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ひゅうまにあ通信41号

更新日:2011年3月1日 印刷ページ表示

表紙

実践講座講師 根本良一さん

実践講座の様子

コンテンツ

平成20年度地域づくり実践講座 講演録
 講師:福島県東白川郡矢祭町前町長 根本良一さん
 演題:住民とともにつくるまちづくり~矢祭町の改革から学ぶ~

平成20年度地域づくり団体研修交流会in榛名 実施報告

地域づくり人物リレー 第2回

  • 街づくり市民ゼミナール 杉原みち子さん

平成20年度地域づくり実践講座

 平成21年1月22日(木曜日)に県庁において「平成20年度地域づくり実践講座」が開催されました。
 講師に福島県矢祭町前町長の根本良一さんをお招きし「住民とともにつくるまちづくり~矢祭町の改革から学ぶ~」をテーマに講演していただきました。

「住民とともにつくるまちづくり~矢祭町の改革から学ぶ~」 福島県東白川群矢祭町前町長 根本良一さん

町長を辞めた日

 私はご紹介にありましたように、一昨年4月末に町長を退任いたしました。本当にほっといたしまして、念願かなったといいますか、24年間、長いようで短いような年月でありましたけれども、なったときから町長をやめたい、と思わない日は一日もないのです。家族は、私の家の場合「お父さん、やめな。私たちお父さんが町長などということになると町内へ行けないよ」とずっと言われておったんですね。うちではご飯は一緒に食べませんよということで、正月も元日だけ、あとは勝手に食べな、と。

 そして、やめた日、家族は赤飯を炊いてお祝いをしてくれました。やはり首長というものに対する印象がいかによろしくなかったかということは私の家族が象徴していました。矢祭の首長さんが悪いことはないんですよ。私の家内も私と結婚する前は役場におったんです。役場の印象は決して悪いわけではないんですけれども、良いという印象もなかったんでしょうね。

女性のちから

 前置きが長くなりました。ここにも女性の方もおりますけれども、私がつたない判断をいたしますと、新しい時代の、とりわけ役場であるとか県庁であるとか、官僚であるとか、そういう社会は全部女性に任せる時代がきたなと私は思いますね。男性がいる社会でないと思うんですね。権威主義といいますか。私も町長を24年間やっていまして、女性に対する一つの偏見を持っておりました。女性など矢祭町は役場で絶対採用するなと。用地交渉はだめだよ、超過勤務はだめだよ、現場はだめだよ。大体男もほとんど採用しませんでした。そういう偏見と独断を持ってずっときました。

 しかし、いざやってみますと女性の方は、家事もやり、子供も育て、そして仕事もする時代ですね。いろいろなことを一緒にできるんですね。男はできないんです。私は役場をやめるころ、そういうことを思うようになりました。日本の国は、特に公共は、女性に全部任せる時代かな。男は山へしば刈りに行き働きなさい、そういう時代に入ったのかな。何も役場とかそういうところにおるのではなく、弾丸雨あられの中で男は働き、活躍すべきかな、私はそうしみじみ思いました。役場の仕事を全部やって、百点満点のことを発明するのは皆女性ですもの。ごめんなさい、男性の皆さん。最後の最後でありましたけれども、やめるころに後悔しました。

 そしてなぜこういうことを言いますかというと、男がどうしてもかなわない女性がおりますね。例えば櫻井よしこさんという人。今月末、矢祭に来ますけれども、「根本さん、矢祭町にはいつでも行くよ」こう言うんですね。来られると大変なんですよ。ですから、いいよ、いいよと言っているんだけれども、「10年後には矢祭町民になるよ。籍を持っていくの」。そして「矢祭町で何が一番欲しいの」「それは金が一番大事だよ」「どのくらい」「いや、多いほどいいよ」「私も籍を持っていけば1億円くらい納めますよ。私の友人も五、六人、幾らでも1億円くらい納めるのがいるから、それを全部持っていきましょう」「お断りいたします」。やはりそれは正しくないと私は思うんですね。ふるさと納税と別ですから。

 男がどうしてもかなわない平岩弓枝さんとか、永井路子さんとか、櫻井よしこさんとか、私は五、六人いると思うんです。平岩さんが「西遊記」を毎日新聞に書きまして、四百数十回、私は孫悟空が好きでずっと見ていました。最後の最後に、平岩さんはこういうことを書きました。その物語の中に観世音菩薩が出てきますが、観世音菩薩というのは男の神様だそうですね。その菩薩の名前を借りて、書いています。帰って読んでください。私は毎日新聞のセールスマンではないんですけれども、やはり若い人たちに読ませたい本だなと思っています。「人は登りつめたまま終わる幸せを手にするのは難しい。高みに登れば登るほど失脚はすみやかに訪れる」と書いています。

 私は町長というものを上りつめた職であるとは思いませんよ。けれども、ずっとやってまいりまして、目の前に小さな、大したことでない権力がごちゃごちゃ一升ますにいっぱい入っているんですね。町長が定めるもの、町長の印鑑をもって決めるものは、大したものは何もないんですね。子供がおはじきを持って、あるいはめんこを持って遊ぶ。あんなものですよ、町長の権力というのは。ですから、あれを全部いいものだと思って使うと失脚は速やかに訪れると私は思うんですね。悪いけれども、首長になって、小なりといえども、大群馬県といえども、皆同じですね、首長は。あんなもので男の人生を過ごしておられるか、私はこう思っておりましたけれども、平岩さんは正しいことを書いています。あれで失敗するのが多いですね。

合併しない宣言

 私どもの町は、福島県の一番南のほうで、取るに足らない小さな寒村です。平成13年10月30日に「合併しないよ」と言ったに過ぎないのです。それを合併しない宣言という形で議会がやったんですね。大それたことをしたという思いは当時さっぱりないんです。憲法第92条が地方自治法を保障しております。ですから、合併というものは強制合併できないんですね。でも実はこの平成の大合併は半ば強制でしょうね。けれども、それは憲法を直さないと強制はできない。ですから、私のほうはそんなに大騒ぎになるとは思わないんですね。当たり前のことを当たり前に言った。

 なぜ当たり前か。私どもの周辺の一寒村が合併すれば、有史以来人々が住んでおりますけれども、1秒間で矢祭町はなくなる。それに人が住まなくなります、合併というものは大体そういうことですから。総務省はそれを百も承知で、周辺の自治体の小さな金食い虫に幾ら金をつぎ込んでも日本の国はよくならん、それでいいんだと。

 そして今から1カ月くらい前、朝日新聞が野麦峠という1ページを出しました。読んでいますか。そこに東大の地方行政学の教授が、矢祭町の選択は正しいかもしれない、それなりにリストラを進めて、そして生き残らんとすることが正しいということを書いてくれました。

 合併というのは、総務省は、何とかして弱小自治体、小さな自治体を極楽死させよう、安楽死させよう、それには合併が一番いいんだという考えですね。私はこの話を断じて受け入れられない。私どもの町はせっかく皆で努力をしてきたんですから、何とか残したいものだ。合併というくじを引かなければ、ひょっとすると人が住み続ける可能性を残すのではないかと私どもは判断をした。

競争しないまち

 私は、26年前、町長になりましたけれども、当時福島県は90の自治体がありました。今は59です。矢祭町は、一番外れにあり県庁から一番遠いところにあります。そして言うならば、すべてのものは、80番目より上のものは何もなかった。財政力指数、ラスパイレス、1平方メートル有効面積当たりの公共投資、全部80番目より上のものは何もない。ということは、競争しないという町ですね。運動会でも後ろに一人でもいれば安心して駆け足しない。それは決して悪いことではないと私は思います。良い、悪いは別の話だと思いますけれども、矢祭町もそうなんですね。

 そして私が町長になったころは、時あたかも、いわゆるメディアが各自治体の競争の原理を少しずつ放送するようになりました。それに伴い、おれたちの町はなぜこうなの、なぜこういう仕事ができないの、よその町はこうだよと言われるようになりました。企業誘致をなぜやらないの、働く場所がなぜないの。そんなことをしなくてもやってこられた日本の国でした。昭和40年代の後半から50年代は税収がずっと上がりまして、そして地方交付税が、交付税3法、今5法ですね。ああいうのは使い道がない。職員を採用することが最大の公共事業でした。今度やめます団塊の世代の皆さんの頃ですね。一番多いときはオリンピック前の中国くらい成長しましたね。

 私は8時半ぴったりに役場へ行きます。自宅はちょっと遠いですが、私がしょっちゅうたむろしている所は歩いて1分くらいのところです。私はその前には行きません。首長が7時半や8時に行って番兵しているというのはいっぱいありますが、私は職員を見張りに役場に行ったわけではないですから、そういう役場では断じてしないということを最初から言っています。私が歩いて行くと、皆2人ずつ表に出るんですよ。来た、来た、今日も来たな。心臓麻痺を起こさなかったなとがっかりしていましたね。そういう24年間を送ってまいりましたけれども、私はそういうことで役場の皆さんとはいろいろの思いを持っております。

 そして役場の諸君は今こういうことを言っていますね。「風姿花伝」を書いた世阿弥という人がおりますね。私はあの本が大好きでずっと見ていますけれども、職員も読んでおるんですね。あるとき「世阿弥にこういうことを書いてありますよ」と。「何だい」「こぞ盛りあらばことしの花咲かざること知るべし」─こぞというのは去年ですね、去年盛んに花が咲いたとすれば、今年は咲かないよ。「あなた方は偉いね。では今年はお休みか」「まあ、根本さんに随分叱咤激励されたから」「叱咤激励ではあるまい。こき使われたと思っているんだろう。だから今年は休もう、今期は休もうと」。それはいいね、それは間違いなく正しいよと私は言うんですね。

 松本清張さんという人がおりましたね。あの方は九州ですよね、小倉ですかね。こういう小説を書いています。「命がけの仕事、冒険をしたら次は休みなさい。それを続けてやろうとすると命を取られるよ」。

 ですから「もうここで蓄えな」と言ってやります。私は役場のすぐ近くにいますから、時々ならず、1日にだれかは来ますね。矢祭町の職員の皆さんは一生懸命やっているんですよ。

町民が一つになってやったこと

 私どもは淡々と「合併しないよ」と言ったに過ぎないんですね。90自治体のうちの80番目より上のものは何もなかった。とりわけラスパイレスは福島県一高い。かつての私どもの仲間の前の前の町長さんが、ワンマンでね、立派な町長さんだったんですが、ある日突然、水面下でじっとわからないようにつくっておった職員組合を結成した。労使交渉ということがありまして、そして懐柔策として職員給与を1号俸上げたんですね。ですから、矢祭町はラスパイレスが高いんです。自慢することは何もないんですが、実は皆で一生懸命やったんですよ。企業誘致もやりましょう。あるいは公共事業もやりましょう。道路も田畑も農道も、のり面工事も林道も、そして福島県で一番になったんです。学校も全部新品になりました。町民の施設も全部新しくなりました。私どもの隣の町、あるいはその隣の町、人口が倍、あるいは3倍のところにあるものは、私どもの町にないものは何もなくなった。私どもは公共事業を全部やりました。

 なぜそういうことができたか。やりたくても自主財源がないんです。だからぜいたくをしないでそういうものをやろうというのが皆の考えでしたね。補助事業、あるいは有利な起債以外はほとんどやらないんですね。真水のものは全然やらなかった。それで福島県で10番以下のものは何もなくなったんです。介護保険料、今2,480円ですけれども、スタートは1,840円、全国で8番目に安い。私は、公共料金は安いほうがいいと思います。水道料金10トン当たり1,165円、保育所の保育料9,000円、住民税標準10万円納付世帯ですね。ゼロ歳児、2歳児、1万1,900円、皆よその3分の1だと思うんですね。3人分でよその1人分です。私は公約ですから24年間一銭も公営住宅は値上げしませんでした。そして安くてできるんですね。やろうと思えばできないことはないんです。

 給食費は、私どもの場合は150円ですね。妊婦検診、産前産後13回くらいだそうですけれども、私どもはとっくにその13回分はゼロです。子供を育てようとするときに言葉だけではだめですよ。保育所も、勤めるところも全部つくってやらないと、そういうことになったんですね。

 分配所得、80番目くらいであったものが今6番か7番ですね。大福島市と言われます、大郡山市、人口約34万人、そこは私どもの次の次ですね。何をやったかといいますと企業誘致をやりました。上場の企業ですね。それは私の役割ですから当然です。あの高速交通体系下でない矢祭町になぜ企業が来たのか、それは根本さんだからですと、私は胸を張って言いますけれども、これは町長の役割です。やはり税収入がないと町は困るんです。一番大事なことは、民主主義であるとか、まちづくりであるとか、あるいはボランティアであるとかいろいろありますけれども、一番は町の人の働く場所がないと金が取れない、私はそう思うんですね。ですから私は、それを全力でやってきた。だからそういう町になったんです。

 やはり町が一つになるということは大事ですね。一つになって、それなりの矢祭町ができました。私が連れてきた企業があって、はじめは分配所得が170万円くらいが今17年統計で330万円くらいになっているんですね。18年統計はあと1カ月くらい経たないと出ないんですが、私は毎年統計を待ちかねているんですよ。というのは、私ども一生懸命やっていますから、今年も上がってきたな、それを見たいんです。

ある日の会議から・・・

 せっかく皆で努力をして、後ろから10番目以上でない矢祭町が、上から10番以下のものは何もなくなった、公共としてはですね。料金も全部安い。そういうときに、「はいどうぞ、今度はみんな合併して」それはないだろうと。今の新しい町長さんは、時々私のところに来るんですよ。「無理してやるな」「やろうとしても、もう何もないんだから」「だから、子供のためとか、年寄りのためとか、そういうことを中心にやりな。もう時代は大きく変わっているよ」「そうだ」と。そういうことで一生懸命やっています。

 それなのに、水道もまだ半分も整備していない、田畑の整備もやってない、学校も半分しか建ってない、やったことは、町議会議員のいわゆる自分の支持者とか、自分の道の前の門場を広げるとか、そういうことばかり、そういうところと私どもの町が合併して今までのことをチャラにするのか。それはならないというので合併しないということを言ったに過ぎないんです。

 そして、東白川郡と西白河郡と白河市と県南地方12の自治体がありまして、消防とかそういうものを一緒に広域圏でやっておった。ある日、議長と首長の会議があって24人集まった。管理者は市長さんです。「皆さん、合併というものはいいものだ。今後この12の自治体で合併しようではありませんか」、こういう話が突然としてわいたんですね。「ちょっとお待ちください、管理者。これは管理者の専決事項ではないよ。いいものだというのはどういうことなんだ、教えてくれ」こう聞きましたら「調査をしたら、12の自治体の55%が合併賛成だと言っておるよ」「ほう、そういう調査はいつしたの。私の方はした覚えはないよ」。その広域圏でほかにも総務課長会議というのがあるんですね。首長の会議もあります。介護保険担当者の会議もある。「総務課長の会議をやったら、12の自治体の総務課長の6割が合併賛成と言った。だからこれは民意の反映だ」「お待ちください」「それが民意の反映か。断じて譲れない」「いや、そうではない」「ではあなた、そういうことを言うなら、この次の市長選はいつだ。私はあなたを間違いなく落とすよ。市長としてふさわしくない」。実際に落ちました。私も反対の応援にマイクを握りました。それはそれとして、長年の仲間ですからいいところもいっぱいあったんですよ。だけれども、正しくない。

 それから当時の総務課長に、「おまえさん、総務課長会で合併の賛否を問うたことがあったのか」「ありました」「あんた、どうでもいいことを復命書に書いてきて、そういう肝心なことは復命書に書いてないよ。どういうことだ。町の栄枯盛衰を決めることではないのか。住民の将来を消すことではないのか、どうなんだ」「いや、町長はどっちみち合併はしないと私は思っているから、そんなことは書かなかった」「だめだ、そういうことでは。左遷するぞ」。左遷しても持っていきようがないんですよ。彼は直立不動になってしまった。「まあ、勘弁してやる、しかし、今から言うことをちゃんと文章にしてみろ」と。そして書いたんですね。

矢祭町の正義

 そのタイトルを幾ら考えても合併反対決議文なんですよ。合併反対決議文というのはよろしくない。合併というのは、各自治体にとっての命題であってもオールジャパンではない、マイナーなこと、メジャー級ではないんだ。それぞれの自治体が判断すればいいことだ。相思相愛です。あなたと私が結婚することによって限りない未来があるんだということなら合併しようではないか。それとも、今金がなくてお互いに苦しいんだ。あなたが5万円でアパートを借りている。おれも6万円でアパートを借りている。2人合わせて11万円払っているならば、2人一緒になったほうが5万円で済むよ。合併はそんなことではないんですね。

 ある女性職員が町長室に来ました。「町長さん」「あんたは後でいい、おれ忙しい」「何をやっているんですか」「うるさいな」「あら、合併反対決議文ですか」「ここのところは何としても気に入らないんだ」「そんなこと簡単でしょう」「何だい」「合併しない宣言にしたら」「ああ、いいことを発明したね、あなた、歴史に残るよ」。しない宣言ならいいでしょう。反対というのは、合併そのものに反対することですから、しても、しなくても、よそは適当に好きにやりな。おれたちはそうではないんだということで「議長さん、これ、どうだ」「いや、おれたちもそれでいい」。18人の議員がそれでいいと。では、議長さん方やりな。議員提案をして議会を開会して、そして議案はただ一つ、18対ゼロでそれは議決した。全部くつわを並べたということは矢祭町にとっては正義だったということですね。正しいと私は思うんですね。ですから、独裁政権でもないし、操ったことでもない。

 そして10日くらい経ちましたら、総務省から来ている、福島県の川手副知事から電話がきました。総務省と県の担当者がそちらへ行くから思いの丈を述べなさいというので何だろうなと思っていたら、知事が矢祭町の判断に任せろということになったというのです。

 総務省から来ましていろいろ話しました。詰まるところはこうなんですね。総務省はもう何もかも知っているんです。幾ら面倒を見ても、幾ら交付税をやっても、有利な起債をやっても、結局は大半の自治体はいい案配にしかやっておらないだろう。真剣になってやっているのか。自分の選挙のために首長あるいは議会がやっておるんではないか。金ももうないんだ。だから一つにまとめてしまったらいいんじゃないか。これはもう歴然としたことですね。私どももそう思います。そう見えます。

決めたことには責任を持つ

 今矢祭町で矢祭町民が住み続けるためのものは大体みんなあるんです。学校も道路も、農地も林道も、全部公共事業でかんなで削ったようにきれいにできたんです。これはなぜか。日本の国がそれだけのことをちゃんとやったんですね。それを借金の中でやってきたんですね。ですから、ドイツが道路、アメリカが何だ、スウェーデンがどうだ、一極集中のものがありますけれども、全体のバランスは日本の国が公共としては一番高いと私どもは小さなところに住んでおっても思うんですね。ですから、国の借金700兆円も、今はたちまち800兆円を超えていますが、財政投融資、ああいう金を含めて、あるいは特別会計を含めて埋蔵金などあると言われますけれども、あれは借金もあるんですよ。借金もプラスすると1,200兆円を超えるというんですね。1人幾らの借金になりますか、およそ1,000万円です。ですから、その借金はやはり私どもの地方に配分したな、私はそう思うんですね。日本に1つしかないいわゆる国会議事堂であるとか、国立図書館であるとか、そういうものは私どもにも群馬県にもないでしょう。しかしながら、ここにも、私どもの非常に小さな寒村にも人が住み続けるためのものは全部あるはずですね。それは公共が全部やった。皆さんがやったと私は思うんですね。

 ですから、もう金がないよというときに、今までいい案配にやって、自分が首長にまたなりたい、議員になりたいために、目の前の一升ますの中のじゃらじゃらしたものを勝手に使って、まだまだ仕事が欲しい、金を欲しいよと言ったって、それは許されない。そういうものはさっさと合併してしまえ。私はそれでいいと思いますけれども、矢祭町はそうでなかったんですね。皆ゆっくりはしておりましたけれども、力は合わせたということなんですね。ですから、私は国の政策は正しいと思うんですね。

 しない宣言をいたしましたならば、あの矢祭町の根本という町長は変わり者だね。国の言うことに逆らった、反旗を翻したとか、言いますけれどもそういうことではないんです。どちらでもいいけれども、自分たちのことは自分で決めなさい。決めたからには責任を持ちなさい、こういうことですね。

 また、総務省が来まして言うことは、高齢化社会は金がかかります。どうやって金をつくるんですか。合併をして余財を生んで、その金を総務省は取り上げないよ、地元で高齢化社会に使いなさいということです。私どもは合併しなくてもそれはちゃんとやりますから。ですから、総務省さんは矢祭町に特別悪い印象だけは持っておらないと私は思うんです。意味としては逆らったようなことになりましたけれども、私どもは矢祭町のようにみずから努力をする自治体があれば、国はそんなに心配する必要はないと思うんです。

視察が来て変わる職員~職員の発明~

 宣言をしてからメディアが続々来ます。「どういうことをやったんですか」と聞かれるのでメディアに言いました。「矢祭町は特別変わったことをやらないよ。当たり前のことをしたよ」「当たり前のこととは何ですか」。税金で食っているのは、政治家と官僚ですね、公務員も官僚に入りますね。これ以外の人たちはみずから汗を流して働いて、自分のことは自分でやって、そして税金を納めている。政治家と官僚を雇っておるんですね。いつの間にか、あの人たちは私どもの上に来て大いばりして命令をするようになりましたね。それは日本の国にとってつらいことですねと今国民が皆叫んでおります。ですから、選挙をやったら自民党は負けるんです。当たり前なんです。これが民主党であったら、民主党も負けるんです。私はそう思いますね。

 そしてメディアにニュースとは何ですかと言うのです。犬が人間をかんでもニュースにならんでしょう。人間が犬をかんで初めてニュースでしょう。私どもは、犬はかんでいませんよ。変わったことはしておりません。当たり前のことを当たり前にした。郷土矢祭町をずっと残していきたいから、そのことを当たり前にやっておるに過ぎないんだよ、理屈に過ぎないんですけれどもこういうことを言いました。はて、そういうことを言っても、困ったな。実は金がないのになあ…、こうなります。

 そして全国から800くらいの団体、あるいは自治体、議会が視察に来ました。そして矢継ぎ早に質問していきます。私が全部質問を受けました。金がない矢祭町、この問題をどうしますか。保育所、幼稚園、どうしますか。私どもはこうやっています。矢祭町はやっておりませんね。全部調べてくるんですよ。特に矢祭町のウイークポイント、気がつかないことを言うんですね。それを職員が全部聞いているんです。

 役場の皆さんは、皆から質問されて困ったな、なるほど、よそではこんなこともやって、あんなこともやっている。それではおれたちもやろうというので、職員がいろいろ発案したんですね。「町長さん、7時半から6時45分まで役場を開きましょう」「ああ、それはいいね。フレックスだね」「そうです」「それはいい発案だ」。皆さんにそれは聞く必要もなかったんだけれども、管理運営事項ですから、8時間労働法でやればいい。「あなた方が発案するならそれはいいね。それはやってください」「日曜、祭日、それは8時半から5時15分までやりますよ」「それは労使交渉事項になるな。それは皆さんの判断でいいわ」「では、そうやるね」、こういうことになったんですね。

 「では、保育所も幼稚園も7時半から6時45分まで開くよ。延長保育料はどうしますか」「そんなものは取るな」。矢祭は、子供を3人生んでも、保育所に3人預けて、7時半に預かりますから会社へ行っても遅刻しないんです。夕方はスーパーで買い物をして、3人預かって家へ悠然と帰れる。元気な子供を育てようという町のタイトルにしたんですから、保育料も3人で1人前。

 そうしましたら、こういうことを言ってきました。「私たちそれぞれの家庭を出張役場としてください」「何ですか、それは」「役場と同じ町民の要望を聞き取れることにしましょうよ」「それは労使交渉事項だな。皆さんが自主的な判断でおやりください。何をやるの」。大体役場に要件を出そうとすると会社を半日休まないとだめなんですよ。8時半に行って、そこで要件を出して、そして9時ごろ会社へ行けますか。行けないですよね。ですから、7時半というのは非常に助かるわけです。「印鑑証明を取ってくれとか、料金を納めてくれとか、こうしてくれ、ああしてくれというのは私の家で全部引き受けますから、広報やまつりに出しましょうよ。夕刊に出して広報しましょう。通知しましょう」、それはあなた方の判断でということで、それはあなた方やりなと。「なぜあなた方、そんなに頑張るの」「いや、いろいろな人が来ていろいろ言われましたから、私どもも日本一になりたいんだ」「そうですか。ではおやりください」、こういうことなんですよ。その積み重ねなんですね。私がいかにも発案者であって、そして何かしたように皆言われますけれども、その代表者が私だというのに過ぎないのですね。全部職員の皆さんが発案したのですね。昨日まで1分でも働いたら金を取ろうが、ガラッと変わってしまった。それは私ではないんです。皆さんのような人が来るので変わってきました。

ボランティアとは

 ただ、矢祭町に来ても皆さんから見てちっともいいとは見えないんですよ。そして「地域づくり」というタイトルですけれども、私はこう思うんですね。ボランティア、いろいろありますけれども、何遍も役場に言ってきました。役場が全力を挙げて、私や議会の議員や税金で雇われている職員の皆さんが住民のためにということで全力を挙げるならば、あとの足らざるは住民の皆さん(納税者)にお願いしていいんではないか。私たちは納税者の3倍くらい給料はもらっておるんです。それに、私たちは能力はあるんだ、頭もいいんだ。しかし、余り一生懸命やらなくてもいいんだからいいあんばいにしておったんだけれども、うまくいかない。税金のほかに、皆さん、手伝えよ。これはないだろうと思うんですね。

 矢祭町はそういうことでない町にしたんですね。一生懸命やった。例えば財政力指数が0.19であったのが、去年あたり0.4になりました。まだまだ貧乏です。今年0.45になる。平成23年には何とか0.5になるんです。間違いなくなるんです。そういう試算はしてきておるんですね。たくさん公共事業をやりましたから公債比率が21%くらいになりましたけれども、今、新しい町長さんは、私もそうでしたけれども、余財をどんどん償還して、間もなく14%になります。標準以下になりますね。そして財政力指数0.75に2023年に間違いなくなりますから、今不景気で、企業の税金がどうかなと思っていますけれども、1、2年のずれはあってもなるだろうと思うんですね。

 そしてボランティアは、おれたちがいいあんばいにやっていてうまくいかないから、町民を連れてきてただで使え、それはだめだろう。精いっぱいやって、町民の皆さん、ここまでやりましたがこれ以上無理ですというときに、なおかつ住民の皆さんがそれではお手伝いをしましょうかというのがボランティアではないか。そして恒常的、長く続けるボランティアはやはりゼロではなく有料にしましょうよ。

超過勤務手当ゼロだがサービス3倍

 正職員108名、嘱託職員34名、計142名だったのが、今は合わせて65名です。そしてサービスは3倍になりました。超過勤務手当は一時142名おったとき3,800万円、サービスは今の3分の1。そして今、超過勤務手当はほとんどゼロ、計画的にやっていますから時間内に大体できるんですね。

 私は公務員の人たちは非常に実力があって、力があると思うんですね。その力を十分に発揮してない、使ってないと思うんですね。だんだん使わなくなってしまったんですね。この力を全力を挙げて使ったならば、日本の国などはもっともっとよくなると私は思うし、その人たちはやはり、矢折れ刀尽きるまでという表現ではないですけれども、全力を挙げてやるならば、その人たちも満足だろう。

 なぜならば、私は知らなかったけれども、マスコミやいろいろな人が来て、矢祭町の役場の皆さんに皆さん立派だねとほめてくれる。よく見ると本当に一生懸命やる。弁当を持っていって夕方5時半までじっと待って帰ってきたと言われるよりは、ほめられたほうがいいでしょう。ですから、今、役場の皆さんがありがとうと言っているそうですね。町民からも、私たちも何かあったら手伝うよと言われるようになった。

 そして時代は変わりまして、60歳定年法でやめても、今高齢化社会、平均寿命が延びましたから私は8掛けだと思うんですよ。私も70歳ですけれども、56歳、そう思えばいいんですね。60歳の人は48歳です。ですから、何かをやって、収入はそんなにいっぱいもらわなくてもいいんだ。しかし、長い間やるならゼロではだめだよ。当たり前でしょう。けれども、何かをやる時に、公共の応援をしたという、そのお墨つきといいますか、自負心といいますか、そういうことは大事だねという時代に日本の国は間違いなく入っておると私は思うんですね。金を一切くれ、そういう時代ではない。

 そして役場は、今皆さんどうですか、課長給与を下げるとか、あるいは金が容易でないから、給料を1割下げるとかあちこちでやっていますね。議会で提案して条例をつくればいいんですから。私はそうではないと思うんですね。矢祭町役場は冒頭申し上げましたように、ラスパイレスが1号俸多いんですけれども、今でも多いですよ。どうしましょうと何遍も来ます。そのままでおけ。知れたものだろうと。私どもは町長、助役、教育長、収入役は今なくなりましたが、これは高過ぎる。首長が給料を下げるよ、黒い車は要らないよ。役場に歩いて行く、8時半に行くよと言えば選挙は有利なんですね。私は黒い車、寄付された車はしようがないから乗りましたけれども、ライトバンの中古ですから。

 それで、私は総務課長と同額にしようと。ただ選挙で当選したいがために、下げました、ゼロにしました、絶対これは正しくないと思うんですね。下げるならば、どうして下げるんだ。こんなにもらっても首長は使い切れないんだ、要らないんだと。ではどこを水準にするか。役場ではやはり総務課長に合わせてくれ。ただし、町長だろうが、助役だろうが、教育長だろうが、特別職は皆同じ。とっくにそうしたかったんですけれども、私の提案を町村会長が許さなかったんです。いい格好をするなと。でも、今は総務課長と同額です。私は正しいと思うんですね。

 また、矢祭長には、町長、首長交際費などはありません。築45年くらいの役場は雨が時々漏るそうで、どうするんだと言うと、「ビニールシートを張っておきましたから」「ビニールシート、それはいかんな、板金屋に頼んで直しな」と。そんな感じです。

当たり前のことを当たり前にやる

 また、嘱託は全部要らないと職員が言うんです。「おまえさんたち、何か仕事が増えると自分でやりたくないから、嘱託を頼んでやっておったんではないの、どうするんだ」「それを言っておったんでは切りがない」。嘱託職員34名を切るという。ただし、条件がある。「町長さん、あなたはずっと見ているとえこひいきばかりしている。自分の好きな者ばかり対応している」、当たり前だろう、こう言っておったんだけれども、「ですから、みんなやめてもらいましょう。必ず町長はこれとこれを残せと言うに決まっている」「当たり前、言うよ」「ほら始まった」「ではあなたに聞くけれども、トイレ当番をやっている用務員のおばさん、どうするんだ」。おれが朝8時半に来ると用務員のおばさんはお茶をお盆に40も50も持って配って歩いているんだ。おれは今日初めて言うけれども、8時半は仕事が始まる時間だよ。家で朝ごみ出ししたり、トイレ掃除したりしてきて、ああ、疲れた、8時半は休息の時間だというのはおまえさんたちでないの。おれが役場へ来るとコーヒーのにおいがぷんぷん始まる。おれはコーヒーを飲みますから、売り出しのときスーパーへ行って40も30もうちの勤めている人に買わせるんですよ。そしていっぱい役場へ持っていって、お客さんが来たら自分で入れて、用務員は使わなかった。職員に「どうするんだ」と。「トイレなど私たちがやります」「当たり前だな。おまえさんたち、役場のトイレは自分でやらないで、家のトイレだけ自分でやってきて、今度やるのか」「やる」「間違いないか」「間違いなく」。そして、助役さんを呼び、職員らはそんなことを言うんだけれども、どうする。「いや、おれも家でやっているよ」「おれはやったことがないな。おれは抜けよう」と。テレビやマスコミは町長もトイレ掃除をしたなんて書いてあります。やってないですよ、私は。隗より始めよ。スタートは助役さんとだれか、次の日は教育長とだれか、次の日は総務課長とだれか。「やるのか」って「やる」。そしたら、珍しいときてそれをテレビが写すんですよ。テレビは毎日来ているんですから。だから、何とかも木に登るんですよ。

 「今日はおれ、テレビに出た。おまえはいつだ」「テレビが来た日ならいいな」、こうなる。いや、朝の8時ごろには、8時半でいいのに、フレックスでなくても来て、庭の落ち葉などきれいに掃いているんですよ。「大したものだな、あんた方は」と。そしたら、「今日は庭掃きやっていたら町長にほめられた」、そっちのほうで言ったそうです。大したものだと思うから言うんですね。そういうことで、いろいろやったようですけれども、当たり前のことなんですね。

 ある日、私が福島へ120キロ、高速道路を通って2時間、下を通って3時間、冬の今ごろ、運転手と一緒に行きましたら、私の前に3名乗った役場のライトバンが行く。高速道路も一緒で、県庁まで一緒に行った。何かヒアリングがあるのか。私は県に言っていました。「ヒアリングなどあるときは、簡単なものは招集状を出さないでくれ。文書で送ってくれ。わからないことは聞く。どうしてもヒアリングで確かめたいときは2人で来いと言うな。1人でいいだろう」、こういうことを言っていました。

 次の日、「教育長さん、昨日教育委員会の職員3名、おれの前をずっと走っていた。何ですか」「あれは、移動図書館というのがあって、月1回、県立図書館が矢祭町の公民館に本を貸し出しするんです。それを返しに行ったんです」「どのくらい返しにいったの」「段ボール箱3つです」「だから、3人かい」「そうです」「1人でいいんでないの」「町長さん、本は重いんです」「わかりました」。確かに本は重いです。そして、私が言ったんです。究極な話、「宅急便という手はなかったの」と。3人で行くと、大体1人、平均出勤日数で年俸、退職金も何も全部割ると給与平均1日3万8,000円くらいですか。それを8時間労働で割ると1時間4,000円くらいなんですね。矢祭町にはそういう話は軽トラ1台くらいあるんですよ。本当につまらない話なんです。言うならば当たり前の話なんです。民間で額に汗を流している人にしたら、何でそんな話をしゃべらなくてはならないのかという当たり前の話なんですね。当たり前が通用しないところに国民のつらさがあるんですね。

散りぬべき時知りてこそ世の中の花は花なり人は人なり

 こういうことを言う必要はないんですけれども、細川ガラシャの辞世の句に「散りぬべき時知りてこそ世の中の 花は花なり人は人なり」とあります。いいなと私は思うんです。

 私がやめるときに1,200人くらいのいっぱいの人が集まって、あの小さな何もない矢祭町でも「根本さん、ご苦労さん」と住民は言うんですね。最後の送別会というのは私が仕掛けたわけではないですよ。しかし、それはやはり当たり前のことなんですけれども、皆さんのために一生懸命やります、頑張りますよということに対しての住民の気持ちであったのかなと私は思いますね。

平成20年度地域づくり団体研修交流会in榛名

 11月28日(金曜日)から29日(土曜日)にかけて、榛名湖畔にあるゆうすげ元湯を会場に「地域づくり団体研修交流会in榛名」が開催されました。この研修交流会は、参加者が地域の取り組みについて直に触れる機会を持つため、各地域に出向き、そこで見て・聞いて・体験して・食べて・楽しむという目的で、県内の地域づくり団体の情報交換や交流の場として毎年開催しています。

 今回は、榛名地域での開催となり、榛名山麓を中心として活動している団体どうしが連携し合い、榛名地域をより良くしようと取り組んでいる様子を4団体の方に事例発表していただきました。

 まずは、榛名山麓周辺のまちづくり事例発表を行いました。榛名地域で活動する地域づくり団体4名の方にそれぞれの活動を発表していただきました。1人目の榛名まちづくりネットの芹澤さんは、「榛名はちっとも変わらない。変わらないところがこれからはいいんだいね~、と言ってから早25年。これから変わらないことが光る時代になってくる」「継続は力なり、小さなことでも大きなことができる」「自分たちだけではできないことは外から歩み寄る人の力を貸してもらう」など、これまでの実体験を語っていただきました。次の榛名山麓工芸グループ「青山河」の佐藤さんには、「文化は現在進行形である」「自然と文化が生活上で必要なものと考える」「人間一人では何もできない。ほかの団体と交流できて良かった」など陶芸をやっている視点から語っていただきました。次の小栗まつり実行委員会の村上さんには、上毛カルタに小栗上野之介の札がなぜないのかということや「小栗のことは教科書でもほとんど語られていないので、今後、次代の人たちに歴史をつないでいきたい」とパワーポイントを使って説明していただきました。最後の榛名山麓の都市と農山村交流実行委員会の山田さんには、「子どもに小さな失敗をいっぱいさせていくことを目的にうどん打ち教室をやっている」ことや「着地型観光。これから人と人、心と心のぬくもりが感じられる観光が良い」ということを実践しているお話をしていただきました。4名の方は、それぞれ別の活動をされていますが、お互いが尊重しあって足りないところを補いながら活動をしているというお話でした。とてもうまく連携した活動だと感じられた事例発表でした。ただ、時間の都合で1人15分という発表時間では足りなかったようです。

 次に、ぐんま総合情報センター「ぐんまちゃん家」の所長である金子敏男さんに「パブリシティー最前線~仕掛けなければ浮上の機会はない~」と題して講演していただきました。旅に出かけて出会った人の対応が良いと良い旅になる、これが観光でも地域づくりでも大切なことであるというお話から始まり、観光振興と地域振興の違い、マスコミの特徴やそれぞれの活かし方など経験を含めたお話をしていただきました。また、イベント開催の長続きをする秘訣や都会の人から見た田舎のイメージなど、これまでとは違った視点から語っていただいたので、途中で笑いあり、「へえー」という感嘆の声もあり、刺激される研修になったようです。

 その後、夕食を囲んで懇親会です。自己紹介が始まり、一人一言がいつの間にかそれぞれの人がミニ講演会に変身してしまい、夕食がなかなか終わらないという事態になってしまうほどでした。懇親会の最後には、榛名地域の産品が当たる抽選会を行いました。抽選の賞品は、事例発表者の4名が参加者全員の分を提供してくださいました。大変心温まるおもてなしに皆さん大感激です。

 まだまだ研修は続きます。続いては、夜なべ談義です。地元のお酒やお菓子、自家製漬物などを各自持ち寄り、話に花を咲かせていました。地域づくりを実践している者同士、お互いの活動内容や悩み事など語り出したら話は尽きません。夜なべ談義終了後もロビーで深夜にまで及び語った人たちもいたほどです。

 翌日、9時からの研修でも前日からの熱は冷めず、朝から議論は尽きません。椎名会長を中心に進められ、前日の内容を振り返り補足を行いながら感想等を述べていきました。何に対しても、行政を批判するばかりではなく、味方につけていくことで前進できることもあるという意見もありました。最初の事例発表にあったように、やはり地域を足下から見つめ、ほかと連携していくことが大切だという意見で締めくくられました。

 県内で宿泊の研修会ははじめての試みでしたが、中身の濃い研修となりました。

地域づくり人物リレー 第2回

街づくり市民ゼミナール 杉原みち子さん

 前号から地域づくり人物リレーとして、県内で地域づくり活動をされている方を取材して、県内には多くの人材がいることを知っていただこうと企画し掲載しております。次にバトンが渡されるのは、あなたかもしれません。第2回目は、椎名さんからバトンを渡された当協議会の副会長でもある杉原さんにお話を伺いました。

地域づくりのきっかけ

 1985年、伊勢崎青年会議所が主催した「上武大学市民公開講座」でのグループディスカッションをきっかけに、地域のことをもっと知ろうと集まったメンバーが「このまま終わらせてしまうのはもったいない」との思いから街づくり市民ゼミナールが誕生した。これまで、行政に対して裏付けのない情報や思い過ごしによる批判が多すぎたので、自分たちの目と耳と足で正しく情報を知り、問題があったら批判するのではなく行動していこうと始まった。

 今年で結成から24年目になるが、当初、歴史・文化・環境の班でスタートし、最終的には総合化した地域づくりを基本に活動している。

活動内容

 スタートラインは勉強会だった。行政や農業、商業、あらゆる分野の方をお呼びして、知らないことを教えていただいた。そのうち受け身だけでは何も始まらない、何か行動したいという気運が高まり、当時、まちなかを歩いている人が少ないので歩いてもらえるよう1990年に「ストリート・ギャラリー‘90 in ISESAKI」を企画し、商店街や銀行のショーウインドーに版画を展示し、歩きながら見てもらう仕掛けを作った。当時、黒羽根内科医院旧館は開かずの扉だったが、ギャラリー機能として活用した。その後、地域内に相川考古館や彫りが見事な伊勢崎神社もあり、草木染め作家の小暮重男氏の工房、出光美術館に所蔵されているレベルのお茶道具を所有する茶道の先生もいらしたので、我々の気付いていないまちなかを散策し、街の魅力に気付いてもらうために1995年の伊勢崎市制55周年を機に“伊勢崎再発見”をテーマとする「ウォークギャラリー」に衣替えし、線から面へと規模を拡大した。さらに2002年黒羽根内科医院旧館の移転に際し、複数の市民団体の連携による「タウンギャラリー」へと発展していった。企画する自分たちが感動できなくなると参加される方も感動しないので、常に燃える対象、企画を追求し続けている。組織は、同じメンバーでやっているとマンパワーや会そのものも疲弊してくる。新しい人材が入ってくると組織が元気になり、新しいノウハウや情報をもっているのでマンネリ化をさけることができる。黒羽根内科医院旧館移転の時もそうだった。我々は洋風建造物として歴史と生活を支える価値ある建物を次世代に残す使命を持っていたため、その重要性を訴え続けた。栗原昭矩氏を通してRACの方々が調査・研究をされ、黒羽根内科医院旧館の価値を理論的に説明してくれた。その結果、行政もその価値を認め、ニューヨークでも放映されるほど注目された曳き移転で残すことができた。市民と行政の協働事業第1号ではないかと自負している。移転後の活用方法が話し合われる中で「合併支援事業」の1つとして「いせさき燈華会」を立ち上げた。「健全な中心市街地」を目指していくつかの市民団体が核になり、多くの人々と街を舞台にカップローソクの灯と阿波踊りで「動」と「静」の空間を醸しだし楽しんでいる。地元の高校や生徒たちの協力、参加もあり、これまでになかった交流が数多くできた。

 組織の多くはマンネリ化して衰退していく。20年も過ぎた組織に新しいメンバーが入ってくるのは難しい。それぞれに活動している市民団体がお互いの力を出し合ってやる方がより良いものができる。

 それと「広瀬川クリーンと芋煮のつどい」は、もともと青年会議所が実施していたが中止するというので12年前に引き継いだ。ロータリーやサッカーチーム、少年野球など様々な組織に声をかけ、ごみを拾ったあと、芋煮を食べ、オカリナを聞き、あずま塾の野菜や花を求めながら交流を楽しんでいる。大規模ではないが、行政OBや議員も関わり、水道局、清掃事務所、図書館の貴重な協力もいただいている。かつて参加したサッカーチームの子が成人式を迎え、「あの時のごみ拾いがなつかしい」との言葉を聞くと最高に嬉しい。

地域づくりへの思い

 「好きです、伊勢崎」というキャッチコピーをスタート時に作った。批判していたのではまちは良くならない。先人の偉業を知らないで、今の状況だけを見て、つまらないまちなどと言っていることが多かった。私たちはまちが好きだから良いものを見つけ、知り、感動してきた。足りない部分はささやかでも自分たちで作ろうという意気込みで「汗をかく市民、行動する市民」をめざし、現在では「批判より評価、理論より実践、民と民、官と民の信頼関係を築く」が基本理念となっている。ほめると育つが、批判は対立になりやすい。どんな人にも良いところと悪いところがあって、まず良いところを評価する。はじめに悪いところを指摘されたら、未来に向けて希望がなくなってしまう。人生や地域には夢と希望があるからがんばれる。しかし、どんな良いことをやっても必ず批判がある。最初は良いことをやったら評価されると思う。でも私の経験から、良いことをやってだれにも迷惑をかけていないつもりでも批判はある。批判する人を恨むのではなく、物事はそういうものだということに気付いた。そいうことを想定して経験していくと笑顔でできるようになる。目くじらを立ててやっているようでは地域づくりにはならない。やっぱり地域づくりは楽しくて美しくないと。地域づくりは同時に人生づくりだと思う。確実に自分づくりに繋がっている。行動して汗かいて、批判も受けて評価も受けていく中で学ぶものは大きい。

地域づくりをやってきて良かったこと

 国、県、市レベルで一生懸命に生きている多くの人に出会えたこと。人生がこの上なく豊になった。仲間とよく話すが、活動を通じて、かけがえのない体験と、個人的には出会えないような芸術家や職人の技、一級の人物との思い出はすばらしい財産となっている。そして黒羽根内科医院旧館を残すことができたこと。ライトアップを続けて時報鐘楼が北小学校のシンボルとして生かされ、評価されたこと。

 それから、地域づくりの全国大会である高知大会が印象に残っている。全員参加による盛り上げや知事、市長に「白波五人男」を演じさせる企画力、食物、酒に至るまで参加者に満足してもらうための心遣いが未だに忘れられない。地域づくりの基本を学ばせていただいた。

これからの夢

 人生においてラストステージが大事。終わりよければすべてよしということで、ここまで築き上げてきたことを活かしてサロンをやりたい。特に今回北小学校の一角にコミュニティースペースができたので、そういうところでテーマを持ってディスカッションするとか、手がなかったらお手伝いに行くとか、暇つぶしではなくて、たとえ年をとっていても、老後の人間関係が豊かで社会からも認められる活動をやっていきたい。例えば、ごみを拾ったり、花を植えたり、子どもたちと一緒に遊ぶなど、迷惑にならずにプラスになることをやって元気に死にたい。強く思えば必ず叶う。ネガティブなことは考えない。人間って人間でしか支えられないので、人間との関わりがあれば一番幸せな人生だと思う。孤独だから辛くなって悩む。それは人に求めるからで、自分がまず与えなければならないのに、まずいただきたいと思う。だから落ち込んで不平不満が出る。あの方に会うといつもにこにこして気持ちが良いわね、というだけでも人に与えることができる。近江八幡市の川端五兵衞元市長が「金のあるものは金を、知恵のあるものは知恵を、体力のあるものは体力を、金も知恵も体力もない人は祈ってくれ」とおっしゃったが、だれにでもできることはあるのだと新鮮な感動をいただいた。

最後に一言

 めげないこと。人生って地域づくりに関わらず、生きていく上で必ずいろいろなことがある。若いときには、何でこんな事が起こるのか、何か起きたら不安だと思っていた。でもこの年になって、起きたことはすべて肯定、必然と思うようになった。そこから何を学んで、次のステップにどうつないでいくかということで自分自身が問われる。そこでステップアップできる。私も経験を重ねてきたから言える。ぜひプラスに考えて、息長く、人生バラ色にして欲しい。自分の考え方が人生を作るから、暗く考えれば暗い人生になるし、感謝すれば人からも感謝される人生になる。

 そして、あの人のところに行けば何とかなる、と言われるように人から必要とされることが幸せだと思う。

好きな言葉 「継続は力」

感銘を受けた本 「私の財産告白 人生と財産」 本多静六 著(日本経営者合理化協会出版)

 東大教授で明治神宮日比谷公園を作り、国立公園生みの親と言われる。25歳で人生計画を立て、貧しい学者生活の中から資産形成に励み、40歳にして百億円余りの資産を築くが、思うところあって60歳でそのほとんどを寄付した伝説の人。

 「人生即努力、努力即幸福」を提唱。

 著書の中に「失敗は人生の必須科目だ」という言葉がある。今の社会、特に教育においては失敗は否定的に受け止められがちであるが、人生における事象はすべて必然であると気付いた。自分自身の反省から、今、子育てをしている方に伝えたい。

印象に残る人物 稲盛和夫(京セラ、第二電電の創業者)

自分をものに例えると?その理由 ブルドーザー・・・大きな岩に当たり火花が散るけど、それにめげずに継続して頑張ってくれと小暮重男氏から言われたので。

次にバトンタッチする人 芹澤優さん