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【11月21日】記念物(史跡)の追加指定及び登録有形文化財(建造物)の登録について(文化財保護課)

更新日:2020年11月21日 印刷ページ表示

 令和2年11月20日(金曜日)に国の文化審議会(会長 佐藤 信(さとう まこと))が開催され、本県所在の史跡 浅間山古墳、史跡 荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡の史跡追加指定2件及び伊勢崎市境島村所在の建造物3件の新規登録が答申されました。

答申された本県所在の文化財

(1)史跡

1 史跡浅間山古墳(せんげんやまこふん)

(高崎市倉賀野町468ほか)

  • 4世紀後半から5世紀初頭に造られた前方後円墳では東日本最大規模です。
  • 中堤と外堀の一部が史跡に追加指定されます。

2 史跡荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡
(あらふね・あずまやふうけつさんしゅちょぞうしょあと)

(下仁田町大字西野牧字根小屋4737-1ほか)

  • 国内最大級の蚕種(蚕の卵)の貯蔵量を誇ります。
  • 荒船風穴蚕種貯蔵所の管理事務所(春秋館)所在地が史跡に追加指定されます。

(2)登録有形文化財(建造物)

1 金井義明家住宅主屋(かないよしあきらけじゅうたくおもや)

(伊勢崎市境島村字新野2439ほか)

  • 明治元年(1868)に建てられた中規模の蚕種製造民家です。
  • 大規模蚕種製造民家が多い境島村において、中規模の蚕種製造民家の成立と変遷を示す貴重な例であり、登録有形文化財(建造物)に新規登録されます。

2 田島善一家住宅主屋(たじまぜんいちけじゅうたくおもや)

(伊勢崎市境島村字新地2209)

  • 江戸時代末期に建てられた大規模蚕種製造民家です。
  • 大規模蚕種製造民家の初期の建築で、その後の改良の歴史も残す貴重な例であり、登録有形文化財(建造物)に新規登録されます。

3 田島達行家住宅主屋(たじまたつゆきけじゅうたくおもや)

(伊勢崎市境島村字新地2247ほか)

  • 慶応2年(1866)に建てられた大規模蚕種製造民家です。
  • 大規模蚕種製造民家の初期の建築で、資料から建築や増築の具体的時期がわかる貴重な例であり、登録有形文化財(建造物)に新規登録されます。

史跡浅間山古墳(せんげんやまこふん)(高崎市)の追加指定について

  1. 浅間山古墳の中堤(ちゅうてい)及び外堀(そとぼり)の一部が史跡地に追加指定されます。
  2. 浅間山古墳は4世紀後半から5世紀初頭に造られた、同時期では東日本最大規模の前方後円墳です。

1 指定履歴

 昭和2年4月8日 内務省告示第315号

2 所在地(追加指定分)

 高崎市倉賀野町468-1外

3 面積

 既指定面積 32,072.91平方メートル
 追加指定面積 4,658.75平方メートル
 合計 36,731.66平方メートル

4 所有者(追加指定分)

 個人法人 4,393.90平方メートル
 高崎市 264.85平方メートル

5 概要

(1)追加指定の経緯

  • 平成30年度に高崎市教育委員会が当該箇所の範囲確認調査を実施し、中堤と外堀を確認しました。
  • 調査結果をもとに所有者と高崎市教育委員会が協議を行い、同意を得ることができた部分について、令和2年7月に文部科学大臣あてに史跡の追加指定について手続きを行いました。

(2)立地

  • 浅間山古墳は烏川(からすがわ)左岸段丘上に所在します。
  • 付近には、4世紀末から5世紀初頭に造られた大鶴巻古墳(おおつるまきこふん)(国史跡、墳丘長約123メートル)や5世紀後半に造られた小鶴巻古墳(こつるまきこふん)(墳丘長88メートル)があります。

(3)史跡の特徴

  • 4世紀後半から5世紀初頭に造られた墳丘長約171.5メートルの前方後円墳です。
  • 外堀まで含めた古墳の規模は南北約332メートル、東西約210メートルです。
  • 同時期に造られた前方後円墳としては、東日本最大規模です。
  • 群馬県内では、5世紀前半に造られた太田市所在の天神山古墳(国史跡、墳丘長約210メートル)に次いで第2位の規模です。
  • 墳丘は前方部2段、後円部3段に造られています。
  • 埋葬施設は未調査のため不明です。
  • 周堀は馬蹄形(ばていけい)の二重周堀で、中堤の外側には葺石(ふきいし)が葺かれています。
  • これまでの発掘調査で土器片や埴輪片が出土しています。
  • 墳丘の平面形が佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん)と酷似していることから、浅間山古墳の被葬者は、畿内勢力と強い結びつきがあったと考えられています。
  • 周辺には、浅間山古墳に匹敵するような規模の同時期の古墳が造られていないため、浅間山古墳は地域の力を結集させて造った古墳であると考えられています。

※佐紀陵山古墳:奈良県奈良市山陵町(みささぎちょう)にある墳丘長207メートルの前方後円墳。垂仁天皇(すいにんてんのう)皇后の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の陵墓と考えられています。

跡 浅間山古墳俯瞰(高崎市教育委員会提供)の写真
史跡 浅間山古墳俯瞰(高崎市教育委員会提供)

南側から撮影した追加指定地(高崎市教育委員会提供)の写真
南側から撮影した追加指定地(高崎市教育委員会提供)

史跡荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡(あらふね・あずまやふうけつさんしゅちょぞうしょあと)(荒船風穴)(下仁田町)の追加指定について

  1. 世界遺産でもある荒船風穴蚕種貯蔵所跡について新たな場所が史跡地として追加指定されます。
  2. 追加指定される場所は、荒船風穴蚕種貯蔵所の経営を行っていた春秋館の事務所地であり、明治~昭和初期に蚕種販売や養蚕指導、蚕種改良を全国規模で展開していました。指定地には主屋、土蔵、蚕室の3棟が現存しています。
  3. 今回の追加指定により、現在整備が進められている荒船風穴蚕種貯蔵所跡だけでなく、春秋館の整備・活用が進むことが期待されます。

1 指定履歴

 平成22年2月22日 文部科学省告示第12号

2 所在地(追加指定分)

 下仁田町大字西野牧字根小屋4737-1ほか1筆

3 面積

 既指定面積 4,648.76平方メートル
 追加指定面積 1,155.74平方メートル
 合計 5,804.50平方メートル

4 所有者(追加指定分)

下仁田町1,155.74平方メートル

5 概要

(1)追加指定の経緯

  • 平成29年に春秋館の土地と建物が町に寄贈され、平成30年に町指定史跡に指定されました。
  • 平成30年度より町が春秋館の建物等の調査を行い、平成31年に調査報告書をまとめ、その成果を基にして令和2年1月に文部科学大臣あてに史跡の追加指定について手続きを行いました。

(2)立地

  • 春秋館は鏑川左岸の河岸段丘上にあり、荒船風穴蚕種貯蔵所跡からは約7キロメートル離れた東にあります。

(3)春秋館について

  • 春秋館は国内最大級の蚕種貯蔵能力を持つ荒船風穴蚕種貯蔵所を稼動させた経営母体でした。
  • 春秋館の経営は、単なる蚕種の貯蔵や製造販売に留まらず、蚕種の改良や養蚕農家の指導、養蚕業の資質の向上などを率先して行っていました。
  • 春秋館は荒船風穴蚕種貯蔵所の経営母体として重要であるだけでなく、日本の養蚕製糸業の発展普及を根底から支えた貴重な施設であったことから、史跡荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡の一部として追加で指定されます。

春秋館跡 居宅兼事務所・蚕室(道路南東から)の写真
春秋館跡 居宅兼事務所・蚕室(道路南東から).

明治45年(1912)春秋館営業用ハガキ(下仁田町教育委員会提供)の写真
明治45年(1912)春秋館営業用ハガキ(下仁田町教育委員会提供)

登録有形文化財(建造物)の新規登録について

  1. 世界遺産でもある史跡田島弥平旧宅の周辺に所在する、江戸時代末期~明治時代に建てられた3件の蚕種製造業に関係する民家が登録有形文化財に登録されます。
  2. 3件の民家(蚕種製造民家)がある伊勢崎市境島村地区はかつて蚕種製造業が盛んな地域の一つであり、これ以外にも同様の民家が多く残されています。
  3. 今回の登録により、境島村地区の養蚕・蚕種製造民家群に対する保存の気運が高まり、文化財的価値が広く発信されることが期待されます。

※蚕種製造民家とは、蚕の卵を製造販売することを主な生業として行った民家です。蚕を生産するために、屋根の上に通風・換気のための「櫓(やぐら)」を設けた民家が多く見られます。

1 金井義明家住宅主屋(かないよしあきらけじゅうたくおもや)

 名称:金井義明家住宅主屋
 員数:1棟
 構造、形式及び大きさ:木造2階建・桟瓦葺・建築面積168平方メートル
 建築年代:明治元年(1868)築/明治17年(1884)改修増築/平成16年(2004)改修
 登録基準:1 国土の歴史的景観に寄与しているもの

(1)所在地

  • 伊勢崎市境島村字新野(しんの)2439ほか

(2)建物の変遷

  • 伝承や記録によると、明治元年(1868)に現在地より北にある、境島村の前島地区から移り住んだ際に建築されました。
  • 明治17年(1884)に2階の窓を拡張し、一部を増築してほぼ現代の形となりました。
  • 平成16年(2004)に屋根を葺き替えた際に建具や内装を改修しましたが、主要な構造等は明治時代のままとなっています。

(3)建物の特徴

  • 総2階建の建物の屋根上に2つのやや小型の櫓(やぐら)を設けています。
  • 1階部分を居住等の生活に、2階部分を蚕室(主に養蚕)として用いていました。
  • 1階の土間の一部は馬小屋として使われており、境島村では珍しい例とされています。
  • 明治期の改装で2階正面に手すり付きの縁側を設け、さらに窓枠を広げて蚕室と縁側を出入りできるようにしました。
  • 大規模な蚕種製造民家が多い境島村地区において、中規模の蚕種製造民家がどのように成立して、継承されていったかを知る上で重要な存在です。

※金井家は蚕種製造専門ではありませんが、建物は境島村地区に見られる蚕種製造民家の特徴を示しています。

金井義明家住宅主屋の写真
金井義明家住宅主屋

2 田島善一家住宅主屋(たじまぜんいちけじゅうたくおもや)

 名称:田島善一家住宅主屋
 員数:1棟
 構造、形式及び大きさ:木造2階建・桟瓦葺・建築面積294平方メートル
 建築年代:江戸時代末期築/明治41年(1908)移築増築
 登録基準:1 国土の歴史的景観に寄与しているもの

(1)所在地

  • 伊勢崎市境島村字新地(しんち)2209

(2)建物の変遷

  • 記録によると、慶応年間(1865~1868)に現在地の東隣に建てられたとされています。
  • 明治41年(1908)に現在地に曳家したとの伝承があり、その際に東側に下屋を増築したと考えられています。

(3)建物の特徴

  • 大規模な総2階建の建物で、屋根上に長い櫓(やぐら)(総櫓)を設けています。
  • 1階部分の大半を居住等の生活に使っていましたが、土間の一部は蚕種製造と関係のある「クワバ(桑場)」として使われていたと考えられています。
  • 2階は全体を蚕室として用いていました。現在は、2階の一部を展示室として整備し、月に1回公開しています。
  • 境島村では珍しい入母屋造であり、構造形式には新旧入り交じった要素が認められることから、幕末期の建築で必要に応じて手を加えながら使われていったと考えられます。
  • 大規模な蚕種製造民家で初期に造られた例として重要な存在です。

田島善一家住宅主屋の写真
田島善一家住宅主屋

3 田島達行家住宅主屋(たじまたつゆきけじゅうたくおもや)

 名称:田島達行家住宅主屋
 員数:1棟
 構造、形式及び大きさ:木造2階建・桟瓦葺・建築面積254平方メートル
 建築年代:慶応2年(1866)築/明治頃・大正頃・昭和3年(1928)・昭和46年(1971)増築
 登録基準:1 国土の歴史的景観に寄与しているもの

(1)所在地

  • 伊勢崎市境島村字新地(しんち)2247

(2)建物の変遷

  • 棟札が残っており、慶応2年(1866)に血洗島(ちあらいじま)(埼玉県深谷市)の大工を棟梁として建てられました。
  • 明治期に西側面・背面下屋など、大正期に東側側面、昭和3年(1928)に2階の顕微鏡室、昭和46年(1971)に別棟座敷を増築しました。

(3)建物の特徴

  • 中規模な総2階建の建物を主体部として、屋根上に長い櫓(やぐら)(総櫓)を設けています。主体部に複数の増築部が接続し、大規模になっています。
  • 1階部分の大半を居住等の生活に使っていましたが、一部の部屋には蚕種製造が行われた痕跡があります。
  • 2階は大半を蚕室として用い、昭和3年に増築した顕微鏡室では、蚕の病気の有無を調べていました。
  • 当初の建築面積では蚕種製造に不足していたため、主体部周辺を積極的に増築しました。
  • 建築年代が判明している建物であり、大規模蚕種製造民家の発生や発展を知る上で重要な存在です。

田島達行家住宅主屋の写真
田島達行家住宅主屋