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令和7年3月17日(月曜日) 午後5時から午後7時
県庁24階 教育委員会会議室(Web会議)
開会
平田郁美教育長によるあいさつ
配付資料により事務局説明、質疑
・指定校等実践事例
配付資料により事務局説明、質疑、意見交換
・SSES Round 2 国際報告書(第2弾)
配付資料により事務局説明、質疑
閉会
【スコットランド共同研究に係る教職員の海外視察】
(委員A)
スコットランドの学校の教育目標について、実際にどのような目標があったのか。また、どのように共有していたのかについて詳しく知りたい。その理由として、自分の経験上、日本の学校の教育目標は、多くの場合、並列的に羅列されている。そのため、何が上位目標になるのかが明記されていない中で、下位の目標の実現にこだわると、結果として上位目標の実現の妨げになっていることがあった。いわゆる、手段が目的化していることが、日本の場合、よく起こる。スコットランドでは、このことについて意識された取組はあったのだろうか。加えて、学校の中で最も大事にするものを英語ではゴールという言葉で表現するが、日本では達成が難しく、飾りとなってしまっているスローガンのような目標を掲げている様子が見受けられる。そうしたことについて、何か感じることはあるか。
(事務局)
スコットランドでは、国が示している目標を、成功する学習者、自信を備えた人、責任ある市民、効果的な貢献者という4つの言葉で表している。このことを受けて自治体と学校は、その最上位目標に沿った目標を立てる。最初にこの4つを知った時は、抽象度の高いものと感じ、この目標が学校現場までどのくらい浸透しているのだろうかと半信半疑であった。しかし、目標の言葉だけでなく具体的な子どもの姿を併せて示していることと、国から直接、校長に教育の方向性を伝える研修なども行っていることから、考え方がスムーズにつながっており、学校でもこうした状況を踏まえた教育目標を設定し、共有されているという印象をもった。
(委員A)
日本の場合、「生きる力を育成するために知徳体をバランスよく」というセリフが聞かれるわけですが、これから本当に一番必要な力として、スコットランドはこの4つを掲げている。これらの目標は抽象的に見えるが、OECDの言っていることとも親和性があると感じる。そこで、日本とスコットランドの目標を比較した時、どちらが抽象的かと考えた場合、皆さんの意見はどうかということに関心がある。
(事務局)
教員だった自分の感覚的なものになってしまうが、学校で勤務していた当時、自分の中で知徳体というものを重視し、教育をしているという感覚はあった。しかし、これは教員としての経験による部分が非常に大きく、知徳体をバランスよく指導する方法を具体的に示してと言われた場合、それを説明する難しさはあると感じる。おそらく、それはスコットランドの方が、子ども達の具体的な姿を言語化している部分において伝わりやすいという印象を持っているからである。
【湯けむりフォーラム2024 SEL分科会】
(委員B)
STEAMとSELを一緒に取り組んだ方がよいと感じている。群馬県の高崎高校が非常に優れたSTEAM教育をしているが、そのSTEAMのAの部分にSELを入れた方がよい。ぜひ、今後、カリキュラムを考える時には検討してほしい。また、湯けむりフォーラムでSELについて新しい方向性などが出ていたら、教えてほしい。
(事務局)
湯けむりフォーラム全体を通して、現場の先生方にとって、生徒への関わり方の参考となる話が多かった。どのような言葉掛けやアプローチがよいのか、社会情動的スキルを意識した関わり方として、どのようなフィードバックがよいのかが伝わってくる内容であった。事務局は、これまでエージェンシーを発揮できる教育について考える機会が多かったわけだが、それを言葉で説明する難しさを感じていた。しかし、ここでは、実際に生徒がエージェンシーを発揮するために、どのように導けばよいのかということに対しての捉え方が示されていた。「生徒は安全安心な中で声が出せること」が重要であり、さらには「生徒は自分たちで自己決定ができる選択肢があること」が大事である。そして、その先に「生徒が学びに対して責任をもつことができる」こうしたことを教育のそれぞれの場面で意識できることが必要であるという理解につながった。何かすごく新しいということよりも、このようにして生徒がエージェンシーを発揮できる環境をつくっていくことができるのではないかという分科会だった。
(委員B)
大変勉強になった。一方、クラスの中でこのようなことはできるのだが、現場としては学校規模になるとかなり難しいという感覚がある。そこで、学校規模でこれをやるにはどのようにやるとよいか考えはあるか。
(事務局)
校長、教頭等の管理職のイニシアチブは、少なからず必要であると思う。併せて、それを進めるために事務局から、適切な情報提供も必要である。その上で、学校全体で進めるという意味では、各指定校の事例の中でたくさん実践が行われている。例えば、教育目標の実現に向けて丁寧に目線合わせするための会議をしたり、完全に方向性を一緒にするというよりも、大きな方向性を確認する機会としての職員会議を行ったりしている。このように指定校の実践の中では、学校全体で取り組んでいる様子や、浸透していく姿というものが、現時点でも報告されており、また今後もそうした部分は多く見えてくるものと感じている。
【指定校等実践事例】
(委員B)
素晴らしい取組だと思う。このような資料を作成してもらうと、現場の人はとても助かると思う。こうした資料を利用するレベルというか、利用の仕方によって、提供する情報を少しずつ変える必要があると思う。例えば、学校全体に情報発信する場合と、クラスを運営している先生にSELの資料を見せる場合とでは必要な情報が違うので、現場の先生にとってどういう情報が必要なのかを聞いてみるとよいと思う。授業の中で利用するためには、「45分でこれをやります」のような時間設定が大事になるため、「このぐらいの時間で最初にこれをやり、中ではこれをやり、最後にこれでまとめた」のようなより詳しい資料が必要になってくると思う。またSELに関しては、細かい隙間時間に使えるものもある。今回の資料作成において、それも掲載すると、先生たちがとても使いやすいと思う。例えば「ショートホームルームや昼休みなどにこのような活動をしました」のような具体的な事例があると先生たちは真似しやすいので、とてもよい資料になると思う。
(委員A)
私もとても面白い取組だと思った。ただ、事例集を作成する上で難しいと思うこととして、他の事例集等でも言えることだが、現場の実践事例を網羅的に蓄積していくということはよくある。しかし、どうしてもその中には悪い実践事例というか、その実践事例を含めたことで、本来の目標の実現を妨げてしまう事例になってしまうケースがある。特に、国内の様々な実践事例を載せるような場合、それが正しいものとして誤解され、全国に広がってしまい、逆にエージェンシーを妨げているみたいなことがある。
今日も色々な報告がある中で、やはり日本の課題は、エージェンシーの低さだろうと考える。国際的に日本よりもはるかに進んでいる国でさえも、このエージェンシーを発揮できるようにしていくということが非常に重要であると考えている。つまり、子ども達が常に社会の一員として、主体的に取り組んでいく姿勢を育てていくことが、より成熟した社会、民主的な社会につながっていくのである。そのために学校でエージェンシーを発揮できるように育てていかなければいけないのだが、実際に日本の場合は、子ども達に安心安全な環境で発言できる環境をつくろうとした場合、子ども達に積極的に任せていくことが必要になるが、教員は任せることがとても不安である。だから日本の場合は教員が任せるということを躊躇する。
しかし、実際、子ども達に任せていく取組をした場合、子ども達の姿がどうなっているかということについて、よく講演で言っていることがある。「自主的」という言葉と「主体的」という言葉を使い分けている。「自主的」というのは自ら進んで動く姿だが、子ども達は何か大人が望むものを忖度して行うことも含めて、「自主的」みたいな感じになっている。日本の教員は、この「自主的」な子ども達の姿を見てとても喜ぶ。大人が考えることに対して、進んで動いてくる子ども達がたくさん増えれば学校は安定する。でも、実際に本当に必要なのは、社会の一員として考えている子ども達は、大人が考えていることとか、その周りが期待することを自分の頭で考えて判断して決定した結果として、「いや、それは違うんじゃないの」と言えるちょっと面倒くさい子ども達というか、本当に育てなければいけないのは、広い視野で深く物事を考えて、「それは違うかもしれない」「ノー」とちゃんと言えるような子ども達である。そうした時、やっぱり日本の教員は不安になっていくのだと思う。
先程の報告の中で、とても面白い数値があったが、日本の教員は自主的に学ぶ研修が少ないというのもあった。日本の教員の姿は、与えてもらう研修を中心として行っていて、自分で物事を研究できない。いわゆる主体的な教員の姿がないということになる。主体的な教員の姿がなく、育てている子どもたちも主体的ではない。世界で求められているのがエージェンシーなのに、日本はそのエージェンシーが特に弱いってことを考えた時、この実践事例の吟味の仕方が、すごく重要になってくるのではないかという感想を得た。
【SSES Round 2 国際報告書(第2弾)】
(委員B)
社会情動的教育に教師が責任を持つべきであると回答している割合が他の地域と比べると低いというデータが出ているが、主な原因はどのようなところにあると考えているか。
(事務局)
社会情動的教育は、教員が無意識のうちに行っている場合も多いのではないかと考えている。また、今回のSSESの調査は、今進めている非認知能力の評価・育成の取組を始める前の調査である。事務局もこの点に課題に持ちつつ取組を進めている。最初の説明のとおり、群馬県の教育ビジョンを作成し、共通理解を図ってきたところであり、各教員も学校長も認識をしてきているのではないかと思っている。ただ、まだ課題であるので、この取組をさらに進めて、それらの共通理解を深めていきたいと考えている。
(委員B)
おそらく小中学校までは先生方の中に社会情動的な部分、心の部分を育てなければならないという意識が高く、特に小学校ではそのように思う。高校になると、全体的に受験に切り替わるために、作業であるとか、単に教えていくというところに重きが置かれている傾向があるように感じる。だから、大学受験という点とともに、もう一点、心の成長というのは思春期にとって大事であるというメッセージを出していかないと意識がそこまでいかないのではないかという気がする。SSESの調査で、10歳児に比べて15歳児の方が、社会情動的スキルは落ちているということが世界的に見られるので、その理由について検討をする必要があると感じる。まだその原因はわからないが、全体的にその傾向はあると感じる。
(委員C)
社会情動的スキルが、雇用や経済的な成功とか社会的不平等に影響しているとあまり考えてないというところは非常に面白いと思った。日本の場合、その教育的な活動が不平等を拡大しているというような見方というのは、あまりよくないというようにされているので、本当はそのように思ってはいるが、そのように答えてはいけないというプレッシャーがかかったのかもしれないというように感じる。本当に先生たちがこの社会情動的スキルが、子ども達のアウトカム指標に影響を与えていないというように本当に考えているのかについては少し留保が必要と思いつつ、0パーセントであったということには、驚くべき結果であったという感じがした。
学校が子ども達の社会情動的スキルに影響を与えているかについても、とても面白いと思った。これに関しては因果関係の矢印の向きがどちらに向いているかということが結構重要なところでもある。例えば、学校への帰属意識が高いので感情抑制が効いているのか、感情抑制のスキルが高い子どもが学校への帰属意識が高いのかという両方の可能性があるのではないかというように思う。このような並べ方をすると、学校が先にあって、その結果としてその社会情動的スキルが形成されているかのように勘違いされる部分もあるのかと思うので、この因果関係については、はっきりしないというところは強調しておくべきところだと思う。社会情動的スキルを伸ばすためには良好な関係づくりが重要と書いているが、スキルの高い子どもが良好な関係を築けているだけなのかもしれないということではないかと思う。もしそうであるならば、実は学校環境をよくしたところでスキルが伸びるわけではないので、ここの解釈に対して過大な解釈をしないということは、非常に重要なことではないかと思う。
教師のストレスに関するところでは、別の自治体で、現在、教員の調査をやっている。そこではWHO-5というストレスを測る指標をとっている。25点満点で、13点以下になるとうつ症状があることを表す指標であるが、他の職業に比べて、公立学校の教員のストレスレベルが非常に高いということが分かっている。これは私たちの研究以外でもそういうことを示している研究があるので、この教員のストレスの対処に関しては、今後非常に重要な要因になってくるのではないかと思う。先生たち自身のストレスの状況がよくないということであるが、そこを経由して子どもたちに影響があるかもしれないということも、さまざまな研究で指摘されているところであり、そこは注意が必要であると資料を見て感じた。
(事務局)
社会情動的スキルについて「強く同意する」というところが0点という部分について、高校の先生も一生懸命取り組んでいるので、発言したい。これは、ある学校で一人でも「強く同意しない」と答えた場合には0点になる。学校の中の教職員がすべて意識を揃えていくということについては、例えば非認知能力が認知能力と一緒に育てていくことが大事であるというようなメッセージを学校全体で共有することが大事である。そのため、教育委員会としても、先生方に伝わる言葉でその重要性を伝えていかなくてはいけないと思っている。
先程、受験の話があったが、高等学校段階における子ども達の心理的な様々なトラブルが非常に増えてきている。そこで、この非認知能力についての取組を始めたときに、進学校の先生の中で強く同意する先生が多くいた。進路実現に向けて一生懸命に取り組み、子どもが言われた通りにやっていく中で、その非認知的なスキルが、とてもいびつな形になってしまい、それが彼らにとって幸せにならないという経験をたくさん積んでいるからだと思う。確かに高等学校段階で受験ということは、避けて通れないことではあるが、高校の教員であっても、非認知ということについての意識は上がっていると考えられる。今回、群馬県で取組をしているし、教育ビジョンの中でも言葉を揃えて「自律した学習者」を育てていく。そのために自分で考え、自分で決めて行動する機会をつくっていく。それで、先生がすべてやってしまうのではなく、子どもを信じて任せようという言葉で発信している。
このSSESについては取組を開始する前の調査であるので、相当結果は違ってくるのではないかと思う。一人でもこれについて同意しないと0点になるというところが、おそらく鍵になっているのではないかと思う。先生方の意識は、伝わる言葉で発信していく前であったため、この極端な結果が出ていると思っている。ただ、意識がまだない先生もいるというのは確かにそうだと思うので、先生方が当事者意識をもって本当にそうだと思うような発信をしながら各学校で工夫をしてもらうように今後も努めていきたいと思う。高校の先生もとても頑張っているので、発言するべきところではなかったが、一言申し添えさせていただいた。
(委員B)
高校の先生が頑張っていることはよく理解している。時間がないということが多分正しいところだと思う。心の余裕がなく、受験の点数を上げなければいけないというところに多くの時間を割かれていて、社会情動的な部分に取り組むという時間や学ぶ機会、そのようなものがなかなか作れないということが現状ではないかという気がする。重要なのは分かっているが、具体的に動けない、時間に縛られている状態というのが現場にはあると思う。それもストレスと関係していることだと思う。
資料1 OECD 2030年の教育と技能の未来に向けたグローバルフォーラム 群馬コース (PDF:2.26MB)
資料2 スコットランド共同研究に係る教職員の海外視察 (PDF:1.03MB)
資料3 OECD生徒・教師サミットinパリ (PDF:1.51MB)
資料4 湯けむりフォーラム2024 (PDF:1.73MB)
資料5 指定校等各学校における実践の広がり及び児童生徒・教員の変化 (PDF:423KB)