

5 内容・特色

 726年(神亀3年)に上野国群馬郡下賛郷の三家氏が中心となり、祖先や父母の供養のために一族が結集することを誓ったものです。

特別史跡金井沢碑の写真
特別史跡金井沢碑(高崎市教育委員会文化財保護課提供)

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