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【平成25年12月4日付け】金井東裏遺跡に関する報道提供資料
金井東裏遺跡出土の馬具について
1 出土遺跡の概要
(1)遺跡名
金井東裏(かないひがしうら)遺跡
(2)調査要因
国道353号金井バイパス(上信自動車道)道路改築事業に伴う発掘調査
(3)委託者
中部県民局渋川土木事務所
(4)調査主体
公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
(5)調査期間
平成25年4月1日から平成26年3月31日(予定)
2 内容
9区の南西部に位置する42号住居(5世紀後半)の北側周堤上で、11月14日に榛名山二ツ岳の噴火に伴う堆積物の中から、飾り馬の装飾具である「剣菱形杏葉(けんびしがたぎょうよう)」が1点出土しました。
X線写真から計測した長さは約19センチメートル、剣菱部の幅は約10センチメートルで、周囲の縁の部分には鋲留め(びょうどめ)が見られます。鉄錆と緑青(ろくしょう)(銅の酸化による錆)が観察されることから、鉄製の地板に金メッキした銅板を被せ、周囲を鋲留めしたものと考えられます。
3 要点
- (1)「杏葉」は、5世紀~7世紀初頭にかけて全国的に盛行した馬の尻や胸の装飾品で、古墳の副葬品として出土することが大半で、古墳以外から出土することは極めて稀です。
- (2)金井東裏遺跡では、6世紀初頭の榛名山二ツ岳の噴火に伴う火砕流(Hr-FAのS3)の上から出土していることから、杏葉は、火砕流によって須恵器の甕とともに西側から流された状況が想定されます。
- (3)剣菱形杏葉は、高崎市の保渡田古墳群(二子山古墳・八幡塚古墳)と下芝谷ツ(しもしばやつ)古墳、前橋市の前二子古墳、伊勢崎市の恵下(えげ)古墳から出土しています。
4 写真
42号住居と剣菱形杏葉の出土位置(北より)
剣菱形杏葉と須恵器甕出土状況(東より)
剣菱形杏葉の下の火砕流(S3)堆積状況(西より)
剣菱形杏葉出土状況(南より)
剣菱形杏葉のX線画像
剣菱形杏葉模式図
剣菱形杏葉の着装想定図
5 補足説明
杏葉は、馬具の一種で、馬の胸や尻を飾るものです。剣菱形杏葉は、偏円部と剣菱部が合わさった形の杏葉で、主に5世紀後半~6世紀中頃に多く出土する馬具です。
馬具の轡(くつわ)の連結具であるf字形鏡板(えふじがたかがみいた)とセットで出土することが多く、県内でもこの組み合わせが、高崎市の二子山古墳・八幡塚古墳・下芝谷ツ古墳と前橋市の前二子古墳から4例の出土例があります。
保渡田古墳群(二子山古墳・八幡塚古墳)と下芝谷ツ古墳は5世紀後半~5世紀末、前二子古墳と恵下古墳は6世紀前半に築造されたものと考えられています。二子山古墳・八幡塚古墳と前二子古墳は、墳丘の長さが100メートル級の前方後円墳で、地域の首長墓とみられるものです。また、下芝谷ツ古墳は、一辺が20メートルの方墳で規模はあまり際だったものではありませんが、朝鮮半島製の副葬品が多く副葬されており、被葬者は半島由来の知識・技術を持つ集団の長というような性格が想定されています。
問い合わせ先
〒377-8555 渋川市北橘町下箱田784-2
公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
電話 0279-52-2511
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