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群馬県非認知教育専門家委員会(第4回)議事概要

更新日:2025年1月24日 印刷ページ表示

1 期日

 令和6年7月4日(木曜日) 午後4時から午後6時

2 場所

 県庁24階 教育委員会会議室(Web会議)

3 出席者

  1. 委員(8名中8名出席)
    大島みずき委員、田熊美保委員、中室牧子委員、Patrick Newell委員、今井朝子委員、金子弘幸委員、工藤勇一委員、葉一委員
  2. 事務局 平田郁美教育長 他 職員13名

4 内容

(1)開会

 開会

(2)あいさつ

 平田郁美教育長によるあいさつ

(3)SSES Round2 国際報告書(第1弾)の概要説明・意見交換

​ 配付資料により事務局説明、質疑、意見交換

(4)スコットランド視察等の報告、質疑

​ 配付資料により事務局説明、質疑

(5)その他

 事務局から事務連絡

5 委員の主な意見

【SSES Round2 国際報告書(第1弾)の概要説明】

(SSESにおける対象スキルの変更点について今井委員による補足説明)

 詳細については今後公表されるテクニカルレポートにおいて示されるが、SSESの担当チームに確認した内容を補足説明として報告する。まず、「達成動機」が「補助的指標」の位置付けから、「作業の成果」の分類に含まれるスキルの1つに入った理由について、「補助的指標」は、他のスキルを計測するための質問を用いて一緒に計測したスキルのことであり、スキル測定に不確定要素があったものが補助的指標に分類されている。今回の調査において「達成動機」は、その後のデータ解析により、他のスキルを計測するために使っていた質問では測りきれない部分があり、独立させるべきであるというデータが見えたため独立させたという説明があった。

 一方、「協同」のスキルについては、1つのカテゴリーとして独立できるだけのデータが出てこないことから削除となった。「自己効力感」は、補助的指標であるため、他のスキルを計測するために用いた質問を使って計測していたが、議論の結果、他のスキルの中に含まれている部分が多いことから、独立したものとして扱わなかったという説明がなされた。

【SSES Round2 国際報告書(第1弾)の意見交換】

(委員A)

 この委員会として、この調査結果の報告をどのように分析し、どのように仮説を立て、どのようにしていきたいかという目的をもう1度確認したい。

(事務局)

 SSESに参加した理由は、群馬県の子どもたちの非認知能力を育てていく中で、子どもたちがどういう特性や特徴があるのかを知ることが必要であると考えた。この報告書は4回に分かれ発表され、今回の第1弾は、主に性差と非認知能力の関係性や、家計の経済的な側面と非認知能力の関係性が発表されているが、その中には群馬県の特徴が報告書の本文中に取り上げられているものがあった。こうした群馬県の特徴として表れているものについて、どうしてこういう結果が出ているのか、あるいはこういう結果が出たのはどのような背景が考えられるかについて意見を伺いたいと考え、今回の委員会の内容とした。

(委員A)

 今回の調査に参加した生徒は、色々な特徴をもっている。今後、ある非認知能力を育てていくためには、こうした手段が必要だというこの委員会なりの仮説が出るのかもしれないが、この調査の平均値に注目してその仮説を立てるとすれば、それが本当に正しいことなのか疑問に思う。さらに言えば、こうした生徒の傾向をこの会議で分析することが、それほど重要なものではないように思う。そこで、皆さんの意見も聞きたい。

(委員B)

 調査結果の報告を聞いた時に、例えば「自分の見た目が気に入っている」と回答した生徒が3分の1となっていたが、「そうでしょうね」と思うだけであった。これは、日本の子どもの特徴としてメディアで言われていることであり、日本の子どもたちは見た目に限らず、自己肯定感が低い。そのため、これまでに言われていることが、改めて再確認できたデータという印象である。起業の教育は、日本で全然行っていない状況だから、起業したいという意識が出てこないのは当然であるという感じであった。もし群馬県の子どもを対象とするなら、今回は実施していないが、日本中の都道府県ごとに調査を実施し、群馬県の子どもたちの特徴が何なのかということを知りたい。もっと言えば、例えば高崎市の公立高校の子どもたちはこういう傾向があり、別の地域の学校ではこういう子どもたちがいるといった比較ができることで、それまでの子どもへのアプローチによりどの部分の数値が伸びたかという分析をすることができる。それによって調査の価値が出てくる。今回のデータで言えば、「そうですよね」というものだから、この後のベクトルというか、道筋がどこに向かえばいいのだろうかという疑問をもった。

(事務局)

 委員A、委員Bの意見については事務局としても課題と考えている。OECDでは個別の状況に応じた細かい分析はできないと聞いているため、本日の委員会でも意見をもらい、OECDの方からデータを入手次第、事務局の方で分析を行っていきたいと考えている。

(委員C)

 OECDの立場を踏まえて、今回の調査は意味があったと思っている。「やはりそうだろう」ということでも、それがきちんとデータに出るということは、研究において意義があることである。また、この後、OECDは群馬県のデータを深掘りしていく立場にはないので、群馬県は独自にデータをもとに、私立と公立で差があるのか等、群馬県の中での深堀りをしていくことができる。独自の分析は、参加した各国が同じである。群馬県以外の都道府県は調査に参加していないので、群馬県とその他の都道府県の比較は、物理的にできないということになるが、いくつかの指標はPISA全体の指標と重なるところがあり、その相関を見ることはできる可能性がある。例えば協働性や創造性、ウェルビーイングの指標からは、日本全体の傾向も見えるところがある。また、社会情動的スキルについて、データを見てこれからどうしていけばよいのかということに関しては、OECDが行っているプロジェクトである「未来の教育2030」で話をしているため、それも踏まえて意見交換の4つの質問について回答していきたい。

 1点目、創造性において差がないというところは、PISAの結果も確認したい。その上で、家庭の格差があるとは言え、他国に比べて少ないほうだろうと思った。

 2点目の「自分の見た目が気に入っている」と回答した生徒が少ない状況について、見た目やそれ以外の自己肯定感はどのようにして上がるのだろうという議論を「未来の教育2030」のプロジェクトでしているが、教育政策としてできる範囲を超えた部分が大きいと感じる。例えば、ルッキズムのような社会における価値観がものすごく影響を与えており、学校だけで変わるものではない。そのため、エコシステムにおける社会全体で変わらないといけない。

 3点目の「テストや悪い成績への不安を感じる」とする生徒が参加国・都市の中で最も多い状況については、4点目の「起業する可能性がある」と回答した生徒が少ない状況についてと重なるが、失敗の恐れが根底にある。失敗した時のセーフティーネットが日本は少なく、「未来の教育2030」のプロジェクトの中では、社会情動的スキルを上げていくのは学校だけでなく、家庭とも協働し、そして社会全体で変えていくことが必要であるととらえている。今の子どもたちが大人になる時の社会自体も変わっていかないといけない。これは学校だけの責任ではない。

 最後に、1点気になったのがウェルビーイングとして、群馬県は睡眠が最も少なかったと記憶している。脳科学的にも睡眠は大変重要であるため、ウェルビーイングと睡眠に関しては、教育政策で対応できる部分があると思った。

(委員D)

 「たぶんそうだよね」というものがデータ化されると、先生たちも皆で協力して動きやすい。学校現場の感覚が再確認できたということにおいて、とても重要なデータであると思う。また、起業に関して、群馬県の「始動人」の育成という観点から、OECDのインフォグラフィックスを見ると、ビジネスを立ち上げるという傾向は、楽観的であり、創造性が高く、積極的かつ活発であるとより高まる。当たり前と言えば当たり前だが、こういう傾向をもつ子どもが、起業したいと考えるというデータも出ているので、群馬県の子どもたちの育成の参考になると思っている。

〔テーマ1:性別による差が小さい、社会経済的背景による差が小さい状況について〕

(委員E)

 性別による差についての感想だが、先日、中学校の先生たちと、性別による差がないということと、社会経済的な差がなかったということについて話をしたところ、肌感覚としてよかったという声が上がった。先生たちは、カリキュラムが決まっている中、義務教育でしっかり勉強しているということ、平等にちゃんと学習の機会が確保できているということを表しているという話をしていた。その上で、差がなかったスキルにおいて、群馬県自体が高いのか低いのかが分からないと喜んではいられない。男女関係なく低いとなった場合は、大きな問題として扱うことにもなるため、気になるところである。

(委員F)

 先程、事務局から何度か男女差がないという発言があったが、たぶんこれは正しくない。なぜかというと第一弾の報告書の図2.7にあるように、男子の方が大きく出てる場合もあれば女子の方が大きく出ているものもあり、さらには統計的に優位な差がないというものもある。そのため、男女差があるものもあるし、ないものもある中で、その格差を海外と比較した時に小さいというのが報告書の説明であり、日本の社会情動的スキルに男女差がないと言っているのではないということを正しく理解しておく必要がある。

 もう1つは、社会情動的スキル全てをSSESで測っているということではないということも重要である。測られていないスキルの中には、ジェンダーの格差が大きいものもあると考えられる。例えば、競争心の男女格差ということが、近年経済学の中で非常に話題になっている。過去には、女性というのは競争心が強いといった発言もあったが、現実には逆であり、男性の方が競争心が強く、女性の方が競争心が弱いとなっている。これに関しては、アメリカで計測されたものも日本で計測されたものもほとんど同じような結果になっており、男女格差が明確に日本でも表れている。この競争心にどうして経済学が注目をしているのかというと、この競争心の格差が男女の賃金格差とか、理系の進学格差とか、昇格の格差とか、そういうものの相当程度の割合を説明しているからということである。ある研究によれば、男女の賃金格差の20%ぐらいは、この競争心の男女格差で説明されている。そのため、今回のSSESの中でカバーされていないけれども、男女格差があるかもしれない非認知能力みたいなものがあるということは重要だと考える。

 この研究の中の1つ面白いこととして、競争心の男女差が何によって生まれているのかというものがある。シカゴ大のウリ・ニーズィー達の研究でこの競争心を図るテストをマサイ族とカーシ族という2つの民族で行った。マサイ族は、日本と同じ男系の社会、父系社会である。一方、カーシ族は母系の社会である。お母さんが大黒柱なのである。そうすると、競争心のグラフが男女逆になっている。つまり、こういう非認知能力の形成というのは、相当程度、社会規範や、社会の価値観の影響を受けているのではないだろうかということになる。

 競争心の研究に限らず、この非認知能力の格差が、例えば男子校と女子校で違うのかとか、共学でどう違うのかみたいな研究は、最近経済学で出てきている。今後、OECDから細かいデータが送られてきた時に、公立と私立のような設置主体別で違うのかどうか、男子校と女子校で違うのかどうか、また、学校の中において、女子の割合が多いとか、男子の割合が多いという微妙な違いによって差が生まれているのかどうかということはチェックすべきポイントとしてあると思う。

 私たちの研究グループが非認知能力の男女差を見ているものがある。ここでは、自制心とか勤勉性、協調性、開放性、外交性について見ているが、今回のSSESの内容とかなりオーバーラップがある。この結果は、群馬県の15歳の結果とあまり変わらないように見受けられる。傾向として、女性の方が勤勉性や協調性が高く、男性の方が外交性と開放性が高いとなっている。外部妥当性という言い方を経済学ではするが、他の県でも同じようなことが言えているかどうかは、確認してみる必要があると思う。もう1つは、こうした男女格差が生まれるのだとすると、それがどのあたりから顕著になっているのかということも重要な問いではないかと思う。高校生の段階で、はっきりとした統計的に優位な差があって、それが実は小学校の時から持ち越されてるという話になると、高校の時にどうこうして、どうにかなるものなのかという問題もあるので、どこからその差が生まれてきているかのようなリサーチ・クエスチョンも大事であると思う。

(委員C)

 PISAや他のデータとこのSSESのデータを総合的に分析することによって、施策につながるのではないかと思う。エストニアの高校で、理系に女子が進む割合が少ないことに関して、まさに「その差異がどこから生まれてくるのか」を探究学習のテーマに選んだ高校生がいる。「職業分野への関心のジェンダーの差異は、幼児期から始まる」という仮説をたて、絵本の中で扱われた職業においてデータを収集したところ、(医者やエンジニア等)理系に関わる職業は男の人が多いといった社会観に影響されている可能性が高いという発表をしていた。

 また、別の観点の社会情動的スキルをPISAではたくさん調査している。例えば、自分で自分の学びのオーナーになることに対して自信をもつということは、「自律的な学び」につながるが、日本の生徒の割合は国際平均と比べると少ない。この点については、群馬県が先駆けて施策として取り込まれるとよい社会情動的スキルなのではと思った。その他、心理的なウェルビーイング、エージェンシー、レジリエンス、エンゲージメント、ワークライフバランス、多様性に対する開放性といったデータもあるため、いろいろなデータを合わせることで施策に活用できるのではと思った。そのため、SSES単体で何かをというよりも、他のデータと合わせて分析ができる材料が1つ増えたということにおいて意味があった調査だと思う。

〔テーマ2:「自分の見た目が気に入っている」と回答した生徒が少ない状況について〕

(委員D)

 今回のデータが学校現場の肌感覚と一致しているということを伝えたい。生徒が学校に来て、髪型やピアスといった外見の部分を非常に気にしていると感じている。それに対する意識は世界共通かと思っていたが、群馬県に限らず日本特有の状況であると分かり、大変懸念している。これに関しては、教育や環境づくりにおいて全体的に考え直していく必要があると考える。

〔テーマ3:「テストや悪い成績への不安を感じる」とする生徒が参加国・都市の中で最も多い状況について〕

(委員D)

 大学入試がある限り、この不安はなくならないと思うが、中間テストや期末テストなどの定期テストに始まり、テストが多いということ。また、次のSSESの報告書にて示されると聞いているが、先生は生徒に対して、次にやるべきことは言ってくるが、褒めてはくれないというデータがある。褒め方といったことにおいてもこの結果に対して、何か起因があると感じる。褒められていない生徒たちの現状があって、テストや悪い成績への不安につながっている気もしている。

(委員C)

 褒めるということについて、「未来の教育2030」のプロジェクトの中で、そのバランスの話題が出ているのでシェアしたい。教師からフィードバックを受ける内容について「自分の強みを指摘してもらえる」と答える生徒の割合は、国際平均に比べ低いという結果はPISAにおいても出ているので賛同する。一方で、褒められている(自分の強みを指摘してもらえる)という傾向が強い国の専門家からは「子どもがいつのまにか褒められないとやらないという状況になりうる」という懸念が指摘されている。「褒める」対象は、あくまで「内発的動機付け」として、その子どもの「始動人」としてのスイッチを押す方向でないといけない。例えば、SNSで「いいね」がもらえることが競争になるような時代で、褒められるということが目的にならない微妙なバランスが必要であると思う。

(委員A)

 褒める、褒められないということもその通りであるが、日本の子どもたちの特徴は、目標設定において、自分で目標設定したものがないと考えている。テストや与えられた目標設定に対してどうするかという学校生活を送っているからであり、そのため、一番重要なのは、自己決定をするという目標が日本の教育の中には足りないということである。子どもたちは時間も含めて余裕がない。だから褒められないとやらないということも同じことである。結局、自己効力感とか自己肯定感が高い子どもは、自分で目標設定をし、そこで試行錯誤して、その結果を自分で分析して、また改善のアクションを起こすといったPDCAを自分で回しながら、自分でそのプロセスを褒めることができる。つまり外側から褒めてもらうことによって自己肯定感が高まるのではなくて、自分の目標設定に対してその成功、自分で自覚できることによって、自己肯定感が高まるわけなので、その教育システムが日本の中では足りないということである。テストはその象徴的な存在で、目標設定は与えられているというその状況が問題だと思う。

(委員E)

 評価を何のためにするのか、テストを何のためにするのかということが大事であると考える。先程、大学入試がなくならない限り変わらないという話があり、その通りだと思うが、テストは自分の力を確認するためであり、教員としてはそれを確認するためのものである。テストの点数がよいから大丈夫であり、悪いからダメであるというものではないということをもう一度考えていく必要があるのではないかと思った。そのため、自分で決めた自分の活動というのを評価するとなった時に、これまでと同じテストの方法でいいのかというのは、今後カリキュラムを考えていく上で、かなりの議論が必要であると感じた。

(委員G)

 最大の問題は教員のウェルビーイングだと思う。もし教員がよい気持ちでいないなら、どうやって子どもたちをよい気持ちにさせることができるのだろうか。そのため、教員の研修と教員のウェルビーイングに重点を置くべきだと強く感じる。教員のウェルビーイングが確保され、教員の研修が整えば、変化が見られると思う。日本で私が見る最大の問題とギャップの1つは、教員のウェルビーイングと日本におけるその低さ、そして多くの教員が辞めていることである。群馬県では教員のウェルビーイングにどれだけ焦点が当てられているか分からない。ICTによる多くの研修は、生徒をどうやって指導するかに焦点が当てられている。だから、私は教員のウェルビーイングについてどのように扱われているのか非常に興味がある。これはおそらく私たちが目にするスコアや不一致としての、大きくて核となる問題だと考える。

(委員F)

 教員の調査として何か行っているものはあるか。

(事務局)

 教員の調査というのは実施していない。しかし、第4期の教育振興基本計画がスタートし、そこでは、教育委員会が決めたことを学校でやるという押し付けになるようなことは、結局、先生が生徒に対して押し付けてしまう構造となりかねないので、そうならないように、子どもの主体性を伸ばすことを第一に考えている。そこで、学校で具体的にやっていくことについては、できる限り生徒に任せ、決めさせることと、発達段階にもよるが、先生たちはできるだけ待つことを大事にする。そして、先生たちもできる限り自身の発想で取り組めるような環境を整え、先生たちが省力できるところを見つけ、時間を作るとともに、考えたことができるようにすることで、先生たちのウェルビーイングにつながると考えている。これにより、現在、すでに様々な取組が開始されており、今後が楽しみである。まだ始めたばかりではあるが、希望はあると思う。先生のウェルビーイングについては、なんらかの形で調べる必要はあると考えている。

(委員C)

 群馬県とスコットランドと協働する中で、群馬県の先生とスコットランドの先生が交流を始めている場面に居合わせた。スコットランドの先生と話をする過程で、日本の先生が自由なアイデアを出していいんだということを感じたり、研修というものを、「与えられるもの」から「自ら作るもの」という感覚に変化したり、先生自身がセルフケアの手法を知る等、自己決定ができるものにしていけるとウェルビーイングが高まる一つの術ではないか。日本のカリキュラムは、以前に示したように、校長先生や先生の覚悟が決まれば、世界的に見ると自由度の高いものである。そこで、先生自身が楽しくカリキュラムをデザインできる場、また、先生自身も探究する(失敗してよい)文化を社会が認めるのが大事ではないか。

 評価については、OECD Education 2030の参加国の中で、カリキュラムと連動した評価の見直しがされている。大阪府の中学生が、国内の通知表を集めたところ、県ごとに異なることが分かった。また、日本の生徒が海外の生徒にインタビューした際、海外では通知表がもらえるのを喜ぶ生徒がいて、日本の生徒は、驚いたそうだ。その場合の表記は、5段階の数字ではなく、単元ごとに自分がどのような状態であるかの説明を求めていることが海外の生徒にとっては重要と主張していた。また、先ほどの日本の中学校では、生徒への説明を先生からではなくアバターが行う実証研究をスタートアップ・カンパニーと開発したいと議論中である。「評価」についても、先生方が研修漬けにならないとよいと感じている。

〔テーマ4:「起業する可能性がある」と回答した生徒が少ない状況について〕

(委員A)

 起業する可能性については、先程と同じ傾向であると考えるが、教員側から与えられた目標設定に対してどれだけ自分が到達したか否かばかりを判定されていくので、子どもたちは当然失敗したくなくなるだろう。傾向としてリスクを負いたくないとなるし、できることしかやらない。言われたことのみをやるという習慣がついてしまっているのだと考える。真に自分で目標設定したものに対して、チャレンジして試行錯誤していくという時間がカリキュラムの中に非常に少ない。これだけ少子化が劇的に進んでいるので、大学の数と子どもの数を考えただけでも、受験の仕組みは自ずと10年後ぐらいには変わっていくだろう。教育システムそのものも変わってくるので、きっと子どもたちにも変化は起きてくるだろうが、その一方で、相変わらずペーパー試験で問われる学力を高めなければならないということが、将来の自分のキャリアにつながるというイメージを教員が与え続けているとすれば、このことについては、できるだけ早く変えていく必要があると思う。

(委員F)

 目標設定について、最近の経済学の研究で面白いと思った話があるので紹介したい。カナダのマギル大学で落第しかけた大学生を対象にした実験だが、この学生に目標設定をさせるという研究が行われた。目標自体は当然自分で決める。また、せっかく望んで入った大学で成績不審になり、退学寸前のような状態になっている段階であるため、この大学に入ることで何を達成したかったのか、この大学を卒業してどういうことをしたかったのかという目標設定についても自分で考えさせる。そして、その目標を達成するために、どういう課題があるのかということも自分で列挙し、その課題をどのようにして解決していくかということを、自分で優先順位を決めて、やっていく。結果として、それをやった学生とやらなかった学生では大学の卒業率が著しく変わるという有名な実験である。

 これは、大人も同じように上手くいくということが、その後の実験で分かり始めており、目標設定をするといいのではないかという話になった。そして今度は、その目標設定のやり方自体をどうすればいいのかという研究が始まり、その目標設定をする時に人に与えられたものと自分で決めたものはどっちがいいのかという問題意識のもとで研究が進んだ。当初、意外と人が決めたほうがいいのではないかと考えた人も多かったようである。それは、子どもは自分のことを分かってはいないので、大人がちゃんと決めてあげたほうがいいのではないかという考えであった。しかし、実証の結果は明らかで、やはり自分が決めたものでないと全然取り組まないということだった。目標を決めるというのは、人に決められるとダメだということ。自分で決めないとダメであるということだと思う。その自分で決める時に、どのくらいうまく導いてあげられるかみたいなところも重要である。目標設定することの重要性について、動機づけみたいなことをしてあげられるといいのではと思う。

 続いて、起業のことに関連して、高校の卒業者の就職について話をしたい。高卒でそのまま就職する人は15%ぐらいいるが、ほとんどの都道府県で1人1社制になっている。また、この1社はほとんどの場合、高等学校の進路担当の教員が決めている。生徒はあまり希望を言わないらしく、これについて高等学校の先生に尋ねると、生徒は自分で自分のことを決められないということを固く信じてる先生達が結構いて、導いてあげないとダメだと思っている。実際、求人は、平均すると1校当たり1,000社ぐらい来るらしい。しかも、その求人がファックスとかで届くため、さすがに生徒たちが、1社ずつ確認できないので、先生が選び、過去にその学校の生徒が就職して離職せずに勤めている会社を経験的に知っていて、先生が自力でマッチングをしている。このような状況が起こっている。一事が万事のこれがよくないと思う。日本の教育は、ある意味、生徒のポテンシャルに対する無理解かもしれないし、信頼のなさなのかもしれないが、この計画経済みたいな話がよくないと感じる。しかし一方で、高校の先生たちがそれをする動機もあると思う。高校卒業した後に無職はよくないと思っていて、ちゃんと就職してほしい、絶対卒業する時には仕事が決まっていてほしいと強く思っているからのことであると感じる。その1,000枚ものファックスで届いた求人票を子どもたちがそれぞれの目で見るのは難しいので、そこで考えられる解決策は、データ化してスマホなどで見られるようにし、本人はもちろん保護者も見られるようにするといったシステム自体をアップデートして、高校の教員がファックスの処理に時間を使わなくてよいようにする。そこで生まれた時間の中で、ちゃんと先生たちが、生徒が就職する時に、どういうことをやりたいのかということについて、膝を突き合わせてしっかり聞いてあげる時間を生み出さないといけないと思う。

(委員C)

 目標設定の重要性は、PISAでも「未来の教育2030」のプロジェクトでも認めているところだが、ここでは「目的設定」の意味自体を問い直すデンマークからの問いを紹介したい。それは、プレイフル・ラーニング(遊び心を持った学び)というバランスが大事なのではいかということである。目的を持たずに遊びに没頭すること自体に意味を持つこともある。必ずしも、常に遊びにも目標設定を要するわけではない。イノベーションは、目標を設定することによって必ずしも生まれるとは限らない。余白と遊びという時間をカリキュラムに残しておく必要がある。どの教科であっても、目標設定で結果を効果的に出そうとするアプローチと、プレイフル・ラーニング(遊び心豊かな学び)のアプローチ等、そのバランスが大事と、「未来の教育2030」のプロジェクトに参加している北欧の研究者が主張していることを伝えておきたい。

(委員A)

 二人の話を聞き、なおさら思ったこととして、今の日本の学校の先生の中には、目標設定を子どもたちができるわけがないみたいなことを思っている人がいる。これは今後の教育改革にとって致命的な問題だ。忘れてならないことは、子どもたちというのは生まれ落ちた瞬間から、とても主体的な生き物であり、目標設定というのは幼児期の方がはるかに目標設定をしながら生きている。幼児の遊びを見ていればすぐわかるが、例えば、鉄棒にはまっている5歳児の遊びから、逆上がりをすることにものすごく執着し、何回も何回も取り組み、逆上がりができることが目標になり、これを繰り返して試行錯誤してやっている姿が見られる。これは、教育立国として有名なデンマークやフィンランドなど、ヨーロッパでは、幼児教育を大事にし、もともと生まれ持っている主体性を失わせないようにしている。先程の話に合ったバランスというのは、その主体性を失わせない部分をきっちり教育に残しておくというバランスのことだと思う。それが、日本の場合、その遊び心という部分の自由度をカリキュラムの中からほとんど消し去っていったというところに問題があると思う。今、お二人の話を聞いて改めてクリアになった。

(委員D)

 先程の教員の時間を作るという話は本当にありがたい。まず先生の時間を作らなくてはならないということはまさにその通りである。また、プレイフル・ラーニングもすごく必要なことであると考える。さらに、子どもは生まれながらに目標設定できるという話に関して、中学校・高校でそれを失わせるのではなく、復活させる教育を考えている中での取組が今回の第1弾の報告書に出ているため紹介したい。

 Box 3.1に載っているプロジェクトだが、生徒たちに自分たちの課題を自分で設定し、研究し、実験をして報告するというものをやっており、生徒は、自分の好きな友達と組んで、好きなゴールを設定して向かうということで、私は生徒を観察しているだけの状態の中、生徒はやりたいようにプロジェクトを進めていた。統計データで睡眠時間が足りないということが出てきているが、自分たちも純粋に足りてない。なぜ睡眠が足りないのだろうと本当に妥当な目標設定を生徒たち自身がしてきて、自分で考えて、自分で改善策を作って、自分で実験して報告をした。統計データが示すものと同じ問題であっても、原因は全員が違うということもクラスで報告していた。400人のうち半分近くが睡眠の課題を取り上げていたが、その対策は全員が違っていた。それぞれが分析し、友達にも協力してもらうという方法で行っていたため、特に大きな指導はしなかった。こうした力が生徒にはあるので、私はそれを伸ばしていくというか、復活させなければならないということに共感する。

(委員B)

 YouTubeの活動をやり今年13年目になったが、子どもたちの悩み相談に答える活動をやる中で強く感じるところがある。それは、SNSが発達し、我々の幼少期よりも、周りの目を気にし、正解を選ばないと人生が終わると思っている子どもが本当に日本は多くなったと感じる。チャレンジしたくないわけではなく、チャレンジはしたいけど、失敗が成功のもとだと少しも思ってない。失敗をした瞬間に人生が終わるみたいな感覚を本当に思っている子がいて、だから答えがあるもののチャレンジしかできない。何かチャレンジしようと思った時に、この道を辿って行ったら、ここに中間地点があって、ゴール地点がここにある。そこまで示してくれたなら走ります。ただし、リスクを負って、この歩いて行った先に何があるか分からないとなれば、歩けませんということを言う。このような相談がすごく多くなったと感じる。具体的な相談では、勉強方法や将来の進路の決め方とかもそうである。私にあったものを教えてくださいと言ってくる。会ったこともないのに、この人はYouTubeで色々な人の相談に乗ってるから、見ず知らずの私のことも正解を知ってますよねといった様子で相談に来る人が年々多くなってる。そのため、子どもたちに、正解のないチャレンジをさせたり、目標を設定させたりしていく中で、先生たちがどう寄り添えるかが、今の子どもたちにはすごく大事である。どうしても大人は正解を押し付けたくなるが、「選択肢がある中で、この道にはこうしたリスクがあるが、その先にはこのような成功事例もある。」というように寄り添っていくことが、今の子どもたちには合っていると感じた。

【スコットランド視察等の報告、質疑】

(委員A)

 とても興味深い報告だったと思う。教育改革を始めて10年という若い教育改革だが、日本にとって参考になる改革と感じた。画一的な教育から学習者主体の教育に変えていく取組ということだと思うが、今までの日本の学校教育で言えば、学ぶ機会の平等を考えていた教育から、学習者主体というか、学ぶ側の意欲を失わせないという教育への転換をしているということで本当に興味深かった。また、教員の変化を十分に考えているという様子が見られた。一部の教員が自由度が増えたことを喜んでいたけど、マニュアルを示してほしいということに関しても、これは現在がスコットランドの教育改革の過渡期だから起きていることであると考える。これについてもいずれは乗り越えていくのであろうと思うし、日本も同じように上手くできたらよいとは思いながらも、やはり日本の場合は、難しいかもしれないとも感じる。それは、今できあがっている教育環境がヨーロッパの国々とかなり異なるからだ。最も異なるのが、ヨーロッパにはほとんどない学習塾とか民間教育産業の役割である。日本は、この民間教育産業がすでに2~3兆円の規模があり、経済を下支えしてるという現実がある。これを変えていくというのは、ヨーロッパに比べると非常に難しいと感じる。つまり、国全体で価値観を共有していくという作業が、スコットランドでは取組の重要なポイントに挙げられているが、この価値観を共有するには、日本の場合は利害関係があるので簡単ではないように思う。これから経済がますます悪化するというようなことが起こってくれば、国全体で価値観を共有する覚悟みたいなものが必要だということを感じる。

 1つ質問として、学校のプライオリティの1番には、全ての学習者の成果をさらに向上させることとがあり、また、スコットランド教育の目指すものの中には、特に識字能力と計算能力の向上という言葉があるが、これを日本の教育界が字面でだけ捉えてしまうと、平均点を出したりする方向に向かうような気がする。例えば、リーディングスキルテストのような読解力の調査をしようと言ったら、全体として読解力が上がっているのか、上がっていないのかという経年変化をすることになると思う。スコットランドはきっとそういう調査をしてないのではないかと思う。読解力の調査というのは、読み書きの能力が他の子どもたちと同じような力がある子どもにとっては有効であるが、ディスレクシアの子どもたちにとっては、この調査結果は非常に問題がある調査になる。スコットランドを含めたヨーロッパの国々では、平均点によって分析をするという方法ではなくて、個別の子どもがどのように向上したかという調査をしていると思うが、視察の中で感じられたことはあるか。

(事務局)

 調査の状況について、正確に確認はしていなが、PISAも受けているため、識字能力と計算能力の調査を全くしてないということではないと感じている。しかし、それは、移民を含めた貧困層がいる中で、貧富の差から生じる問題を解消したいということからであり、平均点による序列を作るための調査ではないと考える。

(委員A)

 今後、群馬県が子どもたちに身に付けさせたい能力の向上を見ていく時に、この平均点を用いて上がった下がったという分析をしないような方向を取るべきであると思っている。つまり、それぞれの学校が個別の子どもを見て、その子の能力がそれぞれどう上がったかという分析はよいが、トータルとして平均点が高い、低いといったようなことになると、どうしてもマイノリティの子どもたちが傷つけられることになる。調査方法が合っていない子どもに対して調査をするということになると、学校は出てきた結果としての数値を上げたくなるという傾向がある。そうしたことが起こらないような方向に進んでほしいし、ヨーロッパ等の実績があるのであれば、そうした事例を今後紹介してもらいたい。

 (委員G)

 群馬県はなぜPISAのスコアやウェルビーイングの数値の低いスコットランドとの連携を選んだか。

 (事務局)

 確かにPISAのスコアは群馬県よりも低いが、先程の説明の中で述べた教育改革をまさに現在進めている状況であるということが、事務局で調べたり、この専門家委員会の中で意見をもらったりしたことではっきりと分かった。その教育改革は、群馬県の考えている非認知能力を強く意識し、ウェルビーイングを高めたり、エージェンシーを発揮したりすることのできる教育と合致したため、スコットランドの取組から学ぶことがあり、共同研究を実施する価値があると考え決定したものである。

6 当日の配布資料

第4回次第 (PDF:331KB)

委員名簿 (PDF:95KB)

資料1_OECD SSES Round2 国際報告書(第1弾)の概要 (PDF:960KB)

資料2_Scotland 視察等報告 (PDF:2.5MB)

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