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ひゅうまにあ通信40号

更新日:2011年3月1日 印刷ページ表示

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愛媛大会第3分科会 長浜大橋の橋が開く様子

コンテンツ

第26回地域づくり団体全国研修交流会愛媛大会参加レポート

  • (財)さかい人づくりまちづくり基金財団 羽野順一
  • (財)さかい人づくりまちづくり基金財団 堀込勝一
  • (財)さかい人づくりまちづくり基金財団 石原國憲
  • (財)さかい人づくりまちづくり基金財団 菊池広文
  • 特定非営利活動法人たかさき女性懇話会 山崎紫生
  • 特定非営利活動法人たかさき女性懇話会 関 良江
  • きりゅう市民活動推進ネットワーク 蓼沼千秋
  • 榛名まちづくりネット 芹澤 優

平成20年度地域づくりコーディネーター研修会の報告について

地域づくり人物リレー 第1回

  • NPO法人ながめ黒子の会 椎名祐司さん

第26回地域づくり団体全国研修交流会愛媛大会参加レポート

 今回で第26回目となる地域づくり団体全国研修交流会は、11月14日~15日にかけて愛媛県で開催されました。毎年、各県で開催されるため、その地域での地域づくりを体感でき、改めて地域づくりを見直すことができる絶好の機会となっております。今回も参加者がたくさんの収穫を得てきたようです。それが地域に戻ってどのようにいかされていくか、楽しみでもあります。来年は佐賀県で開催される予定です。他県の様子をのぞいてみると自分たちの地域に新たな発見があるかもしれません。

愛媛大会参加報告 (財)さかい人づくりまちづくり基金財団 羽野順一

 ホテルを8時30分にチェックアウトし、歩いて15分の全体会の会場「南予文化会館」へ向かう。会場では大会役員が数多く活動している。会場は、各分科会別に席が分かれている。10時より全体会が開始。主催者等のあいさつの後、郷土芸能「伊予長浜豊年踊り」を楽しみ、トークセッション「みんなで地域づくりトーク」と称してコメンテーター、アシスタント、ゲストコメンテーターの3人が出席者と一緒になり、会場からも意見を出して行われた。最後に次回開催県「佐賀県」の皆さんからPRが行われ、全体会を終了した。

 昼食交流会では、15分科会に分かれ食事する。午後の予定説明後、13時10分、バスで第3分科会である大洲市へ向かう。途中、豊茂地区豊友会会長の菊岡氏と大洲市職員の案内による大洲城を見学。その後、今回の主目的である大洲市豊茂地区に16時到着。豊茂地区は山の中にある世帯数219戸、人口546人の小さな山村である。山の中腹の大きな岩に人間の顔が描かれている「顔面岩」を見学、これも地域おこしの一つである。小学校は全生徒数16名(3年後には廃校になる)。小学校横に公民館があり今回の第3分科会の会場とのこと。豊茂地区を見学後に長浜(合併後は長浜町)に行き、ここで全国でも珍しい「まちなみ水族館」を運営している長浜高校に立ち寄り高校生から説明を受けた。水族館を生徒が管理していると聞いてビックリ。

 18時に宿である福田屋旅館に到着。

 19時に長浜の民宿「漁亭」にて豊茂地区の皆さんと大洲市職員の方で交流会を開催。大洲市長さんと豊茂地区豊友会の会長さんの歓迎のあいさつがあり、参加者全員の自己紹介があったが、驚いたことに豊茂地区のすべての役職の方が出席しているとのことだった。お酒を飲みながら各県の代表者、地元関係者との地域づくりに関する意見が交わされ大変盛り上がり、地元名産のフグちり鍋もおいしくいただいた。

 翌日、8時に宿を出ると、登校する中高生たちが私たちに「おはようございます」とどの子も声をかけてくる。伊勢崎市ではこんなことはあり得ない。大変すがすがしい気分になった。

 宿から15分程度の長浜大橋に立ち寄り、大洲市職員の計らいで通常は開閉しない長浜大橋を私たち参加者のために交通をストップして橋を開閉してくれた。

 9時に豊茂地区公民館に到着。小学校の校庭で子どもと大人の合同で地元の「しし舞」を披露してくれ歓迎を受ける。全員で記念撮影後、第3分科会(テーマ:持続可能な地域づくり)を小学校横の公民館で開催。最初に基調講演として講師に元豊友会会長の菊池邦求氏が「田舎人(びと)の心意気」と題して石原東京都知事に物申した件等をまじえて大変ユニークな話をしていただいた。続いて豊友会の活動報告がスライドを映しながら行われた。最後に出席者から質問と意見交換が行われ、11時40分に終了する。

 12時に豊茂地区の女性有志による手作りの昼食をごちそうになり解散となる。JR大洲駅まで豊友会の会長さんたちに見送っていただく。大洲市職員の皆さん、豊茂地区の皆さんに感謝したい。

 豊茂地区の豊友会が中心となった小さな山村での活動を見てきたが、何といってもすばらしく感じたのは豊友会(青年団を終えた若者15名で昭和42年に結成)がリーダーとなり、豊茂地区の子どもから高齢者まで全住民がすべての地域活動(村おこし)に参加する考え方、地域を愛する気持ちがすべて一致していることが、何人もの人と話しても変わらないことである。行政からの補助がほとんどない中での村おこしとして40年の取り組みの主なものは、人面岩(人面広場に花を植える)、豊茂イルミテヤ祭りの開催、草刈り作業、図書館の設置、21万本のアジサイの植樹などがある。

 豊茂地区住民から聞いたコメントとして印象的だったのが、「夕日は日本一」と自負していることや「平成の大合併は行政サービスが低下している」という意見だった。

豊友会「持続可能な地域づくり」分科会報告 (財)さかい人づくりまちづくり基金財団 堀込勝一

 大会当日、朝食を済ませ大きな期待を胸に会場である南予文化会館へ歩いて向かい、受付後、大ホールに案内される。各分科会の席はのぼり旗で迎えられ、私の第3分科会の席はホールの最前列の中央だった。

10時より全体会。主催者あいさつ、歓迎あいさつ等終了後、大洲市長浜町に伝わる伝統芸能「伊予長浜豊年踊り」が披露され、一段と盛り上がり大会らしき幕開けとなった。

 続いて、トークセッション「みんなで地域づくりトーク」を開催。司会進行は、司会兼コメンテーターである大会実行委員長の若松進一さんが務め、地域づくりを行う上での悩みや今後の地域づくりのあり方について司会者から会場の参加者にいくつかの質問を投げかけ、会場から意見を出してもらいながらのトーク形式で語り合った。会場に投げかけられた質問は、受付で配布された資料の中にある4種類のものを挙げて本音をお聞かせくださいという方法だった。とても楽しいやりとりの勉強会で、刺激になり大きな収穫があった。

 全体会のトークセッションも終わり、昼食は大ホール隣の部屋で分科会毎に済ませ、13時30分各分科会会場へバスで移動。

 大洲市豊茂地区へ向かうバスの中で豊友会の菊岡会長さんと事務局の大本さんの二人から豊茂地区の概要について説明があり、バスは一路閑静な集落と棚田の山間地を車窓から眺めながら、豊友会や地域の皆さんが丹精込めて育てて植えた21万本のアジサイロード、人面岩広場の花壇など視察し、次の予定地長浜港口の水族館へ。まずは、教室に案内され、担当の先生より水族館のあゆみについて説明があり、昭和10年から60年まで長浜町立水族館として運営されていたが、老朽化が進み閉館になり、平成12年「長浜まちなみ水族館」として新たに誕生したとのこと。そして平成17年、水族館を活用した授業の充実に力を入れ、一般開放も月1回実施し、説明も生徒さんが担当しているとのこと。説明を聞いたあと、水族館の中を見学。自然科学部員14名の生徒さんの親切・丁寧な解説を聞き、魚にかける情熱と愛情を拝見させていただいた。見学も終了し、今日の研修も終わり、時はすでに16時を過ぎていた。宿泊する民宿福田屋へ会長さんの案内で向かう。風呂を浴び、夕食と夜なべ談義の会場へ。盛大なおもてなしで、本音で時を忘れて語り合った。

 翌日、長浜大橋を見学し、本日の分科会会場へ。地元の獅子舞の会が親子で越後獅子の舞を披露して参加者を歓迎してくださり感動した。ここで公民館をバックに全員で記念撮影。その後、分科会基調講話を豊友会第11代会長の菊池邦求さんが「田舎人(びと)の心意気」元気で持続する地域づくりについてお話された。豊友会の活動については、菊岡会長が「元気の輪を広げる40年の取り組みについて」お話された。

 豊茂地区は人口546人、世帯数219戸の山間地帯である。産業としては、専業農家はごくわずかで、大半は兼業農家。昭和40年代の高度経済成長期にみかん作りが奨励され主流を占めていたが、最近は、キウイフルーツを中心にキュウリ、シイタケなどが主な収入源だと言われる。さらに、高齢化も進み後継者不足、それに少子化、近い将来限界集落が出現するのではないかと危惧されているとのこと。そんな中、結成されたのが、豊友会。

 昭和42年、青年団を終えた若者15名によって立ち上げ、豊友会が40年も持続しているそのパワーはどこにあるのだろう。きっかけも酒のみ(飲みにケーション)の仲間からスタートしたと聞いた。地域を巻き込んだ活動を今後も一層頑張っていくだろうと思った。本当にエネルギッシュな人たちだと思い感服し、ここでも大いに刺激を受けた。

最後に意見交換があったが、本音の話が出なかったのが少し残念だった。

 11時40分、分科会終了。昼食は地元の食材を使って婦人会の皆さんの手料理で大変おいしくいただいた。なお、帰りは豊茂地区の豊友会の皆さんに大洲駅までお見送りいただいた。今回の愛媛大会スタッフの皆さんのおもてなしと企画の良さに感謝したい。最後にこのような研修会に参加させていただき感謝している。

第3分科会に参加して~大洲市、豊茂地区《持続可能な地域づくり》 (財)さかい人づくりまちづくり基金財団 石原國憲

 全国研修交流会愛媛大会、四国の情報は特にない中で特別名物もなく、大都市でもなく、持続可能な地域づくりのタイトルにひかれ第3分科会を選んだ。往路は、新幹線、特急の乗り継ぎで9時間、内容の濃い研修会であるように期待して全体会に参加。ただ、茨城大会に比べ参加者が少ない感じがした。

 愛媛の地域づくりのカリスマ若松進一さん、地域振興課長、教育長の現役時代には現伊予市で「夕日のまちづくり」を主導した方である。夕日が沈む、きれいな夕日を地域資源とする発想にはびっくりした。全体会では、トークセッションの進行でなく若松さんの話が聞いてみたかった。

 さて、第3分科会だが、宇和島からバスで移動。途中で立ち寄った大洲城は、国重文財、四層四階の木造天守で2004年に復元。近隣の個人・団体・企業から資金、木材、柱(地元産)1本等の寄附で江戸期の木組模型をもとに伝統技術を受け継ぎ結実したとのことできれいな天守だった。

 それから次に立ち寄ったまちなみ水族館は、昭和10から60年まで町のシンボルとしてあった町営の水族館で61年に閉鎖されたが、平成12年に復活し、長浜高校自然科学部2年生が40槽を飼育管理、来場者への説明等を行っている。維持管理を通し、命の尊さ、論理的思考を学び、また、科学研究コンクールで全国入賞を繰り返している程でまだまだ発展しそうである。

 さて、夜なべ談義は、大洲市豊茂地区の豊友会との合同で行われた。豊茂地区の区長はじめ役付が多すぎて参加者の談義が影をひそめた感あり。

 第2日目、長浜、豊茂公民館で分科会本番。豊茂地区は、人口546人、219世帯、高齢化率37%の小さな行政区ほどの基礎集落。小学校全生徒16名。40~50代の豊友会員24名。60代になると引退して若手に地域を任せる。豊友会は、地域の底力として他地区に住む出身者と共に努力しながら取り組み、40年の地域づくりの歴史をもつ。主な活動として、大和川上空に鯉のぼり、県道沿線に21万本のアジサイの植栽と管理、豊茂ふるさと祭り、小学校に25メートルのクリスマスツリー、山際にトナカイのイルミネーション祭りなどを行っている。ある時、石原東京都知事に手紙で物申しただけあり、都会だけでは成り立たない社会・国家に対し、山村の役目を見いだした生き方を自負して堂々としている。40年前から地域を思い、将来を危惧して長寿会、婦人会、ボランティア、小中高校生と地域全員が、土・日曜日は地域で地域のためにと、行政が民に地域づくりを丸投げしていることに対し、自主・自律を旨とし、地域発展のため積極的に取り組み、会員相互の親睦を深め助け合いながら地域の輪を広げ、明るく、楽しく、前向きにがんばっている。

 平成の合併で大きな市が誕生して大都会のように文化的に発展したような錯覚感があるが、本来、歴史と文化が地域を育んできたので学校区または公民館区単位での観点で地域を考え、地域を見ていくことが必要である。地域づくりのエリアとして長く続いてきている基礎集落を大事にして、先輩から我々に、また後輩へと異年代の地域づくりを尊重しながら全員参加型の輪が自治会へと広がっていくことを願う。サラリーマンも、週末は地域で地域や地域の学校のために何かに参加する、そんな社会風潮がつくっていければと思っている。

 郷土愛の熱が集結する、これが地域づくりの根本で、輪を広げながらできることをできることから他地区に遅れないようにやらなければと悩み多き今日この頃、胃痛と仲良くがんばろうと思う。今回、愛媛で良い刺激をいただいた。

「第26回地域づくり団体全国交流研修会愛媛大会」感想 (財)さかい人づくりまちづくり基金財団 菊池広文

 今回は「財団法人さかい人づくりまちづくり基金財団」の役員として当研修に参加させて頂きました。

 研修会場へ行く最後の交通機関の「松山」から「宇和島」へ行く特急列車。なんか加速感と音が変だなあと思ったら、何と電車じゃなくディーゼル機関車。まだこんな乗り物が日本にあるのかと、研修の前から勉強になりました。

 全体会の宇和島市での研修を経て、分科会の方は第3分科会の「豊友会」というボランティア団体による「持続可能な地域づくり」をテーマとした研修でした。研修で驚いたのは自分が地元で所属している名前もよく似た「親友会」という会との類似点です。類似点を列挙させていただくと…

  • 地域密着の有志・任意のボランティア団体で男子のみで構成。
  • 歴史が「豊友会」41年目、「親友会」38年目。
  • 役員の構成(会長を中心とした一般的なものなので当然だが)。
  • 年間行事(月1回程度)。
  • 会の目的→要約すると、会員相互の親睦と地域づくり。
  • 10周年ごとに記念行事(記念誌発行)。
  • 「豊友会」は「地区」、「親友会」は「行政区」をほぼ活動基盤としているが対象世帯数は共に約250世帯。
  • 会員数は「豊友会」25名、「親友会」102名と差があるが、「親友会」も主に活動しているのは役員である30名。

 俗にいう村の青年会みたいなものなので似てくるのも必然なのでしょうが、身近にこれほど似ている団体は無かったので、とても興味深く真剣に研修を受けることができました。

 研修資料の中には、「最初にしっかりとした理論を立てて進めているわけではありません」との記述がありましたが、頂いた沢山の資料を見て、豊友会の方々は自分たちの地域の事をとてもよく知り、それをデータとして蓄積している部分に感心しました。

 今回の研修の為と40周年記念誌発行の直後という特殊事情もあったかと思いますが、資料がよくそろっているなと感じました。仕事の傍らに、月1回ほどの行事を行うには、打合わせ・準備・後片付け等も考えると大変な労力だと思います。それをこの少ない人数でこなすには、イメージだけでなくしっかりした資料の裏付けがあり、地域の特色を生かした活動ができるのだなと参考になりました。

 もう一つ驚いたのは、役員を「選挙」で決めるという部分です。我々のまわりにもさまざまなボランティア団体・役割がありますが、なかなか進んで役を引き受けてくれる方がおらず、決まるまでは苦労するところです。それを、選挙するほど立候補者がいるのかと思い、確認したところ、「やってもらいたい人」・「相応しい人」の名前を書いて投票する方式でした。それは「選挙」よりも「投票」とか言ったほうがしっくりくるような気がしますが、単に自分の思い込みだったか。そういえば小学校の学級委員長とかの選び方はそんな方法だったなあと、懐かしい様なフレッシュな様な気がしました。いよいよやり手がいないときはそんな方法もとってみようと思います。

 今回の研修では講話だけでなく実際に活動している場所へ行って見学もさせて頂き、何度も書くようですが沢山の資料も頂き、豊友会会員皆さんの元気も頂きました。しっかり参考にして今後の地域づくり活動の糧にしたいと思います。

【第4分科会 農山村に夢と活力を! 特定非営利活動法人 たかさき女性懇話会 山崎紫生】

 筆者は、大学で「地元学」の手法を取り入れた「地域創造」という専門科目を担当している。学生と共に、地元の方々の協力と指導を受けながら、里山の自然・歴史・文化を地域資源とした地域再生の可能性を模索している。この3年間取り組んできたテーマは、里山保全の森づくり、養蚕農家の存続、地域産品の開発などである。特に里山の資源を活用した地域づくりについて示唆を得たいと思い、西予市(平成16年、5町合併)野村町での分科会に参加した。主催の「むらの新資源研究会 山奥組」の活動報告から、地域づくり主体の育成や活動への支援策などについて、貴重なヒントを得ることができた。

 旧東宇和郡の村町の住民と出身者でつくる山奥組は、西予市誕生直後の2004年6月に発足した。5町の対等合併とはいえ、役所本庁のある宇和町に比べ、周辺となった旧四町の人口減少率は大きく、活気も失われたという。そこで、農山村の価値を見直し、足元に眠る地域資源を掘り起こそうと「山奥」の名にそんな決意を込めて会が立ち上がった。

 「山奥組」の活動でまずびっくりしたのは、女性の影が薄いことである。筆者が活動を共にした里山ボランティア・グループは、女性も多く参加しており、地元の小学生や親子の環境学習会、農産品の開発など、積極的な役割を果たしている。山奥組の会員(約130名)は旧野村町でも周辺部の住民、それも昭和の大合併を知る世代(70歳以上)が多い。「一人ひとりが地域の歴史や文化について博物館ぐらいの知識をもっているので、それをつないでいくのが会の仕事だ」と荻野会長は話していた。男性の経験を活かすことは勿論、女性の知恵と経験を取り込むことが山奥組の活力になるのではないかと分科会で感想を述べた。地域柄、女性は影で支えているとの回答だったが、石川県のあるグループから、男性たちが、女性たちの知恵と経験を活かせる収入獲得の機会を創ったことがそれぞれのグループの活性化につながったという報告があった。

 山奥組への応援を取り付けるための方策がいくつか紹介されたが、都市の会員が特産品購入などでふるさとの活性化に貢献しているのは、山奥組のユニークな点である。会員の半数が同町出身者で、関東や近畿などの都市で暮している。また、会員の手により空き家となった民家を改修し、農村と都市の交流施設として活用している。

 農村を訪れる観光客は、その地域の理解者あるいは応援団であり、彼らの口を伝わって新たな観光客がその地域に足を運ぶことになる。このような地域への理解者を増加させていくこと(応援団づくり)が重要であることを改めて実感した。

むらに夢と活力を!(第4分科会《西予市》) 特定非営利活動法人たかさき女性懇話会 関 良江

 西予市は愛媛県南部の中心に位置する。核になる市があっての合併ではない。山あいにある5町(明浜町・宇和町・野村町・城川町・三瓶町)が平成16年4月に合併し誕生した人口4万5千人の新市である。新市とはいえ市の面積は県内2番目(515平方キロメートル)の広さである。ただし75%は山林が占めている。経営耕地面積は3,525ヘクタール(田=1,772ヘクタール:畑=603ヘクタール:樹園地=1,150ヘクタール)である。山林を背景に山の傾斜地のみかん畑や棚田がある。その景観の中に集落が点在する。五町の合併とはいえ山あいに点在する集落は全体で337を数える。一番多い町、野村の集落135を筆頭に宇和93、城川62、明浜28、三瓶19である。いくつもの山村集落の寄り合いの町、5町を集合した西予市の高齢化は先端をいくといって良い。65歳以上が過半数を超える限界集落は、市内337集落の内68集落(20.2%)である。特に野村(30.4%)・城川(33.9%)が高い。また55歳以上が過半数を超える集落は、市全体で240集落(71.2%)となっている。(配布資料から)

 集落の高齢化は地域の活性化を考える重要な課題でもある。『山奥組』の《高齢社会は高齢者が主役》として活躍する状況は非常に参考になることが多かった。

 第4分科会は市の現状を知ってサブテーマ《~限界集落の現状から、ふるさと再生と地域の元気づくりを考える~》を目指して見学に入った。第一に訪問した宇和町では明治5年創立の開明学校(建築・明治15年)を見学、当時の授業の一端を体験した。県外からも子供たちが見学・体験に訪れている。学校を出ると、宿場町として発展した古い町並みが旧街道として残されていた。「西予市は地方の文化を中心にすえて全国へ発信する」という説明を裏付ける現場体験であった。

 二番目は城川町の[ギャラリー城川]である。ここでは、第14回[全国かまぼこ板の絵]展覧会が開催されていた。(会期7月20日~12月7日)テーマは『いのち』。全国から毎年応募してくるという。今年は13,333点が全国から集まった。来年のテーマは「こころ」である。かまぼこ板を幾枚もつなぎ合わせ大きくした板や一枚だけの小さいものなど様々だが絵の具も水彩・油彩・アクリル・マジック・色鉛筆、これも様々で絵そのものも多様で面白い。そこに福井の「日本で一番短い手紙」と連携、板絵と手紙の文章が偶然に合うものがあり、これをコラボレーション作品としたものが展示されていた。この絵と手紙の偶然の出会いが、人と人を結び交流が始まる。そして全国から出品した人たちが見学に訪れる。楽しい企画である。この展覧会のチラシには小さな手書き文字で《いきいきのびのびちゃれんじみんな幸せになるためにうまれてきた…》と書かれている。あたたかい、やさしい雰囲気をかもしだしていた。

 三番目は第4分科会、案内役の活動の拠点でもある野村町だ。野村町の有志でつくった[むらの新資源研究会 山奥組]は「農山村に夢と活力を!山奥組のチャレンジは続く」を主テーマに4部会がそれぞれのテーマで取り組む。第1部会は[環境・生物資源]として野村町中心部に近い自然林を借り受け「里山保全の森づくり」の拠点として活用している《十文田の森》の雑木林へ見学体験に訪れた。ここは環境学習や体験学習・自然観察・保険休養・健康増進・レクリエーション等の場として活用、山の上部は雑木林、下へ向かって杉・檜の林、最下部には竹が入り込み竹林が混在していた。雑木林の中には「原木しいたけ」の栽培状況が観察できるように菌が打ち込まれた原木が積み上げられ体験学習の場となっていた。また森の植生調査報告書「十文田の森の植物」を発行、郷土の自然遺産である巨樹・巨木を調査し「野村の巨樹91選」「巨樹案内マップ」等を発行して、市内の学校や関係機関に配布している。第3部会の「伝承文化・伝承技術」は地元の竹工芸・細工伝承の講習会を開催している。うなぎ取りの竹の筒を見せてくれた。第4部会「交流・人材育成」では空き家を借り田舎暮らし体験施設として山荘を開設し農山村体験・交流の場として利活用を図っているという。第2部会[地域農業・農産加工]地域の伝統作物の復活と「ふるさと宅急便」事業などを始めている。この多様な地域おこしの取り組みは『山奥組』の「人間の歴史の上に現代がある。過ぎてきた歴史には沢山の生きるヒントがあること、過去を粗末にしないで現代に生かす知恵を大事にしたい」という活動理念の表れだと思った。また『山奥組』の熱意と温かさは、会の説明の時にもらした「地域づくりは、地域を知る箱が熱くなっていないと」が記憶に残っている。(箱は、箱を満たすメンバー…と解釈した)

 この分科会の収穫は、利便・効率・合理性を追求する現代社会を見直し地域の再生を図るキーワード<こころ・やさしい心>これに尽きると思った。

 平成合併で高崎市に入った母の郷(旧久留馬村)は、自然いっぱい人情いっぱいの山村だった。子供の頃の思い出はつきない。自然を残した過疎再生のヒントをたくさん得ることができた。

地域づくり団体全国研修交流会参加レポート きりゅう市民活動推進ネットワーク 蓼沼千秋

 30年ぶりに訪れた愛媛。「ようきなはったなあ、だんだん」という愛媛県知事のあたたかな言葉で迎えてくれました。第26回目の地域づくり団体全国研修交流会に、180団体300名を超える参加者が宇和島に集合しました。

 愛媛と言えばみかん!会場ロビーには、ポンジュース蛇口が設置され、蛇口をひねるとみかんジュースがでてきてびっくり!

 全体会では、全員参加型のトークセッションが行われ、いくつかの質問に四択で答えたり、意見を発表したりしました。コメンテーターの若松進一氏と土井中照氏のやりとりは、いろんな分野に造詣が深くおもしろかったです。「地域づくりは、人の良し悪しによって決まる」といったのは、若松氏でした。工夫とアイデアを自ら進んで行う若松氏は、首から小さな電光掲示板をつるしメッセージを流していました。若松氏は分科会ではトークバトルにゲスト出演したり、観光カリスマとして寄席を行ったりとフル回転。

 宇和島では、前夜祭にも参加し、たくさんの方と名刺交換をしてきました。司馬遼太郎が愛した街宇和島には、かつて「寄合酒」と呼ばれる独特の宴会形式があったそうです。魚を釣ったり、料理をしたり、場所を貸したりと手分けして準備し飲み明かしたそうです。今回のおもてなしは、郷土料理のオンパレード。「鯛めし」「さつま」「ふくめん」「じゃこ天」など珍しいものばかりで、どれも大変おいしかったです。

 会場内にはポスターセッションがあり、15の分科会の活動紹介やパンフレットの展示がありました。どの分科会も魅力的で、皆さん熱く語ってくれました。なかでも、宇和島市生活文化若者塾「拓巳塾」の取り組みは興味深かったです。より郷土を深く理解するためご当地検定試験を開催するなど、山田五郎氏の著書(ご当地検定の本)にも関与したとのこと。また宇和島出身の片山恭一氏の「世界の中心で愛をさけぶ」の小説の舞台となったところをまわる「原作の風景MAP」を発行するなど若者らしさを発揮していました。

 私が参加した第12分科会「癒しの交流でおもてなしのしまなみグリーン・ツーリズム」では、初日に活動報告と夕食交流会が行われました。平成11年にしまなみ海道が開通し注目される中、主流の農業が衰退。地域資源を活用し活性化を図るため、生活研究グループから声が上がり県のモデル事業を導入。協議会をつくり57の体験メニューを提供しています。今回は、その中の「潮流体験」と「タコ釜飯づくり」を体験してきました。能島の村上水軍(海賊)本拠地のうず潮の急流を船に乗って間近に体験することができました。あちこちにうず潮が発生するとても不思議な所でした。この体験が、ツーリズム一番の人気だそうです。タコ釜飯は、生のタコを伯方の塩でもんで調理するのですが、吸盤に吸いつかれたりして、大騒ぎをしながら作りました。それぞれの民宿に分かれての夜なべ談義も楽しい思い出になりました。女性だけのグループで、会長の西部さんのお宅に泊まりました。西部さんのお宅は農家で、みかんやお花の栽培をする傍ら、農家民宿で修学旅行生を受け入れているそうです。様々な体験メニューは、子どもたちにとって貴重な体験となることでしょう。桐生でもグリーン・ツーリズムができそうかな?!最近では「エコ・ツーリズム」や「ヘルス・ツーリズム」なんていうのもあるそうです。

 心のこもったおもてなしをしてくださった今治市の皆様にとても感謝しております。事務局となった今治市役所の市民まちづくり推進課の方々には、事前から丁寧な対応をしていただき、お陰様で今回の研修が有意義なものになりました。たくさんのおみやげを持ち帰った私ですが、これからの活動に反映していきたいと思います。

第15分科会に参加して 榛名まちづくりネット 芹澤 優

 この研修交流会に参加しようとした動機は、自分が住んでいる地域から時には離れてみないと良さや、足らないことなどが判らなくなってしまい、再度見つめなおすことの必要性に駆られたことと、こんな時代の中でも世のため、人のため、地域のため、自分のためにがんばっている人々の姿や地域の自然、生活の営みを見聞し、この研修会の内容をもって、わが地域の活動の参考にしたいという思いで参加した次第である。がんばっている地域の人々のエネルギーを少しでも、お裾分けしてもらい、また長年に亘っての地域活動の中で溜まった埃を落としたいということもあって参加したのである。最低、1年に1回ぐらいは郷土から離れ、外から見ることが必要なのである。

 今回は愛媛県ということもあり、11月13日に出掛け、松山の道後温泉に寄ってみた。群馬の温泉地とは違ってリフレッシュできる雰囲気があり、そこで生きている人のやさしさと生きる力を感じ取ることが出来た。ちなみに、わがネットの活動のメインテーマ「竹久夢二の榛名山産業美術研究所構想」に基づいた活動を行なっているが道後温泉の街中にも「夢二のアトリエ」のお店があったのには驚き、この活動を続けていることは間違いないということを再認識することが出来たことは大変よかった。

 翌14日の10時から南予文化会館で「きなはいや伊予の国~広げよう地域づくりの輪~」の大会テーマにより開会した。なかでもトークセッションがよかった!参加型のトーク形式を取り、地域づくりを行なう上での悩みや、これからの地域づくり活動のあり方等についてのやり取りができ、本音を出し合える内容であった。

 分科会は15分科会伊予市{旧双海町}「しずむ夕日が立ちどまる町」分科会に参加した。

 旧双海町は、かつて過疎、高齢化、地盤沈下にも悩まされる何もない町であり、近くの松山市の名を借りて説明するしかなかった町であった。その様な中で「夕日」を唯一のテーマで地域を活性化させたのが元役場職員の若松進一氏であるからすごい!公務員がそこまでやり抜けるのはなぜか、またその経緯と活動内容をどうしても見聞したくて、この分科会を希望し、参加したのである。今、われわれの地域がそんなに遠くない時代に、そうなってしまうのではないかと危惧しているところなのでどうしても参考にしたかったのである。

 その具体的な活動内容は「夕日」というコンセプトで地域活性化をめざしたのである。取材に来たNHKのディレクターが夕日を見て「こんな美しい夕日は初めてだ」という言葉に教えてもらったとのことである。地域資源というものは、外部の人に見出され、気づかされるものである。最初は多くの住民の反対があったがやり抜いたという。大体この辺で公務員はやらなくなってしまうのである。行政は単年度予算であるし、為政者は4年間の任期であり、その間で業績を伸ばさなくてはならないので、反対の人数がどのくらいいるかによってその事業が遂行できるか、できないかが決まってしまうのが通常である。

 地域活性化事業は無難な、常識的なことを行ったのではマスメディアも取り上げないし、地域住民の意識変革も出来ないし、知名度アップにも繋がらないのである。

 双海町は最初の仕掛けとして「夕焼けコンサート」を夕日の沈む海辺の駅で開催してから、認められて行ったとのことである。

 われわれも今から25年前に「榛名で生の音楽を聴く会」を仕掛け、20年前には歌謡名曲「湖畔の宿」のモデル地であり、「宵待ち草」で有名な竹久夢二がこよなく愛した榛名湖で食と芸術{榛名アートウイーク}を官主導で民と一緒に開催し、10年間続けたのであるが担当が代わると継続しない、させないこととなってしまったのである。

 この地域は、官主導では継続的な事業は出来ないことがわかったので民でこれを継承し、出来ることをやろうということで「地域づくり団体榛名まちづくりネット」で引き継ぎ、異業種のネットワークにより活動を展開しているのであるが・・・。

 さて、愛媛の双海と群馬の榛名とでは何が、どこが違うのか?を思考しないわけにはいかなかった。歴史か?風土か?住民の意識か?支える母体か?行政形態か?

本当に考えさせられる交流研修会であったが、危機感があること・持っていることが活動を奮い立たせる一番の要因であると感じさせられた。

この研修会で得た貴重な糧を基に、わが地域の活性化のために現状を踏まえ、今後も弛みない努力を重ねて参りたい。

平成20年度地域づくりコーディネーター研修会の報告について

 去る9月29日(月曜日)から30日(火曜日)にかけて地域づくり団体全国協議会主催の平成20年度地域づくりコーディネーター研修会が虎ノ門パストラルで開催され、当協議会から椎名会長が参加しました。

「人材育成と組織連携」~地域づくり・人づくり・価値づくり~と題して2日間にわたり2つの分科会に分かれ開催されました。その様子をご紹介いたします。

プログラム 
1日目:9月29日(月曜日)
【第1分科会】「組織マネジメントができる人材育成~ヒトを動かすヒトづくり~」

  • 実践活動家による報告 菊池新一氏(東北まちづくり実践塾 塾長) 「遠野型まちづくりの手法」
     黒木定藏氏(宮崎県西米良村 村長) 「カリコボーズの休暇村・米良の床づくり」

 

  • パネルディスカッション コーディネーター 岡崎昌之氏 (法政大学現代福祉学部 教授)
     パネリスト 本田 節氏 (火の国未来づくりネットワーク 会長)
     菊池新一氏 (東北まちづくり実践塾 塾長)
     黒木定藏氏 (宮崎県西米良村 村長)

2日目:9月30日(火曜日)
【全体会】「人材育成と組織連携」~地域づくり・人づくり・価値づくり~

  • パネルディスカッション コーディネーター 岡崎昌之氏 (法政大学現代福祉学部教授)
     パネリスト 延藤安弘氏 (愛知産業大学大学院 教授)
     大湯章吉氏 (能登乃國ゆするぎ塾 塾長)
     本田 節氏 (火の国未来づくりネットワーク 会長)

 地域づくり活動に重要な役割を果たす地域づくりコーディネーターの在り方や果たすべき役割等について、人材育成と組織連携の観点からコーディネートスキルのレベルアップを図るための「地域づくりコーディネーター研修会」が9月29日~30日まで、東京・虎ノ門パストラルホテルで開催された。

  今回、群馬県地域づくり協議会を代表して参加したが、全国各地(北は秋田から南は鹿児島)から、行政機関の地域づくり担当者や民間の地域づくり団体の方々が集まり、2日間にわたり熱心な議論を行うことができ、充実した研修となった。

 全国協議会の岡崎会長とは旧知の関係であるため、第1分科会での研修となった。実践活動家による事例では、菊池新一さんから遠野型のまちづくり手法の成功事例として、発想の転換(15の仕掛け)によって10万人の目標であった道の駅「遠野風の丘」に年間100万人が来るようになったことや徹底したワークショップにより、たった5坪で、5000万円を売り上げる農家レストラン「夢咲き茶屋」等が報告された。

 遠野型まちづくり手法の基本的な考え方・コンセプトは自分たちの地域(特に中山間地)に誇りが持てる住民を作ること。そのことにより魅力的なまちになり、そこからこそ、多くのその土地らしいソーシャルビジネスが生まれる。そして、不可能と思われることにこそ、ビジネスチャンスが潜んでいるとのことであった。

  宮崎県西米良村 黒木村長からは、人口約1300人の地域資源を活かした元気な村づくりの事例として、西米良に「しかない・だからできる」もの・西米良に誇れる長い歴史と伝承された文化について報告されたが、受け継がれる菊池の心として、通学路を車で通る村民や観光客などすべての人に対し、立ち止まりあいさつする中学生の姿が映し出された写真には思わず感動した。

 山村生活の知恵から生まれた相互扶助のシステム「てごり」(田植えなどをはじめ、時期的に労力が不足する場合、各戸で話し合い、労力の交換を行う)や新たな試みとして発足した「朝・夕風呂会」について報告された。

 「朝・夕風呂会」には老若男女の村民70名が参加し、温泉の営業時間前と営業時間後にボランティアで掃除を行うことにより、清掃費年間約1800万円の経費削減が行われたとのことであるが、こうした相互扶助の心や感謝の念は、通る人に立ち止まりあいさつをする中学生の姿がすべてを物語っているような気がした。

 パネルディスカッションでは、人材とは人財(地域の財産になる人)ではないかという意見から、人材をどう発掘し、育成し、活かしていくのかについて、会場の参加者を交えて活発な意見が交わされた。

 参加者の1人として、「地域のもつDNAを次の世代にどう繋げていくのか、それが我々の役目である。同時に、若い人たちをどう地域に巻き込んでいくのかそれが課題である」という旨の意見を述べさせていただいたが、「若い人材をどう発掘していくのか、そのアプローチの仕方・仕組みについて」が、翌日の全体会でのテーマの1つとなった。

 2日目の全体会は、「1.地域資源の見つけ方 2.行政における現場性 3.人材をどう発掘するのかその仕組み・アプローチの仕方 4.住民と行政の垣根をどう取り除くのか 5.スーパーコーディネーターとは」というテーマで、午前9時30分から開催されたが、前日の夜に行われた交流会の余韻とともに、議論は尽きることはなかった。

 特に、第2分科会のパネリストであった、能登乃國ゆするぎ塾 塾長の大湯章吉さんから「カチカチ山と花さかじいさん」と題した価値づくりから地域の物語づくりという話は、地域づくりの絵本としてとても参考になり、是非、機会を見つけて当協議会のメンバーに聞いて欲しい内容であった。

 次回は、若くて積極的な行政機関の担当者や地域づくり団体の担い手になるような方をこの「地域づくりコーディネーター研修会」に参加させる仕掛けづくりを考えていきたいと思っている。

地域づくり人物リレー 第1回

特定非営利活動法人 ながめ黒子の会 椎名祐司さん

 今号から地域づくり人物リレーとして、県内で活動している地域づくりの人物を取材して、県内には多くの人材がいることを知っていただこうと企画したものです。次にバトンが渡されるのは、あなたかもしれません。第1回目は、当協議会の会長でもある椎名さんにお話を伺いました。

地域づくりのきっかけ

 平成3年に、ふるさと創生1億円事業である「高津戸峡周辺開発」の整備内容について検討するために、住民と町職員とで構成されるプロジェクトチーム「どり~む21高津戸」を設置した。そのプロジェクトチームで渓谷周辺の開発構想を検討して、「ながめ余興場」(昭和12年建設)を保存し、利活用するよう町へ要望したのが始まりである。

 プロジェクト解散後、要望書の提出責任として、平成5年「ながめ黒子の会」を立ち上げ、木造の芝居小屋ながめ余興場を残す運動を始めた。発起人15名で立ち上げ、一番若かった私が会長をさせられた。

 いざ芝居小屋で何かをしようといったときに、その昔、梅沢富美男さんの父が半年間ながめで芝居をやっていた経緯があったので、梅沢富美男さんを呼ぼうと話は決まった。が、呼ぶためのツテがないため、座長(梅沢武生)あてに直接手紙を書いて送った。その甲斐あって、梅沢劇団の専務から電話があり、「座長が皆さんに恩返しをしたい」と言われ、ながめでの公演が実現した。その後も、永六輔さんや萩本欽一さんに手紙を出し、我々の熱意で来てもらった。

 当時は、文化センターをつくる声が高かったので、余興場を取り壊せという人も多くいた。「お前たちがいるから大間々に文化センターができない」とまで言われた。しかし、常に余興場でイベントをやっていると、余興場も良いのではないかという反応が出てきて、余興場を残していこうという動きが住民の中から出てきた。ソフトを先に固めていき、あとからハード整備がついてくるという我々の思いが実現した。その時に外部の応援団としてメディアの力は大きかった。

活動内容

 今は、ながめ余興場で定例落語会を中心に活動している。平成13年の国民文化祭の時に、ながめ余興場が落語と大道芸の会場となった。前年のプレイベントとして小学校で手話落語やパントマイムやジャグリングの講座を開いたが、最初は落語なんてダメだと言われた。落語は日本の古典芸能の文化ですと説明し、福祉で手話を勉強しているので手話で落語をやるなら、ということで了解を得た。パントマイムも反対された。しかし、海外へ行った時、英語が通じないとどうしますかという質問に、先生は体で表現すると答えた。それってパントマイムですよと言って、表現力講座ということで了解を得ることができた。さらに、大間々高校生を対象とした自己表現力講座をながめ余興場でも行なった。うちの高校生はなかなか前に出て舞台にはあがりませんと言われたが、実際にはじまると我も我もと舞台にあがった。それだけ生徒を惹きつけるものが「ながめ余興場」にあった。それからというもの大間々高校はながめ余興場で行事を行っている。

 また、芝居小屋の維持保存を考え、積極的な活用を通して芝居小屋の持つ魅力を全国に広めていくことを目的に「全国芝居小屋会議」が開催されている。ながめ余興場も当初からこの会議に参加しているが、参加のきっかけとなったのは、スポーツ紙に掲載された小さな記事からだった。以来、14回の会議を全国で開催し、15回目は平成21年10月に「ながめ余興場」で開催される。

 現在、高校2年生がながめ黒子の会の活動に携わっている。彼も進学で町から出て行ってしまうかも知れないが、余興場での経験を生かし、いつかは町に帰って活躍して欲しいと願っている。

まちづくりの3要素として「よそ者、若者、ばか者」が必要だと言われているが、「よそ者」感覚は、大事だと思っている。町から一度外へ出て、外から町を見ることが大事である。「どり~む21高津戸」のメンバーもほとんど一度は外へ出た人が多かった。特に、主婦はほとんどよそから嫁いでくるため「よそ者」感覚を自然と身につけていると思う。だからこそ、そこに根を張り、しがらみにとらわれないシビアな目で地域を見るため、まちづくりにとって強い力となる。

 これからは、若者たちが町をどう見てやっていくか、そういうことも大事にしていきたい。そうでないと町も新陳代謝しない。

地域づくりへの思い

 地域づくりには、まず「この指止まれ」の精神で気軽なスタンスで始めることが大事であり、まず自分たち自身が楽しんで活動できていることが何より大切なことである。

 またマスメディアを上手く活用して、情報を発信してもらうことも地域づくり活動を広めていく上でとても重要になってくる。絶えずアンテナを高くして、生きた情報をつかみながら、生きた情報を発信することが活性化につながってくると思う

 地域づくりやまちづくり運動を積極的に行うには前例踏襲主義ではできないと思っている。かつて、映画「眠る男」のロケ地にもなった小平地区にある野口水車で、水車の音と三味線と尺八でコラボして演奏会をやりたいと言ったら、行政担当者から、水車小屋の中での演奏会は条例上無理があるし、演奏会をおこなった前例がないと言われたことがある。はじめてやることはすべて前例がないのは当たり前で、前例がないから面白いのである。

 我々は、行政と対立して反発しあうのではなく、行政は行政として、民間は民間として、それぞれの役を担い、共に一つのことに向かって、その垣根を取り払って動けることが大事である。そのことで活動の幅も生まれるし、お互いの理解や共通認識が生まれてくると思う。

 「まちは劇場」という言葉の通り、それぞれの果たす役割があり、お互いに協力して活動する中から「協働」という概念が生まれてくるものと信じている。

これからの課題・夢

 これからの課題として挙げられるのは、次代を担っていく若い世代をどう巻き込んでいくかということである。そして、これは地域づくり活動やまちづくり運動の全てに共通する課題でもある。地域の持つDNAをどのようにして次世代につなげていくことができるのかが課題であり、役目でもある。

 今まで、まだ名前の知られていない若手の落語家(二つ目)中心にながめ余興場に呼んで定例落語会を開いてきた。若手の落語家の登竜門として、ながめ余興場で修行を積んでもらい、昇進して有名になった後も、恩返しという形でながめに帰ってきてもらって公演してもらうという取り組み(カムバックサーモン計画)を進めてきている。

 さらに次の世代を担う人材を育てるために、落語家の卵の卵として、大学の落語研究会に目をつけている。将来は、全国大学落研大会をながめ余興場で開くことが出来ればとただいま思案中である。

最後に一言

 地域づくり活動は、エネルギーを保ち続けることが大事であるが、疲れない程度に長持ちできるシステムが必要と考えている。自分たちが楽しめるのが一番であり、楽しくなければ続かないから、絶えず楽しいことを見つけていって欲しい。「嫌になったらやめよう」と言ってから15年。妻には、「男のロマン、女のやせ我慢」と言ってまちづくりに取り組んできた。妻から「いつまで我慢すればいいの?」と言われ、「いつか良いことあるよ」と返すが、本当に家族には感謝している。

好きな言葉 「近者説遠者来」:住んでいる人が楽しんでやっていれば、周りから人がやってきて良い町ができる。

感銘を受けた本 「活学」(安岡正篤)

印象に残る人物 安岡正篤(まさひろ):陽明学の日本の大家。

自分をものに例えると?その理由 くまのプーさん・・・癒し系

次にバトンタッチする人 杉原みち子さん