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柴垣はるさん

柴垣はるさんは、県立妙義公園の土地の元所有者で、ハイカーから「妙義のおばあさん」と呼ばれ親しまれた人です。

私たちが今、石門めぐりを楽しめるのははるさんのおかげ。公園内には、はるさんを顕彰するため、案内板(第1駐車場内)と碑(第一石門近く)が建てられています。

『下仁田町史』(昭和46年11月3日・群馬県甘楽郡下仁田町発行)から

まだ町村合併しなかった昭和二十九年、群馬県知事から次のような感謝状が出されている。

感謝状

甘楽郡小坂村
柴垣はる殿

今回妙義山の景勝地と付随建築物一切を県に寄附されたことは誠に感謝に堪えません この景勝地が広く県民に親しまれ 永く本県の誇りとして発展するよう県立公園として指定いたしました
ここに金壱封並びに記念品を贈り 感謝の意を表します

      昭和二十九年八月一日
      群馬県知事 北野重雄 印

 一本杉の麓に金洞舎という休憩所がある。ここの主人が柴垣はるである。女子大学を出たインテリのおばあさんだった。女史は、この妙義山を限りなく愛し、一本杉や金鶏山を朝な夕なに眺めて、五十年の歳月を送ってきた。

女史は、中之岳のあの景勝地を所有していた。この広大な景勝の地を、昭和二十九年七月三十一日をもって、群馬県にポンと寄附されたのである。

県では早速この奇特な行為(原文まま)に報うべく、小坂村が下仁田町と合併して、下仁田町の県立公園となり、昭和四十四年四月十日には、日本の国定公園にと発展した。

そしてその名前を妙義荒船佐久高原国定公園として、一躍日本の観光地としてデビューした。その功績により、次のような褒章の記が内閣から発せられた。

褒章の記

柴垣はる

昭和二十九年七月群馬県立妙義山公園施設として、建物及び土地立木共寄附したことにつき 褒章条例により紺綬褒章を賜ってこれを表章せられた。

      昭和二十九年七月三十一日
      内閣総理大臣          吉田茂
      内閣総理大臣官房賞勲部長 村田八千穂

第一〇一九四号

柴垣はるの寄贈された二十三町歩(二十三ヘクタール)は、全下仁田町の一割三分くらいの広さである。この中に奇岩奇峰が林立し、国定公園観光の中核をなしている。だが柴垣はるは、先年他界され、葬儀は県葬の例をもって下仁田小学校の校庭で行われた。

こんな例は、この下仁田町の後にも先にもない事であろう。

県立妙義公園の誕生

『群馬県政史』第1巻(昭和34年3月15日・群馬県発行)第7章「第7節 県立妙義公園の誕生」から
文中(※注)は、原文ママ

上毛三山のうち赤城、榛名は県立公園として、県が直接管理していたが妙義山だけは国有林とその一部が私有地であった為に一つ取り残された形であった。昭和28年暮金洞山及びその周辺の所謂妙義の名所地を所有していた柴垣はるさんが、長野県軽井沢の星野温泉星野嘉助氏を通じ県にその所有地約三〇町歩の寄附の内意を伝えて来た。その美挙に対し県もかねてから県立妙義公園の出現を要望していたので直ちに受入れを決定し、二十九年一月七日北野知事が新春初の記者会見でその内容を発表し明るい話題をまいた。柴垣はるから寄附のあった土地約三〇町歩を県立公園として正式に枯死(※注)することになり昭和二十九年六月定例県議会にその関係議案を提出して議決を求めた。

(一)第九一号議案

不動産の取得について

次の土地及び建物を取得したいので議会の議決又は住民の一般投票に付すべき財産営造物又は議会の議決に附(※注)すべき契約に関する条例第二条の規定により議決を求める。

(所在、区分、構造、面積、取得の方法、取得の相手、備考からなる表は割愛)

昭和二十九年六月二十四日提出

群馬県知事 北野重雄   .

昭和二十九年七月十七日原案通(※注)可決。

 

(二)第九二号議案

県立公園の不動産の取得について

次の通り県立公園を設置したいので議会の議決又は住民の一般投票に付すべき財産営造物又は議会の議決に付すべき契約に関する条例第二条の規定によりその議決を求める。

一、名称 群馬県立妙義公園

一、位置 甘楽郡小坂村大字上小坂字中の岳一、二五一ノ一から一、二五一ノ五まで

一、面積 九三、三二一坪

昭和二十九年六月二十四日提出

群馬県知事 北野重雄   .

昭和二十九年七月十七日原案通り可決。

 

(三)第九三号議案

予算外義務負担について

県立妙義公園の管理を委託するため次の者と昭和三十年度以降毎年拾万円以内の予算外義務負担の契約ができるものとする。

住所 甘楽郡小坂村大字上小坂字中の岳一、二五一ノ二

氏名 柴垣はる

昭和二十九年六月二十四日提出

群馬県知事 北野重雄   .

昭和二十九年七月十七日原案通り可決。

以上の三議案の可決通知があったので次の通り告示した。

群馬県告示第三六九号(観)

昭和二十九年八月一日次の通り県立公園を設置した。

昭和二十九年八月三日

群馬県知事 北野重雄   .

一、名称 群馬県立妙義公園

二、位置 甘楽郡小坂村大字上小坂字中の岳一、二五一ノ一から一、二五一ノ五まで

三、面積 九三、三二一坪

(四)その他

この記念行事として九月三日知事室において寄附者に対し感謝状及び報償金(五〇万)並びに記念品の贈呈式を行い、同夜伊香保温泉に知事が招待し感謝の意を表した。尚あつ旋の労を犒う為星野嘉助にも感謝状及び記念品を贈呈した。なお総理府賞勲部より、七月三十一日附を以て紺綬褒章並びに木杯一組が授与され表彰式の際伝達した。また彫刻家分部順治に依頼して、第一石門附近の自然石を利用し銅板の胸像を建設して永久にこれを顕彰した。十月二十六日記念碑前において柴垣はるさんを招き知事以下各界代表者約一〇〇名が参集し記念式典を行い引続き妙義町で祝賀会を挙行した。さらに県立公園指定を記念し塚本閤治に依頼して「秋の妙義公園」の十六ミリ総天然色映画を製作した。その管理者として寄附者を管理人に委嘱すると共に使用人工藤一男を管理人夫に使用して管理に当たらせることにした。以後、県立公園として指定以来門柱及び門標、案内板、指導標の建設、歩道の改修、危険防止施設の充実、広場の拡張、水道施設の完備、その他利用者の便に供する施設を整備しつつある。(執筆者 塚越武雄)

柴垣はるさん略歴

明治16年東京に生まれる。

大正 4年医師だった夫の他界を機に、両親と3人で、所有していた妙義山(一本杉)に移り住む。

昭和 9年母が逝去。

昭和11年父が逝去。

昭和29年県に土地の寄付を申し出る(同年県立公園化)。紺綬褒章受章。

昭和41年1月21日逝去(享年84歳)。菩提は本照寺(安中市松井田町)に弔われる。

昭和44年元の所有地が妙義荒船佐久高原国定公園の一部として指定される。

 

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