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ひゅうまにあ通信43号

更新日:2011年3月1日 印刷ページ表示

表紙

平成21年度「地域づくり団体研修交流会inながめ余興場」

平成21年度「地域づくり実践講座」

地域づくり人物リレー 第4回

  •  地域づくり団体 未来塾 松本立家さん

平成21年度「地域づくり団体研修交流会inながめ余興場」

 平成21年10月24日(土曜日)にみどり市大間々町にある「ながめ余興場」において、地域づくり団体研修交流会が開催されました。今回は、第15回全国芝居小屋会議と関東菊花大会に併せて行われました。

 当日は、みどり市の石原市長がオレンジのネクタイに黒のスーツ(本人曰く、歌舞伎カラー)で登場し、まちなか散策あり、研修あり、文楽あり、と盛りだくさんな一日を楽しんでいただき、地元に帰ってからも「ながめ余興場」を宣伝していただきたいなどと歓迎のあいさつをしていただきました。

 その後、NPO法人ながめ黒子の会の事例発表を黒子頭の小屋さんと隠密頭の椎名さんにしていただきました。

事例発表(NPO法人ながめ黒子の会)

  • 活動の主な中心は、年4回の定例の落語会です。春の花見寄席、夏のほたる寄席、秋の月見寄席、1月の雪見寄席。我々は興行主ではないので非常に少ない予算でやらなければなりません。例えば 芸人さんに払うお金も、往復の電車賃とそれから1日の経費が出るか出ないかくらいの感じです。それを毎回苦しい中でやりくりしています。

新たな観光客誘致をめざす

  • 菊のシーズンに今回も8回ほど菊華寄席をやります。このときは関東菊花大会の入場料300円を払うと余興場の寄席は無料になります。ですから余興場に入っていただくお客さんが、多い時には延べ8日間で7000人近く入ります。
  • 何故こんな企画をしたかというと、今年で65回(8年目)になりましたが、菊の大会を開催しているときは、今日皆さんがお車を止めた広い駐車場には、大型バスが1カ月の間に400台近くやって来ます。半数が中に入らずに渡良瀬渓谷、高津戸峡など40分くらいのコースをぐるっと回って帰ってしまいました。たまたま近ツリのバスからお弁当を持ったツアーのお客さんが渓谷方面に歩いて行くのを見かけました。そこでその人に中に入らないのはなぜかと聞いたら、とにかく中に入ってもゆっくり食べるところがない、休めるところがないという答えが返ってきました。旅行会社の方にもし仮にこのながめ余興場で催し物があって、ながめの菊とイベントがセットになって、例えば1000円とか1200円のお弁当付きの企画があったら―ある程度、旅行会社にキックバックがありますけど―この企画に乗りますかと聞いたら、「大いに乗ります。」といううれしい返事が返ってきました。その足で当時の観光課長に話をしに行きました。ここでお弁当を食べてもらいながら寄席を見てもらうというイベントを開催して、経済活動も大切ですのでそこでお金を落としてもらう、そういった企画をしませんかと、そんなことから始まった企画です。

国民文化祭の種火を灯し続ける

  • 平成13年11月群馬県で開催された国民文化祭を契機に定例落語会「大間々ながめ亭」を開始しました。当時は、ここに80人くらいのお客様しかいませんでした。今年9月の開催で33回を重ねましたが、毎回、200人くらい集まるようになりました。だいたい前売りが20枚ぐらい、当日券は150枚くらい。あとは黒子の会に入っていただくと年会費・賛助会費が一口1000円で、一口入っていただくと落語会の無料優待券を1枚発送します。ですから200人のうち20人が前売り、当日が150人、優待券で来ていただくお客様が30人くらいです。
  • お金がないのは毎回ですけども、とにかく手作りです。舞台前にかかっている宝船の幕がありますが、それも我々メンバーが制作現場まで行ってお手伝いして作りました。そういうことでお金をかけないように、頼む時には安くしてもらう代わりにお手伝いするということをいつも心掛けています。
  • 落語家さんは殆ど二つ目の若手です。ギャラの話はあまりできないけれども、実はとても安く来ていただくことで交渉しております。何故そういうことができたかというと、落語ブームが来る前、彼らが東京で寄席に出演する時にはお客さんが全然いませんでした。3人しかいないこともあったそうです。秋の関東菊花大会中のながめ余興場のようにこんな満席でやったことがないのです。彼らにとってもここが修行の場で真剣勝負です。ですから、ここで演じる人たちも若手の稽古の場となり、我々も寄席を開催できて両得です。ながめ余興場はどういうわけだかこの舞台に上がると出世をするということで、そういった意味で今若手の人たちはここでやりたいという人が出てきました。ここから真打ちになりどんどん伸びている落語家さんもいます。
  • 来年のながめ亭の日程はすでに決まっております。おかげ様でオープン以来、余興場の稼動率が120日を超えました。土日も一杯になってしまいますので優先的に取らせていただいております。それだけ生きた芝居小屋としては稼働率も高く現役で頑張っているということです。
  • 黒子の会は独特な名前の呼び方があります。理事長が黒子頭、副理事長や副会長が黒子小頭。女性の場合は女将と言います。それから、会計事務局長が大番頭。その補佐が番頭です。「はなみち」という会報を作っていますが、その役がお知らせ衆長と言います。あとは監事が目付です。
  • 会員数も発足当時は勢いがありましたから、500人から600人の会員が集まりました。ただ、15年活動を続けてくると数が落ち着いて、現在は約200人です。でも動いてくれる人たち、ながめを大切に思ってくれている人たちが残ってくれています。もう少し広げていきたいです。

ながめ余興場見学

 続いて、ながめ余興場内を黒子の会のメンバーに案内していただきました。舞台、はなみち、楽屋、それから奈落まで見学させていただきました。奈落には資料館としての機能もあり、余興場が全盛期の頃のポスターや当時の写真、衣装、梅沢富美男さんのお父さんの時代の衣装や台本なども残されていました。舞台には回り舞台もあり、奈落から手動で動かすこともできます。2階にも観覧席があり、2階の窓からの高津戸峡の眺めは最高です。また、全国芝居小屋会議のために一口3千円の寄付を募り作成された名前入り座布団は黒子の会の温かさと寄付された方の心意気が伝わってくるようでした。この座布団をみると余興場は多くの方に愛され、守られていることがひしひしと伝わってきました。

大間々の"見覚"と"味覚"体験(岡直三郎商店・奥村酒造)

岡直三郎商店の見学の様子

大間々の見覚と味覚を体験するため、余興場を出てまちなかへと繰り出します。まず、岡直三郎商店に移動し、醤油蔵を見学しました。二百余年、四世紀にまたがり、代々受け継がれた仕込み桶を使った本醸造しょうゆ、その中でも特に『木桶仕込みの天然醸造しょうゆ』にこだわり、手間ひまをかけて手作りで作っている姿勢に一同驚きを隠せず感動しきりでした。途中の工程で、醤油を絞り出す前の麹を試食させてもらいましたが、味からも丁寧な仕事ぶりをうかがうことができました。参加者の方からは、このような場所を見学できる機会がないので、観光案内に組み入れたらどうかとの意見も出てきました。

 次に、奥村酒造に移動し酒蔵を見学させていただきました。社長の丁寧な説明に加え、試飲もあり、至れり尽くせりな見学でした。五感をフル活用した見学から参加者のお財布の紐がゆるんだのは言うまでもありません。

商店街の良いところは、つくっている方の顔が見え、直接お話ができ、試食なり、試飲なりできることだと感じました。こういう商店が残っていることは貴重な財産だと思います。

関東菊花大会見学

 余興場周辺のながめ公園に設置されていた菊花大会は今回で52回を数えます。参加者は各自自由に見学となりました。初日のため、菊は一部咲き程度でした。ただ、園内は広いため、見応えはあります。園内からの高津戸峡のながめは紅葉の季節も重なり圧巻でした。

"初心者のための人形浄瑠璃 文楽の世界"

 文楽は江戸時代、大阪で生まれた人形芝居です。義太夫節に乗って、三人遣いの人形が人間の悲喜劇を演じます。この文楽に参加者のほとんどが初めての経験です。文楽がどのようなものかわからず、義太夫の言葉も何を話しているのかわからず、人形の動きからどのような状況なのか判断していました。人形は3人の人形遣いで1体を操っていますが、実にしなやかな動きで一瞬人間と見間違えそうな雰囲気を醸し出していました。女性の人形は、その動きから色気さえ感じられることもありました。途中、義太夫、三味線、人形遣いがそれぞれ自分の役割、演じ方等をわかりやすく説明を入れてくれました。音の使い方、声の表現、所作からその状況を感じ取る人形浄瑠璃は大変奥深いものです。

意見交換会

 最後に、今日1日を通しての締めくくりとして意見交換会を行いました。最初に出た質問は、当然気になります予算のことでした。答えてくださったのは、黒子の会の隠密頭の椎名さんです。

Q(質問).今回、文楽の予算はどれくらいかかりましたか?

A(回答).この文楽を地方公演でやると相当高いお金がかかります。実は平成9年の時にながめでやりたかったのですが、大阪の文楽劇場の人に、このタイプの劇場ではできません、と言われたのです。そして今の国立劇場のまねをしようと思っても舞台の制約がたくさんあってできません。しかし、芝居小屋のように装備がない所でやりたいという熱意でOKしていただきました。今回は約90万円でお願いできました。地方で何とかしようと企画を立てても、内子座や康楽館にように人間国宝の方が出演すると1000万円位かかってしまいます。文楽の若手の人は、その上がいるのでなかなか出演する機会がないのです。そこを今回この仕掛けでできるってことがわかったので、これを契機に地方の芝居小屋から文楽の発信とネットワークをしていこうと考えています。

 また、今日上演した艶容女舞衣の酒屋の段「お園のさわり」の内容は、旦那半七と三勝は浮気して心中してしまい、妻であるお園は、よそにできた子供を抱えて面倒をみるという、ある意味ではすごい奥さんです。実は文楽って、火曜サスペンスなのです。中身の話は小学校で話すことはできないけれども、ただ日本の伝統文化だということでやりますよと言えば多分できると思うので、そういったワークショップをしていきたいなと思っています。

 それに対しての意見として、以下のようなものが出てきました。

  • 一番大きいのは皆さんのマンパワーです。それをお金には換算できないと思います。
  • 素晴らしかったです。
  • 黒子の会の皆さんのそれぞれのポジションでの動き方をみせていただいて本当に感心しました。

 またそれを受けて、椎名さんが続けました。

 黒子の会には、お陰様で大工さんもいるし、いろいろな分野の方がいます。みんなボランティアです。いろんな職業がいていろんなことが出来るというのはすごくありがたいなと思っています。

 我々が実際に活動している姿を一度見てもらいたかったのは、もしどこかで私たちを必要とするならば、また、お手伝い出来ることがあればぜひ言っていただければと思ったからです。それが交流なので是非お力添えが必要であれば声をかけていただきたいと思います。ありがとうございました。

 参加者から「今、時代が求める豊かさは、時代とともに変わってきましたよね。地元でボランティアが出来る、仲間ができる、感動できる仲間いる、これが一番の宝ですよ」という声が出ると、「感動できるのが一番かもしれない」という椎名さんの意見で締めくくられました。

 夜は、全国から集まった芝居小屋会議のメンバーに交じって懇親会に参加させていただきました。着物姿のみどり市副市長の歓迎のあいさつからはじまり、各芝居小屋の状況を報告し合うなど大盛況でした。最後にながめ黒子の会のメンバー紹介の中で、男子高校生のメンバーが元気に「若者はこういう芝居小屋を知らないので、僕がみんなに伝えていきたい」と語った力強い言葉が非常に頼もしく感じられました。

平成21年度「地域づくり実践講座」

 地域づくり実践講座は、先進的な地域や地域づくりの新しい手法や取組について学ぶとともに、先進的な地域との交流を通じて意見交換を行うことを目的としています。

 今回は、矢祭町へ行って研修したいとの要望が多く寄せられましたので、バスで訪問し、もったいない図書館をはじめSMC株式会社、特別養護老人ホーム等を視察し、実際にその現状を地元の方からお聞きするという研修を実施しました。

 昨年度、地域づくり実践講座で福島県東白川郡矢祭町の前町長の根本良一さんに講演していただきました。矢祭町といえば、「合併しない宣言」をはじめ「もったいない図書館」「議員報酬の日当制」などで話題になりました。現在も、自立財政確立のため全国の自治体から注目を集めるほどの行政改革を遂行中です。

 ここでは、研修の様子を報告いたします。

 当日は、県内各地から参加していただいたので4か所の集合場所を設けました。最初の出発地は沼田です。朝の6時に出発し、前橋、伊勢崎、館林を経由し、矢祭町へ到着したのが11時40分でした。矢祭町は大変遠い場所です。

 参加者が全員集合すると現地に到着するまでの間、車中研修が始まりました。まずは、参加者全員の自己紹介です。ふだんの活動や地域づくりに対する熱い思い、仕事のことなどお話していただきました。その後、杉原副会長による矢祭町事前研修を行いました。杉原副会長は、今年の7月に伊勢崎法人会の研修で矢祭町へ訪れておりましたので、その時のお話など根本前町長さんよりも詳しく説明していただきました。この事前情報があったため実際の現場でもすんなりと入ることができました。まずは、その一部をご紹介します。

車中での事前研修

 私たちは聞いただけではなく現場へ行こうということで、7月16日に矢祭町へ行ってきました。相手方からこの時間に来て欲しいというので、行ったら町長がいません。遠くから来たのに何でいないのと思っていたら、走ってきて「女性軍が来るというので、ドレスアップしてきた。床屋へ行って髪を切って、ふだんしないネクタイをしてきた」というのです。ドレスアップしたというのを聞いて「かわいい」と感じ、立派な方の中に愛らしさとか心がホッとするようなものが必ずあるのかなと思いました。立派過ぎる人は魅力が薄れてしまうのかなとも感じました。

 矢祭町では、子育て支援日本一で高校生に一人あたり2万円の補助をしています。保育料や幼稚園、小・中学校の給食費は減免。公共料金や納税は商店街で発行するスタンプ券・商品券でもOKです。地元でものを買わないと言いますが、買いたいものがないのに買うわけにはいかない。でも商品券やスタンプ券で納税ができるとなったら地域の中でお金が動く、その知恵はすごいと思いました。それから議員さんを18人から10人に削減し、報酬を日当制に変えました。根本前町長は、日当制は全国でもっと進展するかと思ったら次に続くところが出てこない、難しいなとおっしゃっていました。

 今日行きます東証一部上場のSMCという会社は、日本で60%、海外で20%のシェアだそうです。100人の開発者は現場で立って対応しています。普通、開発は開発、現場は現場で別々のところにいます。開発と現場が離れているからだれかが行ったり来たりして無駄があるわけですが、流れている製造のところに開発の人が立って仕事していますから無駄がない。緊急に作る物は赤、今日までは緑、翌日は黄色とだれが見てもわかるように色別にしてあります。検査前は黄色、検査後はブルー、不要品は赤。全部部品はビニールがかかった棚にあり、だれがみてもわかるようになっています。メーカーだけでなく、役所でも家庭でも使える技かなと思います。

 それからもったいない図書館。新築なら10億円かかったところ古い武道館を1億円で改修しました。これまでに全国から図書が45万冊届いています。年間の運営費が750万円。非常に安いです。

 また、職員の自宅が役場で、職員が役場の仕事を全部受けているそうです。近くで用が足せるのでお年寄りは助かっているようです。まちづくりの方針として、子どもはまちの宝、国の宝、元気な子どもの声が聞こえるまちづくりに努めると規定したそうです。行政と住民の協働の仕組みが言葉だけでなく、相互信頼が大きな力となって自立するまちを建設できる、こうみなさんで決めたそうです。

 根本さんは、「悪いね、ありがとう」と役所の部下にかける言葉が本当にすばらしい。この人のためなら自分の人生をかけてもいいと思うようなリーダーの下で働く方は楽しみながら働けるのではないかと思います。

 杉原副会長の講習が終わるとまもなく矢祭町に到着し、すぐに研修が始まりました。まずは根本前町長の講演がありました。前回の講演会でも重なるお話もありましたが、一番伝えたかったことは以下のことだと思います。

 マスコミ等に流れている情報について、実は、私は一切発案しておりません。みんな職員が発案して、良いことはやりましょう、よろしくないことはダメと私は交通整理をしただけです。良いこと正しいことの基準は「町のため町民のため」、職員のため自分のための良いことはやめましょう、ということです。

 私は今ほのぼのとしています。私は好きなところへは行きます。平岩弓枝さんなど、男がどうしても叶わない人がいます。彼女は西遊記を書きました。最後の最後にこういうことを書きました。「人は上り詰めたままで終わる人生を手にすることは難しい。高みを極めれば極めるほど失脚は速やかに訪れる」。おだてられてあと4年どうだいとやっていたら足元をすくわれていたかもしれません。やめてすっきりしました。作り上げることは難しいがダメにすることは一瞬です。自分が町長になったことをうれしく思ったらだめ、心でほくそ笑んだらだめ、どんなことがあっても役割は矢祭町のため。一つひとつが満足にできないことがあります。ベストというわけにはいきません。しかし、ベターでやってもおれたちのためにやってくれたと町民は思ってくれます。だからベストでなくてもベターで良いと思う。一番大事なことだと思います。

 この講演の後、矢祭町内にあるもったいない図書館、SMC株式会社、特別養護老人ホームユーアイホームを視察研修しました。

矢祭もったいない図書館

 まず、館長による説明がありました。その一部を以下に紹介します。

 平成17年に第3次総合計画を策定するとき、この町には本屋がなく図書館が欲しいという要望が多かったので、当時、武道館だったところを改修して3万冊くらいの本を並べた図書館を作ろうということでできたのがもったいない図書館です。この図書館ができるときに、福島県でもったいない運動キャンペーンでもったいない運動を推進していたので、それにならって会議の時に担当者がまちに図書館をつくるけど予算がなくて、もしみなさんの家に読み終わって不用になった本があればいただきたいと申し入れたら、そこにいた毎日新聞の記者が全国版に載せてくれました。翌日から役場に350件くらいの電話がかかってきました。9日目で3万冊になり、たちまち5万冊、10万冊と1か月かからないうちに集まってきました。当時の作業は1か所だけでは足りず、町内施設3か所くらいで分類作業を行い、200人くらいのボランティアの協力で半年で整理がつきました。町も町長以下職員一同交代で夜の9時頃まで手伝ってくれました。民生委員、議員、区長、消防団の人、商工会、青年会、農協、それは大変な協力でした。また、本と一緒に励ましの言葉が書いてある手紙が入っていて、中にはタオルや軍手、菓子折まで入っていました。40万冊になった時点でストップをかけたが、今でも図書は送られてきます。そのため、今月の新刊などと入り口にコーナーが設けられています。現在は45万冊になろうとしています。図書館には6万冊置いてあり、本を所蔵するために作った書庫に37万冊が入っています。区の公民館、もったいない文庫25か所にも本が並べてあります。第3日曜日を矢祭町読書の日と設定し、朝から広報車で広報しています。読書でまちおこしを進めている一つに全国でも珍しい子ども司書講座を始めました。15回の講座を受けたら、認定書を出します。子どものうちから図書になじんでもらうため、図書の分類方法、貸出し方法、図書の修理を覚えるなどのほか、俳句教室もやります。もう一つは絵本コンクールです。全国から167点応募がありました。審査員の柳田国男先生と絵本作家のあべ弘士先生が絵本の出来に感心していました。

 この図書館は、最後に残った14名のボランティアスタッフで町から委託され運営しています。有償ボランティア時給500円で運営。1日3名くらいで対応しています。町では1冊も新しい本を買っていません。新聞もとっていません。役場で午前中見たものを午後に持ってきます。役場では次の日には、古新聞で捨ててしまうが、ここでは保管しておきます。これももったいない運動の一環。利用者は1日80人。トータル3万5千人。住民6600人からみると多い方です。本は全国の人に貸し出します。

SMC株式会社

 工場長が会社の概要をパワーポイントで説明してくださった後、10人1組で工場内を案内していただきました。工場内での作業はすべて立って仕事をしていました。作業している隣で事務の方も同じように立って仕事をされていました。我々が工場内を見学している時にすれ違う社員の方は、皆笑顔であいさつしてくださいました。また、至る所に掲示板があり、各部署の目標や異変に気付いたらすぐに連絡をという注意紙も掲示されていました。とても広い工場で、作業場やその付近に多くの部品が並べられていたが、ゴミ一つないきれいな工場からもすばらしい工場だということがうかがえました。

 この矢祭工場には、850人くらいの従業員が働いているとのことでした。

特別養護老人ホームユーアイホーム

 施設長から説明を受け、施設内の見学はできないため外からの見学を行いました。

 厳しい財政の中、民間方式でやっていかなければならないということで、隣県の施設から施設長に抜てきされたということでしたが、その風貌からも立派な方だという様子が伝わってきました。今年の1月に来たというが、すでにいろいろなものを見直しマイナスをなくしてきているとのことでした。介護には、食事をよくする、お風呂に入る、夜のおむつ交換の3つが大切であるとお話されていました。それから職員と入所者の心と心が向き合える介護ができるように頑張っているとのことでした。ここでも職員の方が、笑顔で快く玄関で出迎え、お見送りをしてくださいました。

 矢祭での研修は午後3時半には終了する予定が、どの施設も丁寧に対応してくださり、また、参加者も真剣に聞き入っていたので午後5時まで続きました。帰りのバスに乗り込み、矢祭町での新たな発見や感動の余韻に浸りながら、矢祭町での講演・研修の感想や意見などを発表していただきました。以下にその余韻の一部をご紹介します。

感想発表

 根本前町長さんの本気で取り組むという心強いお話を聞き勇気付けられました。議員も18名から10名に削減、日当制も思い切ってやったというその跳ね返りではないが、今後の議員さんからいろいろな意見も出て悩ましいこともあるようだが、苦しい中で思い切ったやり方をすることも今後いろいろなところで参考にしたいと思います。

 全国から本を送っていただいたもったいない図書館がどのような図書館になっているのか見にいくことが、今日の私の目的でした。手作り絵本を全国から募集したり、子どもたちに司書の仕事の講座を開いたりしているということで、いかに子どもたちが図書館をうまく利用するかということに心を砕いていて、お金をかけている図書館からみると足りないものもあるのかもしれないけれども、ほかの図書館にない立派なものもたくさんあって本当に驚きました。ニュースではなく、実際に見てみないとわからない部分がたくさんありました。今日は本当に良いものを見せていただきました。町長さんをはじめアイデアのある方がトップに立つとすばらしい町に変わることを実感しました。

 特養の施設長さんからお聞きした話ですが、施設長は朝7時半に出勤して、90人の入所者全員の検温から食事のチェックまでしているそうです。それからデイサービスの運転手もご本人がされているそうです。なぜかというと、お年寄りに心を開いてもらわないと私は良い仕事ができないからデイサービスの利用者120人の名前をすべて覚えているそうです。あの方は改革が済んだら引き上げるそうです。なかなかできなかった改革を根本前町長がぜひともということでお頼みになったのではないかなと感じました。改革をする方の意気込み、そして短期間で何とか風通しの良くなる組織にしようというときの施設長の目力、根本前町長の目力、どちらも信念に基づいて私利私欲なく動かれている方のエネルギーを肌で感じ、これから私が生きていく時間に記憶に残るエポックメイキングだったと思います。

 今日矢祭町でいろいろな人に会いましたが、みんな個性的で自信を持って自分の意見を話していたので、町長1人の力だけでなく、町長が引っ張ってきたところもあるでしょうが、それを取り囲む住民の力もあってここまで来たのかなと思いました。状況は片品と違うので、そのまま片品に取り入れるわけにはいかないが、頭でこなしながら片品の参考にしたいと思います。

 片品では、村会議員の定員14名のところ10名が合併する、合併しないのが4名しかいないという現実がありました。根本前町長さんがおっしゃったように議員はすごく大事な位置にあると思いますが、まず住民の意見を聞こうということで私たちが書面運動にまわった経過があります。結果、合併をしないという方向に持って行けたことは村民の意識が高いということで誇りを持てました。みなさんの活動を通して、群馬県も横のつながりを密にしながら心豊かな感じに持っていけたらいいなと思います。もったいない運動も広めたいと思います。

 根本前町長のお話の中で、「町民のため、町のため」という徹底した判断基準にしていることを肝に銘じていきたいと思いました。それからいろいろな施設を回らせていただいたのですが、建物ではなくてそこに携わる人が良いと自然と盛り上がると思いました。まさにまちづくりは人づくりと昔から言われていたのですが、その現実というのを見せつけられたと感じました。これをもとに私も市民活動をしているみなさんの力になれればと思います。

 コストの削減と住民サービスの向上、相反するようなことを見事やり抜いたというところは、やはり根本さんの全体から出てくるオーラみたいなものに職員から住民まで付いてきて一体となって出た成果なのかなと思いました。最後に寄った特養の方はただ者ではないという雰囲気を醸し出していました。

 根本さんがおっしゃった中で、議員の定数削減や矢祭でやったことを名古屋でやろうとしても無理だよと、まさにそこを私どもは考えていかなければならないなと思いました。どこかでやっているからすぐにそれを持ってきて自分の町でやろうとしても、住む人が違うし、風土もあるし、そういうことを考えた上でまちづくりを進めていかなければならないということを痛感しました。それから人が大切ということは当然感じたのですが、人の考え方が変わっても行動してはじめて実になるのだなと強く感じました。そういったことを組織の行革、職員の育成、まちづくりにいかすことができたらと思います。

 実は先月、長野県下條村に行って勉強させていただいたのですが、下條村に行く前に地図で見る限りでは山奥の村なのになぜ今子どもが増えているのか、人口も増えているのか、というような疑問がありました。わかったことは、政策として新しい村営住宅を建てて隣の市よりも安く住めるようにしていること。それと中学生までは医療費無料です。打っている手はそのくらい。職場は隣の飯田市がほとんど。移り住む条件としては消防団に入ること、地域のコミュニティに必ず参加することというような今の若者が一番いやがるようなことを条件にしているにもかかわらず、順番待ちの状態であると言います。このような状況を見てきたのですが、最後までそれがどうしてなのかわかりませんでした。その疑問を根本さんにどうしてだと思いますか、と質問させていただいたら、私は行ったことがないけれどもという前提で、そういう環境が何らかの立地条件であったり、自然環境であったりそういうものが影響しているのではないでしょうかとお答えいただきました。政策というのはどこにでも当てはまるものではなくてその地域をよく見てたてていかなければならないなと感じました。

 いろいろな施設を見学し根本さんの講演を聞いて、1人の人間で町が変わる、人が動かせるということを痛感しました。真剣に話して真剣に考えれば人は付いてきてくれる、動いてくれるということがわかりました。地域に戻ったら人づくりや地域づくりに活用して、自分なりに背伸びをしないように地域づくり人づくりを実践したいと思います。

 矢祭町の中を一通り見せていただき、やはり町長があれだけの設備をあれだけの財政規模の中でやられて、なおかつ企業誘致を図って入りと出のバランスを取っていたことがテレビを見ただけではわからず今日行ってみなければわかりませんでした。吉岡町も少しは矢祭町を見習って入りの方も真剣に考えていかないと、バランスを取ってやらなければとつくづく感じました。

 私は主婦で、会社の現場を初めて見させていただいたのですが、ぼーっとする時間が1分もないような状態で、企業で働くということは厳しいなと思いました。でも説明してくださった方はいきいきと輝いていたので充実しているということがわかりました。自分はこれから何ができるだろうか考えていきたいと思います。

 根本前町長さんの話、会社や特養施設を見させていただいて、全員がとてもいい顔をしてらっしゃったので、共通しているのは、根本(こんぽん)に世のため人のためって考えることができる人たちなのだろうなと思いました。企業も儲けではなくて、世のため人のためと考えるからその企業は大きく伸びていくのだろうなと思いました。役場もそうだろうなと思いました。私自身もこれから主婦目線だけでなくて広い視野に立ったものの見方、いろいろなことで少しでもいいから世のため人のためささやかながらそんな考えを持ちながら生きていきたいなと素直に思った一日でした。

 伊勢崎は工場が多くて、不況で稼働したくても稼働できない工場があると聞いていたのですが、今日うかがったSMCの工場長さんに不況はなかったですかとお聞きしましたら、いいえ、全盛期の4割から7割のときがありましたとおっしゃっていました。こんなすばらしい会社でもそうなのかと思いました。でも不況でも頑張っていらっしゃるので家へ帰って夫にもこの話をしてみたいと思います。

 根本前町長さんの話を聞き、自分はまだ役所に入って3年目なのですがどうして公務員になりたかったか思い出させてもらい、もう一度身にしみるように聞かせてもらいました。私のかかわっている業務で市民参加が必須のものとなってきております。その中でどうやって市民の方とかかわっていいのか非常に悩んだ時期がありました。しかし、悩みが少し晴れたような気がします。根本さんのお話にもあったように、やってみなければわからないということが自分のチャレンジ精神に火を付けたようで、これからいろいろなことに挑戦してやっていきたいと思います。前橋が明るい町になるように頑張っていきたいと思います。

 ちょっと気になったのは、町長さんが頑張って企業誘致されて、あれほど交通の便が悪いところに大きな工場ができて、税金面や雇用の面では相当なメリットもあったと思います。ただ、通勤時間帯は交通渋滞が大変ですという言葉が出てきて、前町長さんが確か、道路網などはうちの町は終わっているから合併しなくても大丈夫と言っていたような気がするのですが、まだこれから第2工場、第3工場とできてくると新たに道路を広げる、住宅をつくらなければいけない、住民が増えれば水道も広げなければならない、といろいろな面で公共施設が必要になってくるのかなと思います。今まで頑張ってきたことは評価したいと思いますし、見習うべきところがたくさんあるのですが、頑張りすぎてこれから大変な時期が来てしまうのかなという一面を感じました。とはいえ、あれほど大きな会社が来てくれるというのは町長さんが住民の方を大切に思っていることを評価された中で出てきてくれたことだと思います。また役場の方も継続して努力して解決していくということだと思いますが、ちょっと気になったので一言付け加えさせていただきました。

 今日の矢祭町もそうですが、今まで個人的に行った場所や研修で行った視察先でそこに住む人の話を聞いてきましたが、行政主導であれ、民間主導であれ、共通しているのは自分たちの地域に誇りを持って、自分のまちを自慢する人たちがそこにいることだといつも感じます。自分のまち、みなかみ町もそうですが、良いところがいっぱいあるのですが、住んでいる人たちが自分のまちのいいところに気付かない。矢祭町のように気付いているところは輝いているというか一歩先を行っているように感じます。地元に帰って仲間や、今日は役場の方がいらしているのでうれしかったのですが、みなかみ町も頑張っていこうと思います。

 私の地域の場合は合併を選択しました。本当に厳しい選択だったと思います。私もその頃から議会に携わり、私自身は地域を守るため、住民を守るために矢祭町とは違って合併を選択した一人であります。例え合併しなくてもしても、それぞれの地域が輝き続けなければならないということには変わりないと思います。それぞれの住民が本気で頑張って高崎市民も各地域一つひとつが輝いてはじめて一つの大きな輝きになると思います。そして全体を考えながら足元をしっかり見ていく。先ほども根本さんがおっしゃっていましたが、走りながら考える、考えながら走る。そしてより良い方向へ持って行くことが大事なのかなと感じました。地域づくりに関して市民として違った方法も考えながら走り続けながら高崎市の将来を考えて行きたいと思います。

 見てやろう、聞いてやろう、確認してやろうという3つをいつも頭の中に持っています。今日行って確かに言っていることとやっていることが一致しているということを確認させていただきました。根本さんが言ったのは住民本位の政治をしなさい。その理念は必ず徳操と品性を持つことで、後ろ指を指されるような人間がいくら理念をかかげてもあるいは目標をもってもだめだよと。それを言っているときの眼孔は非常に鋭かったです。田舎のおっさんじゃないかというような顔して出てきたが、どうしてどうして、あの内容を話すときはすごい迫力を感じました。根本イズムが見学した至るところに感じられました。この地域づくりで行政の方と親しくなって、伊勢崎で講演させていただいたり、みなかみで雪かきをやったときに温泉で冷えた体を温めてくれと非常に良くしていただいたりしました。こういう機会が設けられることがお互いの交流になるのではないかと思います。

 外から地域を見直す機会をつくるということは自分自身も再生できるということだしパワーもいただけるということで毎回参加させていただいています。本日、本物の政治家を見させてもらった気がします。町のため、町民のためという気持ちが町民を動かし、今の矢祭町に至ったのではないのかなと思います。それにはその人のリーダーシップもあるかと思いますし、それを受け入れる町民、その風土、歴史、地理的なもの、自然ということがあればこそ、と感じました。私たちもすばらしい地域をもっていますので、我々の地域をどのようにしていったらよいのか、微力ながら頑張っていきたいと思います。

 くなっては困るので少しずつ飲ませようかと思います。

 みなさんが感じた通りすべては人です。人によって地域はこんなに変わるといつも痛感しています。まちの大小に関係なく優れたリーダーがいてそのもとに結集したまちというのは光輝いているなといつも思っています。我々も小さな地域づくりでありますけれども、市民のためあるいは地域のためひたすら汗をかくなど、そのこと今日は根本さんの爪の垢をいただいてきました。帰りましたら町長と議員に連絡しまして、明日飲ませたいと思います。ただ、腹具合が悪が勇気づけられたと思います。

地域づくり人物リレー 第4回

地域づくり団体 未来塾 松本立家さん

地域づくりのきっかけ

松本立家さん

聴覚障がい者と言葉がうまく伝われば良いなというので最初に手話をはじめ手話サークルをつくったのがきっかけ。私は18歳で浪人中で若い世代がボランティアをすること自体が珍しかった時代。手話人口の少なさから周りから変な目で見られることもあった。活動の中で自分たちの思いと周りの目にギャップがあっていろいろな問題意識が発生し、世の中の足りない物が見えてきた。その問題意識からいろいろなことをやった。前身の活動があって今の未来塾に到達する。

 未来塾を立ち上げたのは平成元年。後輩に青年団を託し、新しい団体を立ち上げた。若い人に入ってもらうには、未来塾という響きが良かったかな。時には「うちの子をいれてください」なんて学習塾と間違えられることもあった。

 普通の団体は、夫婦どちらか一人が参加する場合が多いが、未来塾は夫婦で参加する場合が多い。だから夫婦で情報を共有してお互いの理解も得られる。夫婦の次に、子どもが産まれて子どもが参加してくる。仲間の中で一番大きい子が25歳になった。最初にフリーマーケットをやった頃は本部テントに柵をつくり、その中にメンバーの子どもを入れて交代でミルクをあげたりおむつをかえたり、自分の子どももメンバーの子どもも一緒に面倒を見ながらやってきた。だからその子どもが節目の時には、「お祝いしなくちゃ」みたいな感じで自分の子どものように皆のお父さんをやっている。そんなことで珍しい団体だと昔から思っている。独身の頃から活動していると結婚と同時に家庭に入って活動がとぎれてしまう、という話を聞いていたのでそういうふうにはしたくなかった。

活動内容

 安中という目線で考えた時に、まず人を集めることを考えた。その一つとして「フリーマーケットinあんなか」を企画し開催した。人が集まれば、そこから何か始まるのではないかなと思った。(北関東最大級のフリマと言われるまでになり、31回実施したが、現在、事情により休止中。)

 その前から取り組んでいたのが、自然保護活動。蛍を養殖したり、蛍のいる河川や場所のマップを作ったりなども同時にやってきた。

 平成12年には地元小学校の校庭にビオトープをつくった。四季折々の自然に身近にふれることができる。つくろうとした理由は、自然保護をやっている中で、この辺の子どもが一番自然から離れていると感じたから。都会の子は、自然は大事だと身にしみて親もわかっているので、自然体験活動を行っているし、学校教育の中にもプログラムされている。この辺の子は自然が近くにあるからありがたいと思わない。ちょっと行けば山も川もあるけど、実際には入れない。今は里山が里山としての価値をもっていないので、あってもないのと同じ。なぜ自然が大事かというと私たちが子どもの頃、里山の中で遊んだり川で遊んだりした体験によってそれが大事だと思っているから。今の子どもたちにどんなことを言っても「体験していない」という致命的な事態がある。地方にこそビオトープが必要だというおかしな現実があった。そこで子どもたちに一番身近な学校の庭につくったらどうかということで、県の生きものふれあいの里整備事業を受けてつくるに至った。

 ビオトープには井戸水を使った約60mの小川をつくって近くの川の生き物を捕ってきて放流した。その周辺には樹木や草花を植え、里山の風景を再現した。地域の方に希少植物を分けてもらい植えたりもした。毎年、蛍の幼虫も育て放流している。今では学校に蛍が飛ぶ。小さな樹木も今、林になっている。どんぐりが5種類もあるので他の学校の子どもたちもどんぐり拾いにマイクロバスでやって来る。他校と交流するきっかけにもなっていて、ちょっと自慢のビオトープです。今度、ぜひ見に来てください。

地域づくりへの思い

 ビオトープをつくる時に皆に呼びかけてグランドワーク方式でつくった。地域の方や企業に機械などを借り多くの人の技術を投入した。少ない予算だったので、37社の協力を得られたことは大きな力となった。丸1年、述べ1500人を巻き込んでやった。黙々と自分でやるのではなくて、だれにでも声を掛けてみんなに手伝ってもらった。石積み職人はビール1本で3日もボランティアでやってくれ、その後の加わったことの喜びややりがいを感じて、出来上がった後もずっと気にかけてくれる。また、ガチャポンポンプの所に石の流しを寄付してくれたおばちゃんは、「割れてない?」なんて今でも連絡がある。大げさに考えたわけではなく、やりながら自分たちだけでできなくて声をかけていったことが花開いていって、いろんな形で協力してもらった。それが地域づくりだろうなと強く思う。

地域づくりをやってきて良かったこと

 ビオトープ作りが思い出に残っている。1年間、命を削る思いでやった。最後は事業の期限や子どもたちの卒業式に間に合わせるために土日、そのほかの日は夜中ライトをつけて作業した。出来た時には子どもたちから感謝状をもらい、これまでの苦労もチャラに。川底の粘土は子どもたちに手伝ってもらったので、子どもにとってもビオトープは思い出深いものである。入学しても学校に来られない子どもが、ビオトープまでは来られる子が何人もいる。そこで花を見たり、葉っぱをさわったりして遊ぶと落ち着いてクラスに入れた。何人もの親にビオトープがあったからうちの子は学校に行けたとお礼を言われる。自然の力ってそれだけ心に与える影響が大きいのかな~。毎年、卒業式に子どもたちが川沿いの道を歩き、巣立っていく。

 活動を通じていろいろな家族とふれあいがあり、子どもたちが大きくなって、進路を決める時に今までの自分の経験や周りの大人に刺激されたことを基にしたり、また、ボランティアを普通にやっていたりしているのを聞くと一番うれしい。次女は大学生だが、我々とやってきたことの延長で、たくさんのボランティアをやっている。多くのみなさんに面倒を見てもらい垣根なくやっている。私より高崎で知人が多い。世代が代わりはじめていると感じる。この頃は「お父さんが紹介してやろうか」より、「お父さんに紹介してやるよ」、だって。

これからの夢

 山を共同で購入して里山の暮らしをしたい。そこが原点だから。昔の里山を現代が求めている里山にアレンジしながら使いやすい里山にし、毎日ではなくてもいいからそこで暮らしたい。ただ善意の集まりだけでは続かないので、お金が稼げるような仕組みにしないと。自然薯を採るとか蕎麦をつくるとか、総合的にやりたい。山の中は1年中収穫物がある。キノコ、山菜、自然薯、柿など。今も農産物直売所をやっているが、里山にドッキングした施設をつくって、山の収穫物やつくった物を売ったり、体験して楽しんでもらったり、通常の社会と離れたところではなくてつながりを持ちつつ、昔の理想的な生活を提案することができると思う。そんなことをやったのでは食べていけないと言う人がいるが、里山にどんと構えたら、食って行ける。不思議と自信がある。その代わり、バス5、6台分の人を受け入れられる広さと気持ちがないとね。見て良くて、触れて良くて、やって良いというのがないと魅力がない。そう考えると楽しいな。

最後に一言

 いろいろなことがあっても人が財産だから、何もやらないより何かコツコツやって、いろいろな人と触れ合っていくのが良いのかなと思う。人と出会うことで、生き方に刺激を与えられる。これも地域づくりに自分の身を置いているからこそ感じられ、絶えず新しいことに興味が湧く。地域が変わるということは、そこに暮らす人の意識も変わっていかないとだめだから、意識を変えていくために刺激できるものを見つけて市民レベルで安中を盛り上げていくことを継続してやっていきたい。今までも皆と一緒にできることをやってきたので、今後もそうできたら良いなと思う。「また2人3脚でいきますかね」(と奥様に語りかける)。

好きな言葉

「種まき」
 何かをしないと結果は出ない。種をまかない人には収穫の喜びはない。種をまかずに「良いことないかな」と言う人がいるが、良いことなんか降ってくるはずがない。やった分だけ収穫がある。私は本当の種もまくし、言葉の種もまく。そうするといい話もくるし、日々も楽しみになる。

感銘を受けた本・詩集

「光る砂漠」矢沢宰 著(童心社)
 高校時代に出会った本。少ない言葉の中に自然や命の大切さがあふれ感性を揺さぶられた作品。作者は、結核で21歳の若さで命を閉じてしまう。作品は、切ないばかりではなく、力強さもあり、不思議と勇気をもらいます。

印象に残る人物

父親
 父親はいつもにこにこしていて優しくて怒らない。よく親父の七光りだなんて言われてくやしいと思ったけど、時を経て、私は八光だと思うようになりここまで来られた。超えられない人として尊敬している。私が市民運動をやって周りにいろいろ言われても、「好きな通りやってみろ」と何でもやらせてくれ応援してくれた。今、顔も声も似てきた。妻曰く、「やることも考え方もそっくり、曲がったことはキライで努力は惜しまない、ここに嫁いできて亡くなるまで怒った顔を見たことない」という。それから比較すると私はまだまだだが、それが目標で、その陰を追っかけて生きているのかなという気がする。立派な有名人ではなく、私にとっては親父だな。

自分をものに例えると?その理由

天然わさび
 ぴりっと辛くて、好き嫌いがあるがないと味が引き締まらない。お料理には欠かせない。また、きれいな水が好きで、意外とかわいい花を咲かせる(家族の意見)。ツンとした辛さを出すには少しの砂糖が必要。その砂糖役が奥様。

次にバトンタッチする人

角田 亘さん。

  • 次回は、角田亘さんにお話を伺う予定です。

群馬DC情報(その1)

 平成23年7月~9月に群馬県で開催されるデスティネーションキャンペーン(群馬DC)(地域とJRが連携して実施する大型観光キャンペーン)のテーマが決まりました。”心にググっとぐんま わくわく 体験 新発見”です。今後はテーマに沿って、全国に向けた広報宣伝やおもてなしの準備を展開していきます。ただ今、各市町村を通じて、DC期間中に実施できる各地域の受入企画や特別イベント等の情報を集めています。

【連絡先:ググっとぐんま観光宣伝推進協議会事務局(群馬県観光物産課内)電話027-226-3373(直通)】