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およそ1,300年前、藤原京(694~710年)の時代の資料によると、現在の群馬県の中に「車評(くるまのこおり)」(「評」は大宝律令によって「郡」となる)と呼ばれていた地域があったとされています。
奈良時代に入るとすぐ、和銅6年(713年)の諸国の風土記編集の勅令により、国・郡・郷名はその土地にあった漢字二文字で表すこととされ、国名「上毛野国(かみつけのくに)」は「上野国(こうずけのくに)」に、郡名「車(くるま)郡」は「群馬(くるま)郡」に改められました。
群馬県の県名が初めて使われるようになったのは、第1次群馬県が成立した明治4年10月28日のことです。これは、明治4年の廃藩置県を受けて、高崎・前橋の大部分を含み大郡であった群馬郡を県名とすることがふさわしいと判断されたことによります。これにちなんで、10月28日は群馬県民の日となりました。